震災復興の現実

誤解にまみれた福島の「理解の復興」のために

経済・ビジネス 社会

開沼 博 【Profile】

「福島の問題」として特殊化される福島の現在。だが、実は福島の問題は日本が直面する普遍的な課題と直結している。その認識なくして真の復興は訪れない。

農作物への放射線被害に対する誤解

この福島の問題が普遍的な問題となっている、そう捉えないと、起こっていることの核心に迫り問題解決につながらないという構図は、人口の問題以外にも通じる。例えば、福島の一次産業は、「放射線によってズタズタになって収穫もままならない」というイメージを持つ人も多いだろう。果たしてそうか。二つの問いかけをする。

福島のコメの収穫は震災前(2010年)と比べて、現在まで(2013年)どの程度回復しているのか

答えは85.8%。2010年に445700 トンだったのが2013年382600 トンとなっている。確かに、1割以上もの収穫量の減少は大きな問題だ。

福島産のコメは年間1000万袋ほど生産され、これを対象に放射線について「全量全袋検査」が行われる。このうち放射線量の法定基準値(1kgあたり100ベクレル)を超える袋はどのくらいか。

答えはゼロ。法定基準値を超えるコメは、2012年産が71袋、2013年産が28袋、2014年産が0袋という結果がでている。コメ以外の野菜・果物についても市場に流通するもので放射性物質が特異に含まれるものはほぼ存在しない。

福島第一原発から近い相双地域(双葉地域と相馬地域をあわせてそう呼ぶ)を中心にいまだ生産を再開できない土地がある。ただ、そのような土地でも徐々に生産を再開する土地が出てきていて、双葉町・大熊町ですら、試験的な栽培は始まっている現状がある。作物から検出される放射性セシウムを法定基準値以下に抑える栽培方法・技術もわかってきている。実際、福島産のコメについては厳密な検査がなされ、ほとんど放射性物質が検出されなくなってきている。

「福島産」表示で買い叩かれて大幅な価格低下

ただ、「生産も回復基調だし、放射線への懸念もおさまってきたし、もう問題がない」というわけではない。何が問題か。

それは価格低下だ。

福島産のコメの生産量が壊滅的な打撃を受けたわけではない一方で、その市場での価格は大幅に下がり、固定化している。品種や生産地域、流通方法によってその価格下落の幅は変わるが、例えば、全農県本部が農家から販売委託を受けた際に支払う2014年産米の概算金について言えば、福島産コシヒカリの下落率が高く、浜通りは37.8%、中通りは35.1%の下落。背景には、以前よりあるコメの需要減に加えて過剰在庫、東日本の豊作予想が重なっていることがある。

なぜこれだけ下げなければならなくなるか。それは、そうしないと買い手がつかなくなるからだ。

県産米の46%が関東に流通していることがわかっている。また、52.6%が県外の卸売業者によって買われている。震災、原発事故以前からこの「福島が首都圏の食料庫となってきた構造」は大きくは変わっていない。ただ、他県産米と並ぶ中に「福島産」という表示がつくことで買い叩かれる状況がある。「一般消費者の中には福島産を買い控える傾向がある」とされ、その結果、産地表示などが出にくい外食・中食産業用の低価格のコメとしてしか売れなくなるのだ。

市場メカニズムの中で、一度下がったブランド価値を再び取り戻すのは容易ではない。このような大きな市場での競争を避けて、福島産米の安全性と美味しさを理解する層に直販をする動きなどを通してブランド価値を取り戻す努力をする農家もいるが、部分的なものにとどまる。

消費者の“無意識”が日本の農業を衰退させる

価格低下のきっかけは言うまでもなく、原発事故であり放射性物質だ。しかし、その後、被害を拡大させ続ける構造を固定化しているのは市場メカニズムであり、それを動かす消費者自身だ。もちろん、多くの消費者はそんなことを意図も意識もしていないだろう。

「どうせ農業をこれ以上続けても大変なだけだ。ただでさえ、日本の農業は震災前からもうからなくなってきていた。いまが潮時だ」と農家が農業を続けることを諦める。その背中を押す力になっているのは消費者の「無意識」であり、それが福島の農業問題の本質だ。

そう考えた時に、この問題もまた日本の食が抱える普遍的な問題に接続する。TPP(環太平洋連携協定)や農協改革などのニュースがメディアをにぎわすが、今後、日本の食はこれまで以上に激しい市場競争にさらされる。そして、安全性や品質についての理解が生産者にも消費者にも常に求められることになる。

適切な価格で味・安全性ともに質の高い産品を手に入れるには、私たち消費者が、生産・流通の構造や品質の現状に一定の理解をしなければならない。さもなくば、品質がいいものが生産・流通され続ける体制は維持できなくなり、長期的には質の悪い産品が市場に蔓延するリスクも常に伴う。

ひと言で言えば、そんな弱肉強食と理解の必要性が高まる今後の日本の食をとりまく環境の変化を、福島はいちはやく背負ったと捉えることができよう。

『はじめての福島学』では、ここでとりあげた人口や一次産業を含め、復興政策、雇用・労働や家族・子どもに関する問題などさまざまなテーマについてデータを基に福島の実態を取り上げている。

いま福島の現状を見つめなおすことは、日本の未来を見つめなおすことに直結する。それは誰にとっても自分の足元と地続きの問題だ。そう捉えた時に、理解の復興を進めることの必要性は十分に、広く認識されることになるだろう。これなくして福島が抱える問題が根治していかないことも事実だ。

(2015年4月24日 記)

タイトル写真=農地の除染作業は相変わらず続くが、旧警戒区域でも徐々にコメの生産を再開する方向に向かっている(時事)。

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開沼 博KAINUMA Hiroshi経歴・執筆一覧を見る

社会学者。1984年福島県いわき市生まれ。福島大学うつくしまふくしま未来支援センター特任研究員(2012~)。他に、経済産業省資源エネルギー庁総合資源エネルギー調査会原子力小委員会委員(2014~)などを務める。東京大学文学部卒。同大学院学際情報学府博士課程在籍。著書に『はじめての福島学』(イースト・プレス、2015年)『漂白される社会』(ダイヤモンド社、2013年)『「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか』(青土社、2011年)等。

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