ポストコロナの世界

ポストコロナの日本の安全保障戦略

政治・外交

コロナ禍を経た後の日本の安全保障をどう考えるか。筆者は、現在の国際秩序を「変化の方向が変わったのではなく、変化の速度が増したと捉えるべきだ」と分析。感染症やサイバー空間の問題など「非伝統的課題」を過度に重視することなく、多様な脅威に同時対処することが重要だと指摘する。

進まぬ感染症対策での国際協力

世界にまん延する新型コロナウイルスは、人々の生活や国家の存在にとって大きな脅威となっているという意味で、安全保障上の問題でもある。2013年に策定された日本初の国家安全保障戦略を振り返ってみれば、人間の安全保障上の重要課題の一つとして感染症への言及があることに改めて気づく。

感染症対策そのものを安全保障問題として論ずることは安全保障概念の拡散を招くだけで意味がないが、今日のパンデミックの事態が日本の安全保障戦略にいかなる変更を迫るかということは十分に論じられるべき課題である。

感染症は、自然災害などと並んで非伝統的安全保障課題の中でも国際協力が比較的容易な分野と考えられてきたが、今日の世界をみれば、協力が順調に進むとは考えにくい状況も生じている。また、国際社会の関心が本件に集中している間隙を縫うかの如き別の不穏な動きも安全保障上の問題を提起している。つまり、日本は、これまで以上に複雑な状況の中で自らの安全保障を考えていかなければならない状況にある。

変化のスピード増す国際秩序

今、国際秩序は大きく変化しているが、それは変化の方向が激変したというより、これまでの変化が速度を増幅していると見ることができる。米中対立の熾烈化、国家の役割の再認識、グローバル化の更なる進展という3つの要素が同時に進行している。

米中対立については、中国は感染の発生を隠蔽(いんぺい)しウイルス封じ込めに失敗し、世界の信頼を失うとともに政権は国内でも厳しい立場に立たされている。2003年のSARSの教訓を学んでいない。米国も感染の拡大阻止に失敗し、この問題は大統領選挙にも大きく影響するだろう。米国世論は反中国の色彩を強めており、大統領選挙は、対中強硬姿勢を競い合う形になりつつある。

また、米中に代表される異なる政治体制間の競争がさらに進む。世界の各国が、中国型のデジタルな監視社会を選ぶか、それとも欧米型の自由で開かれたデジタル社会を志向するかという岐路に立たされている。多数を占める開発途上国がいずれの体制を選択するかを巡っても、米中の競争は激化する。

欧米や日本、オーストラリアなどで対中認識は悪化しており、「経済は中国に、安全保障は米国に」という態度をとることが難しくなりつつある。ただし、中国という巨大な市場と経済力を無視できる国は少ない。中国が米国よりも早く経済的に回復すれば、頼りになるのはやはり中国だという雰囲気が生まれる可能性もあり、予断はできない。 

また、ウイルスは国境を越えてまん延するが、これに対応するのは基本的に個々の主権国家であることが再認識されることとなった。国境管理が厳格化され、水際対策、さらには財政出動などにより、主権国家の存在感が増大している。地球規模の課題について国際機関の役割は決して無視できないが、国際機関は国家の利害のぶつかり合う場であるから、その力には本来限界がある。世界保健機関(WHO)の失態によりこのことが改めて露呈し、これもまた、主権国家の役割への回帰をもたらしている。

政治の分断と経済のグローバル化が併存

他方、国家の役割の再認識とは裏腹に、経済を中心に国際社会のグローバル化はさらに進むと見込まれる。今は人の往来やモノの移動が大きく制約を受けているが、技術の進歩が逆戻りすることはないから、世界のつながりがさらに緊密化する方向には変化はないと考えられる。情報の移動についてみれば、サイバー空間の利用の急速な拡大によりむしろ促進され、サイバー空間の国際公共財としての重要性は更に増大している。

中国に大きく依存するサプライチェーンの見直しは進むだろうが、生産コストの問題もあり、医療・保健関連など一部を除けば国内回帰の動きは製造業全体にまで及ぶとは考えられていない。むしろ分業化・多様化が模索されている。中国による知的財産権侵害などの問題があるから、中国との社会的距離は広がる可能性は高いが、中国を国際社会から切り離すことは不可能である。

政治の世界の分断と、経済を中心としたつながりの強化が同時進行するという複雑な状況が継続していくということになる。

むしろ強まる軍事的緊張

他方、世界がパンデミックで大きく揺れている間にも、伝統的な脅威は減ずることがない。日本周辺では、北朝鮮はミサイル発射や「軍事行動計画」などで国際社会に対する挑発を続けている。中国公船は今年に入ってからほぼ毎日、尖閣諸島周辺の接続水域に入るとともに、月2回程度の割合で領海侵入を繰り返している。南シナ海では、中国公船によるベトナム漁船に対する高圧的な行動が報じられている。また、中国は、南シナ海の人工島に新たな行政区を設けると発表し、支配の既成事実化の動きを強めている。

ところが、国際社会が今関心を寄せる「安全保障」とは、コロナにまつわる保健、経済、食糧の安全保障であり、国家間の伝統的な課題への関心は薄い。7月12日は、4年前に南シナ海問題についてハーグの常設仲裁裁判所が歴史的な判決を下した日であるが、翌13日の米国務長官の声明が米中対立の文脈で注目された程度である。

しかも、感染者の発生により、米空母などの運用にも制約が生じているとの報道がある。米海軍主催の環太平洋合同演習(RIMPAC)も、今年は規模を縮小して行われる。こうしたことが続けば、南シナ海などにおける中国の支配の既成事実化は止めようがない。それだけでなく、米軍の練度や即応度、同盟国・友好国との連携にも悪影響が及びかねない。つまり、地域の安全保障のために必要な力が弱くなる。

「インド太平洋地域」の安定こそ重要

インド太平洋地域には米・中・日という世界の3つの経済大国に加え、経済発展著しい地域大国のインドも位置し、コロナ後も引き続き世界経済をけん引する主要な役割を演ずることとなるだろう。海洋国家・日本の今後の生存は、この地域の平和と安定にかかっている。

今後の日本の新たな安全保障戦略を考えるに当たっては、先に述べたような世界の状況を踏まえれば、次の諸点がとりわけ重要になる。

日米同盟の再定義

日米同盟の抑止効果から大きな利益を得てきている日本としては、米中対立と体制間競争の時代にあって、中国は選択肢とはなり得ない。米国の力の低下は、米国を見限る理由にならない。それは相対的なものに過ぎないからである。日米同盟を、日本の安全保障の基軸として位置付けるという戦略が改めて確認されるべきである。秩序の激変を強調するあまりり日米同盟の意義を軽んじれば、後に必ず後悔することになる。

しかし、米中対立の熾烈化とポストコロナの新たな時代における日米同盟の意義役割は、未だ定義されていない。日米同盟を再定義した上で、今後いかなる安全保障協力を行っていくかを具体的に示す必要がある。米国の次期大統領が誰になるにせよ、日本が同盟強化のイニシアティブを発揮して、米国をしっかりとエンゲイジしていくことが重要である。

多様な脅威への同時対処

パンデミックはグローバル化の負の側面の一つだが、サイバー空間の脆弱性もまた新たな時代のグローバル化の負の側面として、ますます深刻な課題である。こうした非伝統的課題が今まで以上に、国家や国民の安全に対する脅威として顕在化している。と同時に、伝統的な地政学的脅威がこの機に乗じて高まっている。

国際環境が安全保障課題の根本的な再整理を迫るような質的な変化を起こしていると考えてしまうと、非伝統的課題を過度に重視して方向性を見誤る危険が出てくる。インド太平洋地域は、ボーダーレスの「地球社会」というより主権国家間の「国際社会」としての側面が根強く、国家間の伝統的な対立が主要な安全保障課題であり続ける。感染症対策などを安全保障の重要課題と位置付けても伝統的課題がなくなるわけではない。人的資源や財政資源に限度があり、そのような制約が今後ますます厳しくなる中で、「安全保障」の優先順位の明確化と手段の効率化がより重要になる。

国際的な安全保障協力における新分野の開拓

安全保障・防衛協力としての医療・衛生協力や生物・化学兵器対処能力の向上は、パンデミックに共同で対応していく上で有益である。人の往来が制限され諸外国との安全保障協力が停滞する中で、パンデミック対策は安全保障協力の機会の増加につながっている。防衛省は4月半ば以降、いくつもの国との間で二国間の国防相電話会談・テレビ会談を行い、防衛当局として感染症対策を行う中で得られた知見の共有などについて合意している。こうした取り組みが実質的な成果を生むとともに、他分野における協力の進展につながるように積極的に実施していくことが重要である。

バナー写真:陸上自衛隊日出生台演習場(大分県)で行われた米海兵隊の公開訓練で、部隊後方の守備を担う隊員=2020年2月14日(大分合同新聞社/共同通信イメージズ)

安全保障 新型コロナウイルス