新防衛大綱・中期防の論点

部隊派遣なき時代の国際平和協力

政治・外交

2017年に自衛隊が南スーダンから撤収した後、日本の国際平和協力活動は閉塞状態に陥っている。平和構築に関して、日本は今後どのように関わっていくべきなのか。

防衛大綱が5年ぶりに見直される。「サイバー空間や宇宙空間など新領域で優位性を保つこと」が重要なテーマになっているという。筆者にはその具体的な内容を予測できないが、専門である「国際平和協力」の観点から、この機会に検討すべき課題を考えてみる。

閉塞感漂う自衛隊の国連PKO

1992年にPKO法が成立してから、国際平和協力活動は地味ながらも自衛隊活動の目玉の一つであった。陸上自衛隊は、カンボジア、東ティモール、ハイチ、南スーダンに施設部隊を派遣。PKO法以外では、自衛隊は「イラク特措法」にもとづいて、2003年イラクに部隊派遣を行った。07年には自衛隊法において国際平和協力活動が本来任務になった。

しかし現在の状態には、閉塞(へいそく)感が漂う。17年の南スーダンからの陸上自衛隊の撤収は、派遣先の国連PKOミッションが困難な活動を実施している最中だったので、国際社会に極めて奇異な印象を与えた。

現在は国連PKO全体の予算が縮小し、人員も削減されている。経験豊富な兵力を提供できる能力と意思を持つ国が、穏便な削減の対象になっている。「それは嫌だ、あれはやらない、これだけやる」と言い続けながら新規参入するのは、非常に難しくなっている。

日本側の事情も深刻だ。15年の平和安全法制で法整備を行ったが、かえって自衛隊の海外派遣に反対する動きを勢いづかせてしまった感がある。特に稲田朋美防衛大臣の時代(17年)の「日報」紛失問題は、強い閉塞感を生み出した。「戦闘」という語句が日報にあるかないかといった言葉狩りによる国会の空転は、非常にむなしいものであった。

かつての日本であれば、国連予算の2割を負担する第2位の財政貢献国であることを誇り、部隊派遣交渉も行えただろう。しかし今や日本の分担金比率は全体の1割以下であり、中国の後塵(こうじん)を拝して拠出金額は第3位である。北東アジアの超大国である中国は、常任理事国でありながら国連加盟国中で第11位の2500名もの要員を提供しており、マリにおけるPKOのような最も困難なミッションで、殉職者を出しながらも重要な役割を担い続けている。

その中国の資金提供で組織された委員会が、17年末に国連PKO要員の安全確保に関する報告書『クルーズ・リポート』を公刊し、大きな話題となった。同書には「必要な場合に武器使用をためらってはいけない」といった洞察がちりばめられており、国連事務総長も頻繁に引用している。

そこには、「部隊派遣国の本国からの特例要請を認めてはならない」とも書かれている。自衛隊には決定的に不利だ。自衛隊の国連PKOへの部隊派遣には、相当な暗雲が立ち込めているのである。

今後の部隊派遣は困難か

こうした情勢の中で、想定できる方向性は二つだけだ。一つは他国と同じような条件で、国連PKOに参加できるような基盤を整えて部隊派遣をする方向性である。ただし、それにはPKO法の改正はもちろん、憲法改正までもが前提になるかもしれない。

もう一つは、部隊派遣を伴わない国際平和協力活動の充実へと舵(かじ)を切る方向性だ。残念ではある。国連PKOへの部隊派遣は組織的に国際平和協力の現場経験を積むことができ、各国要員との交流も進むため、付加価値が高い。活動現場をあまり持たない日本の自衛隊には、貴重な国際活動の経験の場だ。その部隊派遣の可能性が乏しいと断ずるのは、筆者個人の思いとしては非常に悔しい。だが、現実を冷静に見つめれば、そうした判断も避けられないだろう。

それでは、部隊派遣をしないで国際平和協力活動に関与し続けるには、どうすればいいのか。そこにどんな意義があるのか。

各国政府が求める国益の観点からすれば、国際平和協力活動には以下のような意義がある。

  • 国際公益に貢献して国家の威信を高める
  • 他国と共通の目標を持って従事する国際活動を通じて経験豊富な人材を維持し続ける
  • 支援対象国に対する影響力を確保する

部隊派遣を通じてこれらの目的を達成するのは一つの王道だが、それができないのであれば、他のチャンネルを使って達成していくしかない。

そのために、ここでは三つのことを述べておきたい。「技術」「能力構築(キャパシティービルディング)」、そして「パートナーシップ」である。防衛大綱にも、この三つを通じた国際平和活動への関与を、重要なものとして明確に位置付けてもらいたい。

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