
「2015年安保」と新聞報道の“二極化”を考える
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部数漸減で既存の読者を囲い込む戦略へシフト
実際、こうした紙面の画一化は、新聞総発行部数の増加が続いた1997年までは続いていた。新聞の定価は「新聞特殊指定」(1955年)で固定されているため、新聞拡販員が当時こう言っていたことを覚えている。「一年契約してください。うちは3カ月(あるいは半年)、無料で入れさせていただきます。どの新聞も中味はみんな同じですから」。
当時も「中味」がまったく同じわけではなかったのだが、それでも今日ほど異なってはいなかった。現在、新聞の「中味」が分極化しているとすれば、それは増大する発行部数で最大化を目指す競争がもはや成立しなくなったためである。新聞発行部数は漸減を続けており、少子高齢化のため部数拡大の展望はまったく立たない。そのため獲得可能な「他者」に目を向ける攻勢戦略よりも、既存の「顧客」を囲い込む防御戦略を各社は採用している。
進歩的新聞はより反体制的な記事で左派的な読者の離脱を防ぎ、保守的な新聞はより政府寄りの記事で右派的な読者の期待に応えようとする。この結果、コメントする識者の顔ぶれから投書欄までますます両極に引き寄せられ、紙面からは「違和感のある意見」が消えていくことになる。自分の読みたい記事がたくさん載れば嬉しいという感覚は、ちょうどソーシャルメディアのタイムラインで共感する仲間の情報だけを見ている心地よさとよく似ている。
結局、新聞が左右のイデオロギーに二極化するのは、新聞衰退期における生き残り戦略として経済合理的な選択なのだろう。ジャーナリストの側にそう割り切った自己認識があればまだよいのだが、紙面のイデオロギー的な偏りを「社会の木鐸」の正義感に発するものと勘違いしているとすれば大いに危ういことである。
過剰に極化したウェブ空間と“中間領域”を有する新聞
そうした現状をすべて踏まえた上で、ここでは敢えて「新聞の二極化」論に異を唱えたい。過剰なまでに極化したウェブ空間を含めたメディア環境全体を考えると、日本の新聞は今日なお全体としては中間点に位置しているからである。
実際、私個人はこの約4年間、「最左翼」の評もある東京新聞の論壇時評を担当し、おそらく「最右翼」を自負する産経新聞で新聞批評を連載していた(そうした記事の前半2年分は拙著『災後のメディア空間―論壇と時評2012-2013』中央公論新社に収めた)。私は東京新聞でも産経新聞でも「他者」であったはずだが、そうした「他者」が立つべき中間領域がなお両紙の紙面に存在していたことはまちがいない。
一方、場所感覚を欠くインターネットの世界で、原理的に中間領域はありえない。空間(space)は「他者」とのコミュニケーションによって場所(place)となるが、共感する仲間だけが繋がっているウェブ空間で「他者」は意識されにくい。ソーシャルメディアへの書き込みがほとんど推敲されない乱文であり、感情をストレートに表出した極論があふれているのは、「他者」を意識する必要のないウェブの空間特性と無関係ではないはずだ。
「他者」と出会えるプラットフォームとして
「2015安保」の夏、私自身は書斎にこもって『「図書」のメディア史―「教養主義」の広報戦略』(岩波書店)を執筆していた。その際、「1960年安保」論壇のヒーロー、清水幾太郎が「大衆文化について」(『図書』1963年2月号)で語った次の言葉を噛みしめながら、二極化する「舌ざわりのよい」新聞を眺めてため息をついた。
「多くの方々は舌ざわりのよいものしか読まないけれども、インテリは、不愉快な本を我慢して読むという運命に耐えて来ている」。
清水によれば、知識人とは故意に自分を動揺させるような、自分を突き崩すような情報、つまり、多少とも不愉快な情報をわざわざ探し出して、これを一生懸命に読むという方法を持続することのできる人間である。1960年代当時、そうした知的な情報行動をむずかしくしていたのは、テレビ文化の台頭だった。だとすれば、テレビ以上に個人的な「快」情報を志向するインターネット時代に、敢えて「不快」情報を求める人が少なくなるのも仕方のないことだろう。しかし、そうであればこそ、ウェブ時代の新聞は「他者」に出会えるプラットフォームとして生き残る以外に道はないと思うのだが。
(2015年11月24日 記)