なぜ日本の消費税率はOECD平均を下回っているのか?
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「日本の消費税率は将来的に、経済協力開発機構(OECD)の加盟国平均の19%程度まで段階的に引き上げる必要がある」。今年4月、OECDのグリア事務総長は、麻生財務相にこう提言した。日本の厳しい財政事情にあって、なぜ日本の消費税率はOECD平均を下回っているのか。日本政治の意思決定構造の変遷を確認するとともに、そのプロセスをひもときたい。
所得税中心主義と官僚たちの時代
「幼稚な租税制度」。カール・シャウプ(※1)は、それまで日本が馴染んでいた間接税中心の租税制度をそう表現し、戦災の爪痕残る日本を後にした。
戦前の日本は、酒税などにみられる間接税中心主義であった。戦時中、戦費調達のために所得税の増強が図られ、所得税中心の税体系に転換したものの、この戦時税制は、名目所得を課税単位としたために、戦後のインフレにあって国民を苦しめた。一方で、連合軍総司令部(GHQ)はインフレ抑制のため、減税を認めない。そこで大蔵省は、間接税に頼る。取引高税である。製造・卸売・小売の各取引段階に課税するこの間接税は、しかし中小事業者から猛烈な反発を招き、わずか1年半で撤回されてしまう。
こうした中、戦後日本の税制を諮問するためにシャウプを長とする使節団が来日する。シャウプ使節団は勧告で、「近代的な制度」である所得税を税制の中核に据えた抜本的な見直しを提言した。この勧告は、1950年の税制改正によってほぼ実現された。当時取引高税を担当し、後に主税局長まで務める塩崎潤(※2)は、所得格差の解消に資する所得税の優位性を次第に認めるようになり、シャウプ勧告によって民主主義の理屈を学んだ、とまで語る。こうしてシャウプ勧告は大蔵省主税局に所得税中心主義を植え付け、戦後日本の税制を方向付けた。
GHQが去った後、税制の主導権は主税官僚が握った。主税局が事実上コントロールしていた政府税制調査会(政府税調)が、政府の税制改正に関する最高の意思決定機関となった。54年にフランスで導入された付加価値税(VAT)が世界に広がっても、主税官僚は所得税中心主義を守り、その累進税率の調整による格差解消と減税による国民負担の軽減を機関哲学とした。不況による戦後初の国債発行を受けた66年の税制改正でさえ、大蔵省は所得税減税を実施している。
消費税導入と党税調の時代
「首相のような税の素人は黙っておれ」。“党税調のドン”と呼ばれた山中貞則(※3)はそう言い放ったという。
55年体制下で一党優位体制が確立すると、自民党内に「族議員」が誕生した。また、高度経済成長が終わると、税収の自然増を前提とした利益配分型政治が行き詰まりを迎え、その代わり税制特例や免税、減税と言った租税政策の重要性が増した。1970年ごろには自民党の税制調査会(党税調)が省庁間・業界間の利害対立の調整を行い、特例や免除も含めた税制の細部に影響を及ぼし始めた。特に少数の幹部たちは「インナー」と呼ばれ、官邸も口を挟めないほど、その政治力を強めていった。こうして自民党は、それまで大蔵省が担ってきた租税政策の主導権を奪っていった。
所得税の不公平感や国債発行の常態化に伴う安定した税収の必要性が叫ばれるようになると、主税局は間接税に目を向け始めた。しかし当時の間接税は、自動車、酒など品目を一つ一つ指定する個別消費税であった。関連する業界が結束し多くの政治家が動くと、わずかな品目、わずかな税率であっても、税制の改正作業は難航した。主税官僚たちは個々の業界対応に忙殺されていくうちに、全ての商品やサービスに一定の税率を課す一般消費税の導入に心が傾いていく。
主税官僚が当初頼ったのは首相であった。機を見て首相を説得し、大平正芳は80年度からの実施を目指すことを閣議決定する(79年1月)。中曽根康弘も、85年のレーガン大統領の税制改革に強い影響を受け、一般消費税導入を含む税制の抜本的な改革に意欲を見せた。しかし、ともに有権者の強い反発を受け、大平は79年の衆院選で、中曽根は87年の参院補欠選挙および統一地方選挙で敗北。実施を断念した。
中曽根に次いで首相に就任した竹下登も一般消費税の導入に前向きであった。党税調を率いる山中も、中曽根を税の素人と痛罵したものの、一般消費税自体には理解を示した。中小企業や流通業界の反対こそが中曽根の失敗の原因と見てとった山中は、党税調で各業界団体のヒアリングを丁寧に行い、独占禁止法が禁止する価格カルテルの時限的容認、その他さまざまな中小企業特例を繰り出した。次第に業界は懐柔され、反対意見は弱まった。88年、昭和最後のクリスマスイブに、消費税法案は成立した。それでも翌年の参院選で自民党は大敗を喫するという代償を払った。
しかし、党税調はその後も権勢を保持し続けた。00年代前半、構造改革を掲げた小泉純一郎首相もまた税制論議を党税調に委ね、指導力を発揮しようとはしなかった。
三党合意・税率引き上げ延期と官邸主導の時代
「アベノミクスの成功を確かなものにするため、消費税率の10%への引き上げを18カ月延期する。国民に信を問う」。2014年11月、安倍晋三首相は衆院を解散した。
租税政策における政府に対する党の機関の優位は、度々問題とされてきた。09年、民主党は政権の座につくと、党税調を廃止して政府税調に一本化した。その民主党政権は当初、消費税率引き上げに消極的だった。しかし、リーマンショック後に税収が急速に落ち込む中、方針転換を余儀なくされた。
社会保障の強化を名目にすれば有権者の理解が得られると考えた菅直人首相は、消費税率の引き上げに着手。11年に経済財政担当大臣に起用した与謝野馨が財務省のバックアップを受け、15年度までに段階的に10%に引き上げる案をまとめ、それに菅がお墨付きを与えると言う官邸主導の形で進めた。続く野田佳彦首相も、ガス抜きの場として党税調を復活させたものの、官邸主導で税制改革を推し進めた。
こうした動きに、自民党の党税調幹部たちも同調した。自民党税調は党内を取りまとめ、民主党案を容認し、最終的に「14年4月から8%、15年10月から10%」とする案で民主・自民・公明の三党合意に至り、消費税増税法案は12年8月に可決、成立した。
その年、自民党は政権に復帰。12月に発足した第二次安倍内閣では、官邸スタッフに経産官僚が重用された。アベノミクスを掲げる安倍は増税による景気の腰折れを懸念し、三党合意の履行に積極的な姿勢を見せなかった。
14年4月からの引き上げも、経済産業省の求める法人税改革と抱き合わせる形で、ようやく了承された。財務省が官邸や経産省と折衝し、党税調は蚊帳の外に置かれた。この時、財務省は8%に引き上げてもGDPのプラス成長が見込まれるという予測を安倍に報告していた。しかし、実際はマイナス成長となった。
安倍は財務省への不信感を募らせ、14年11月の引き上げ延期、衆院解散につながっていく。総選挙の結果、与党はほぼ現有議席を維持した。さらに安倍は16年6月にも税率引き上げを再度2年半延期する方針を表明した。
これらの増税延期は官邸と経産官僚が主導したと言われている。財務省、党税調は政策決定過程から外された(※4)。17年の総選挙でこそ、安倍は予定通りの引き上げを宣言したものの、2%引き上げで生じる5兆円強の増収分の半分程度を子育て支援などに充てることを公約に掲げた。借金を返済する予定だった増収分が政策経費に回る。財務省が目指す財政再建は遠ざかる。
消費税と今後の日本政治
取引高税の失敗とシャウプ勧告は、官僚主導の時代に一般消費税の導入を遅らせた。所得中心主義から宗旨替えした主税官僚たちは、税率引き上げは個別消費税よりも一般消費税の方が政治的に容易だと考えた。しかし、一般消費税に前のめりになった歴代政権は選挙に負け続けた。このことから、相当な覚悟がないと消費税には手を出せないという空気が政界では支配的となった。族議員の全盛期、安定した選挙地盤を有する者が多かったインナーたちは、ときに有権者にとって厳しい決断を下した。しかし官邸主導の時代には、与党党首としての首相は党勢全体を考えて判断しなければならない。
とはいえ、2017年の総選挙で安倍政権が、使途の組み替えはあっても正面から消費税率の引き上げを掲げて勝利したのは日本政治では画期的である。永田町の風向きも変わるかもしれない。
一方で、自民党内での党税調の影響力低下に代わり、存在感を強く持ち始めたのが連立相手の公明党である。安倍は10%引き上げ時に軽減税率の導入を決定するなど、公明党に配慮した。公明党は支持基盤である低所得者層への配慮から、消費税制を見つめる傾向にある。自公連立政権が続く限り、公明党の動向も注視するべきだろう。
いずれにせよ、消費税を巡る意思決定の重心の位置の変化は、日本政治全体の重心の変化を反映する。すなわち、中央省庁(官僚)から党(族議員)へ、党から官邸(首相)へ。消費税制の今後は官邸の主人が握ることになる。このパラダイムに乗る限り、それが誰であれ。参考文献
- 石弘光『現代税制改革史 終戦からバブル崩壊まで』東洋経済新報社(2008年)
- 泉美之松・忠佐市・平田敬一郎(編)『昭和税制の回顧と展望 上巻』大蔵財務協会(1979年)
- 加藤淳子『税制改革と官僚制』東京大学出版会(1997年)
- 上川龍之進『小泉改革の政治学: 小泉純一郎は本当に「強い首相」だったのか』東洋経済新報社(2010年)
- 岸宣仁『税の攻防』文藝春秋(1998年)
- 木代泰之『自民党税制調査会』東洋経済新報社(1985年)
- 清水真人『財務省と政治』中公新書(2015年)
- 真渕勝『大蔵省統制の政治経済学』中央公論社(1994年)
(※4) ^ 毎日新聞 2016年6月1日 東京朝刊