日本の社会保障制度を考える

日本型福祉国家の未来は?

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社会保障支出が膨らむ一方で、現役世代には貧困、格差が広がる日本社会。筆者は新たな時代に対応し、雇用保障と社会保障の連携がつくりだされれば、「日本型福祉の刷新、よみがえりは可能だ」と提言する。

東アジアでは突出した福祉国家の日本

日本は、少なくとも社会保障支出の規模から言えば、非西欧世界における初めての本格的な福祉国家となりつつある。経済協力開発機構(OECD)の統計では、2011年にGDP比で見た社会保障支出は23.1%に達し、イギリスの22.7%をも超えた。「ゆりかごから墓場まで」面倒をみる福祉国家のモデルとしてイギリスを仰ぎ見てきた世代からすると、隔世の感があろう。日本の支出水準は、オランダの23.5%とほぼ同じである。同じ東アジアで日本の次に社会保障支出の規模が大きい韓国が10%に留まっていることを考えると、日本は東アジアでは突出した福祉国家となっていることが分かる。

だが、社会保障支出の規模が大きいということは、必ずしも福祉国家として貧困問題や人口減少への対応に成功していることを意味しない。日本では近年、現役世代の女性の貧困率が上昇し、12.6%に達している。オランダでは、女性の貧困率は4.6%である。母子世帯において貧困が拡がったために、子どもの貧困率も上昇し、ユニセフの統計では14.9%となっている。オランダの子どもの貧困率は5.9%である。

さらに、今日の福祉国家の重要な課題である人口問題への対応においても、人口の減少を食い止めることができずにいる。2014年春には民間の政策提言機関が、2040年までに半数の自治体が人口減で持続困難になる可能性があるというレポートを発表して衝撃を呼んだ。社会保障支出が拡大するなかで、現役世代に貧困や格差が拡がっているのである。これはなぜなのであろうか。

「退職後の高齢者」へ偏る支出構造

その理由は、日本の社会保障支出が年金や高齢者医療など高齢者向けの支出に偏ってきたこと、そして急速に進む高齢化が、こうした支出構造と連動して社会保障支出を押し上げているからである。たとえば日本では高齢者向けの現金給付がGDP比で8.8%で、OECD平均の6.9%を大きく上回る。高齢者向けの支出といっても、正確にはかつて安定し仕事に就き社会保険に加入していた「退職後の高齢者」への支出(年金の公的負担や医療費)であるので、受給資格を欠いた高齢者の貧困もすすむのであるが。

その一方で現役世代について言えば、雇用が不安定化し非正規雇用が拡大するにもかかわらず、保育サービスや公共職業訓練など現役世代向けの支援が弱いために、経済的困窮に陥る人々が増えている。保育など家族向けのサービス・現金給付のGDP比は、日本では1.4%で、OECD平均の2.2%に及ばない。現役世代は、高齢者向けの社会保障支出の負担ばかりを負うことになっているのである。

社会保障支出を拡大しても、貧困や格差が拡がっているとすれば、日本型福祉国家の未来は暗いのだろうか。もちろん楽観は許されない。だが、もはや万事休すというわけでもない。日本型福祉国家のかたちを振り返ると、西欧の福祉国家とは異なって雇用保障を優先するという特徴があった。そしてこの特質を、21世紀の新しい環境のもとで蘇らせることも可能なのである。

再分配前の平等度が高かった日本

表1 1990年代半ばのジニ係数の各国比較

 再分配前再分配後再分配率
ドイツ(1994) 0.436 0.282 35.3%
アメリカ(1995) 0.454 0.344 24.5%
スウェーデン(1995) 0.487 0.23 52.9%
日本(1994) 0.340 0.265 22.0%

Burniaux, et al., 1998.

1990年代までは、日本の社会保障支出はアメリカをも下回っていたが、むしろ貧困率は抑制され、ジニ係数でみた格差もより小さかった。皮肉なことに、社会保障支出が増大するなかで、格差と貧困が拡がっていることになる。

表が示すように、かつて日本のジニ係数は、社会保障支出が抑制されていたために再分配の前と後の改善度(再分配率)は低かったが、当初所得の段階で格差が小さかったために、大きな格差とはならなかった。今日、社会保障支出の増大で、再分配の前と後でのジニ係数の改善度は上昇している。にもかかわらず、再分配前の格差が、低所得層の拡大でそれを上回る速度で拡がっているために、ジニ係数はかつてに比べて上昇しているのである。

算定の基礎が違うので表と単純に比較はできないが、厚生労働省の所得再分配調査では、1999年に0.472であった当初所得のジニ係数は、2010年には0.554にまで上昇した。この間、再分配率は19.2%から31.5%まで拡大したが、再分配後のジニ係数は0.381から0.379と若干の改善に留まり、しかもこの数年では上昇しているのである。

当初分配を重視した日本型福祉国家

では、なぜこれまでの日本は小さな福祉国家であったにもかかわらず、当初所得を安定させることができたのであろうか。それは、再分配(リ・ディストリビューション)に代わって、当初分配(プレ・ディストリビューション)の仕組みが出来ていたからである。

当初分配とは、イエール大学の政治学者ジェイコブ・ハッカーの表現で、当初所得を決める仕組みのことである。当初所得とは、市場のメカニズムで自然に決まるものではない。日本ではこれまで長期的雇用慣行、地方の当初所得を安定させる公共事業や業界保護など、この当初分配の仕組みが男性稼ぎ主の雇用を安定させた。そして男性稼ぎ主は、その勤労所得で妻と子どもを養い、国はこのようなかたちを支援するために、税制や年金制度で専業主婦を優遇した。

日本の再分配が高齢者向け支出に偏っていたのは、現役世代に対しては当初分配が生活保障の根幹となったからである。ところが、1990年代の半ばから、経済の脱工業化やグローバル化を契機として、男性稼ぎ主の安定雇用の基盤が崩れ始めた。

95年に日経連はレポート「新時代の日本的経営」を発表し、全社員を長期的雇用慣行や企業内福利厚生の対象とするのを止め、雇用保障を一部の社員に絞り込んでいくことを提起した。2000年には、公共事業支出のGDP比もピーク時の半分ほどとなり、また、中小企業の業界保護の制度も規制緩和がすすんだ。非正規雇用は1995年には1000万人を突破、2013年には38.2%が非正規雇用となった。

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