不安定だが大きな脅威ではない隣人:中央アジアから見たアフガニスタン
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国境の向こうの別世界
筆者はアフガニスタンに行ったことはない。しかし2006年にタジキスタンの国境沿いの道から見た風景は衝撃的だった。タジキスタン側も悪路だとはいえ舗装されていて、私が乗せてもらったランドクルーザーを含め、きれいな車が多く走っていた。しかしパンジ川(アム川上流)の向こうのアフガニスタン側には、未舗装の細い道と、日干し煉瓦造りで窓ガラスのない建物が見えた。まるで違う時代の世界が隣り合っているように思えた。
歴史的には、アフガニスタンと中央アジアは明確に区切られてはいなかった。バクトリア、サーマーン朝、ティムール朝など多くの王朝・国家が両方にまたがる領域を持った。しかし中央アジアを征服したロシア帝国と、アフガニスタンを勢力下に置いた英国の交渉により19世紀末に引かれた国境線が、ソ連・アフガニスタン国境として引き継がれ、2つの地域は全く異なる現代史を歩んだ。
中央アジアもソ連の中で後進的な地位に置かれたとはいえ、工業を含む産業開発が進められた。教育の普及や女性の職業進出を含む社会改革も、限界を抱えつつ行われた。他方アフガニスタンでは近代化の試みとその挫折が繰り返され、特に1978年の内戦開始と翌年のソ連軍侵攻以降、長年にわたり戦乱が続いている。中央アジア諸国もソ連崩壊後に混乱に見舞われ、必ずしも順調に発展してきたわけではないが、それでも2020年現在、アフガニスタンの一人当たりGDPが509ドルしかないのに対し、中央アジアでは最も貧しいタジキスタンで859ドル、最も豊かなカザフスタンで9056ドルと、大きな差がある。
国による関係性の違い:同族重視のタジキスタン、経済重視のウズベキスタン
このようにアフガニスタンの近くて遠い隣人である中央アジア諸国だが、具体的に見ると国によってかなり関係性が異なる。最も深い関係にあるのはタジキスタンである。アフガニスタンのタジク人の数には諸説あるが1000万人以上いるとされ、タジキスタンの800万人余りのタジク人より多いから、タジキスタンは隣国の同族の状況に大きな関心を持っている。1996~2001年の第一次タリバン政権期には、同政権に対抗して北部を支配したマスードら北部同盟の指導者たちと緊密な関係を持ち、その後もアフガン政府、特にその中のタジク人高官たちとの関係を維持した。このように親近感がある一方で、長く守りにくい国境で接しているアフガニスタンから混乱が波及してくるのを防ぐことも極めて重要である。
ウズベキスタンは、2016年まで長く大統領を務めたカリモフの時代から、安全保障を最重要視する姿勢が明確で、国境を厳重に管理してきた。同時にアフガニスタンとの経済関係を重視し、燃料、鉄鋼、機械などを輸出している。近年は電力の輸出を大幅に増やし、念願の海への出口につながるアフガニスタン国内の鉄道建設にも関わっている。また、外交を積極化させるミルジヨエフ政権は近年、アフガニスタンのガニ政権との関係強化およびタリバンとの仲介に乗り出していた。なお、アフガニスタンには200万~300万人のウズベク人がおり、1990年代にはカリモフ政権がウズベク人軍閥指導者ドストゥムに肩入れしていたが、その後徐々に距離を置いている。
トルクメニスタンは、長くかつ自然の遮蔽(しゃへい)物の少ない国境でアフガニスタンと接し、1~2年に一度は国境での銃撃戦が報じられている。しかし、この国の政権は何かと問題を隠したがるということもあって、安全保障上の懸念が表立って語られることは少ない。目立つのは経済交流、特にTAPIパイプラインを建設して天然ガスをアフガニスタン経由でパキスタン、インドに輸出する計画への意欲であり、かつて第一次タリバン政権ともトルクメニスタン指導部は親しい関係にあった。なお、アフガニスタンに100万人程度いるトルクメン人とは文化・教育面で交流を持っているが、政治的に重要な位置づけはしていない。
他方、クルグズスタン(キルギス)とカザフスタンでは、国境を接していないアフガニスタンへの関心はさほど高くない。もちろん、アフガニスタンと中央アジア全体に関わる安全保障や経済協力の話し合いには両国も参加している。クルグズスタンでは、アフガニスタン北東部の山奥で苦しい生活をしているクルグズ人への関心があり、カザフスタンからは近年、小麦の輸出が増えている。しかし、アフガニスタンを結節点として中央アジアと南アジアの結びつきを強めようという米国の考え方に両国は呼応しなかったし、カザフスタンでは、国名にスタンがつくことでアフガニスタンと似た国だと思われるのは嫌だという人が多い。
以上のように中央アジア諸国の間では、アフガニスタンへの関心、経済協力への意欲、脅威認識の程度がかなり異なる。「中央アジア+日本」対話で日本が5カ国の官僚や研究者にアフガニスタンに関する話し合いの場を設けても、意見が合わないことがしばしばある。
タリバン政権再登場への反応
以上のような関係性の違いは、8月のタリバン政権再登場に対する各国の反応の違いにもつながっている。タジキスタンは同政権の脅威を強調し、タジク人など多様な民族を包含するアフガン政府の設立を求め、実際の暫定政府がそうなっていないことを批判する。また、パンジシール渓谷のタジク人による反タリバン運動を支援し、その指導者らを時々招いている。タリバンはこうした動きを内政干渉として非難し、国境地域に、かつてタジキスタンから逃げてきた過激派ジャマーアト・アンサルッラーを含む戦闘集団を配置して、圧力をかけている。
他方、ウズベキスタンとトルクメニスタンの指導部は「新しい現実」を見るべきだと強調し、タリバン政権を正式に承認してはいないものの関係を深めつつある。統治が安定してパイプラインや鉄道の建設を進められることを期待しているのである。カザフスタンとクルグズスタンの代表もタリバン政権の高官と会い、事実上の承認に近い路線を取る。カザフスタンは、国際協調を主導することで自国の存在感を増すというかねてからの外交方針を今回の事態にも適用しており、アフガニスタン関係の国連職員の臨時オフィスをアルマトゥに招致し、今後は同市を国際的な援助のハブとする計画も打ち出している。
結局、アフガニスタンのタジク人に肩入れするタジキスタン、アフガニスタンで誰が政権を担おうとも経済関係を深めたいと考えるウズベキスタンとトルクメニスタン、距離を置きながらも自国の存在感発揮や経済利益に結びつく機会があれば利用しようとするカザフスタンとクルグズスタンという基本的構図は、タリバン政権再登場によっても変わっていない。また、詳しく述べる余裕はないが、タジキスタンを若干の例外として難民の受け入れに消極的なことも変わっていない。
「不安定だが大きな脅威ではない」という状態は続くのか
それでは、安全保障面での脅威認識は変わっていないのだろうか。確かに、タリバンを敵視するタジキスタンはもちろん、他の国々でも国際テロの脅威の高まりが語られている。中央アジアで安全保障が焦点化する時の常として、ロシアを中心とする連携が強められ、共同軍事演習が繰り返されている。
しかし言説や演習ではなく外交行動から見れば、各国が脅威の高まりを切実に考えているとは思えない。ウズベキスタンとトルクメニスタンは、アフガニスタンが安定に向かっているかのように経済的な期待を持っているし、タジキスタンのタリバンへの強硬な態度は、それが本格的な戦争に結びつく可能性や過激派を刺激する可能性を真剣に考えていたら取り得ないものだろう。
過去数十年にわたり、これらの国々は不安定なアフガニスタンと隣接しながらも、国境での小競り合いを超える大規模な武装勢力の侵入を経験したことがない。比較的深刻なのは、中央アジア出身の過激派がアフガニスタンに潜伏した後、自国に戻ってテロを起こすという事態だったが、そうした例も少数である。
ただし現在のアフガン情勢は、中央アジア諸国にとっても楽観を許すものではない。タジキスタンとタリバンの緊張関係が偶発的な衝突により紛争に結びつく可能性は排除できないし、それ以上に深刻なのは、タリバン政権にもアフガン国民にも金がないという問題である。10月初めの報道によれば、アフガニスタンは周辺諸国に計6200万ドルの電力料金未払いを抱えており、経済交流の活発化で中央アジア諸国が利益を得られるような状況ではない。
経済危機が深刻化してタリバンの支配が揺らぎ、アフガニスタン各地で紛争がこれまで以上に激化することになれば、中央アジア諸国も、不安定だが大きな脅威ではない隣国への慣れに基づく従来の方針を見直す必要が出てくるかもしれない。
バナー写真:アフガニスタン北部の国境の町、ハイラタン。アム川対岸のウズベキスタンから、タグボートが引いたはしけでコンテナの貨物が到着する=2021年10月27日(AFP=時事)