「地方創生」―地域の未来をつくる力

「Iターン」と地域活性化——海士町の挑戦

経済・ビジネス 社会

宇野 重規 【Profile】

島根県沖の離島が「地方創生」の成功例として注目を集めている。過疎化と財政危機に追い詰められていた人口2300人の自治体が、一転して活力あふれるコミュニティーづくりに成功するまでの挑戦を紹介する。

サザエカレー、隠岐牛で全国展開

さらに新商品の開発が続いた。安倍首相も紹介したサザエカレーもその一つである。島では肉の代わりにサザエをカレーに入れる習慣があったが、これをレトルト化することで、最初のヒット商品が生まれた。岩牡蠣(いわがき)の開発がそれに続いた。全国から取り寄せた岩牡蠣を研究し、春先に選び抜かれた高品質のものだけを商品化することで、島は新たな販路の獲得に成功したのである。

レトルトのさざえカレーとブランド岩ガキ「春香」の水揚げ場面

隠岐牛も話題になった。牛を放牧で育てる隠岐地方では、足腰の強い牛を生育する伝統があったが、離島による輸送コストのハンデゆえに、これまで稚牛のうちに他の地方に売られることがほとんどだった。これに対し、東京の市場でも評価されるような極めて高品質の成牛のみを、「隠岐牛」のブランドとともに売り出したのである。現在、出荷量は限定されるものの、隠岐牛は全国的に高い評価を受けるに至っている。他にも天然塩や「ふくぎ茶」と呼ばれる地元のお茶など、注目商品が数珠つなぎである。一体、なぜ、このようなことが可能になったのだろうか。

「島生まれ、島育ち」の「隠岐牛」ブランドの牛が、豊かな自然環境の中で飼育されている(写真上段)。さわやかな香りが特徴の「ふくぎ茶」(写真下段左)と保々見湾の海水を使い、伝統的な手しごとで丹念に作られる天然塩の「海士乃塩」

「Iターン」研修生の発想力活かして島の魅力をアピール

秘密の鍵は、本稿の冒頭に書いたIターンである。島の人々は、自らの地域を活性化するにあたって、自ら立ち上がるのみならず、大胆に外部の力を導入したのである。その数は、2004年からの10年間で、294世帯、437人にのぼった。島の人口が2300人ほどであるから、実に驚くべき数字である。しかも、移住者には20代から40代にかけての若い世代が多く、その定着率が高かった。それではなぜ、これほどの人々が海士町に移り住んだのであろうか。

一つのポイントはその研修生制度にある。町は移住者に住宅や多様な行政サービスを提供するだけでなく、研修生の制度をつくって、島の魅力ある商品づくりにあたらせた。研修生は一定期間、島に住んで業務にあたるが、その後を拘束されるものではない。島に残るのも、去るのも自由である。日本の他の地域では、移住者に手厚い経済的支援を行い、その分、過剰な期待をかけて移住者との意識ギャップを生み出すこともあるが、海士町では、来る人に十分な情報提供などのサポートは行うものの、必要以上に拘束せず、自由意志を尊重している点に特徴がある。

さらに、Iターン者の研修生から優れた企画が提案されれば、それを公設民営の施設などを使って、実現化を支援するのもこの島ならではである。すでに挙げた商品化の数々のうち、いくつかは研修生による発案からスタートしている。もともと住んでいる人には当たり前すぎて意識されない島の魅力を、外から来た人の目で再発見してもらい、それを商品化する。このような戦略を自覚的に推進したのが海士町の成功の最大の要因であるように思われる。

「島のデモクラシー」が突き動かしたコミュニティーづくり

とはいえ、旧住民と新住民とがばらばらなままでは、けっして真の意味で島が活性化することはない。両者を交流させ、その一体化をはかったのが、第四次総合振興計画の策定である。しばしば、無味乾燥な数字の羅列であったり、逆に口当たりのいい美辞麗句のオンパレードであったりする自治体の振興計画であるが、海士町のものは楽しいイラストに満ち、しかも具体的である。

15歳から70歳までの新旧住民が一緒になって、「島の幸福論」と題された振興計画策定に積極的に参加した。(写真提供:studio-L)

テーマは「島の幸福論」とされ、特にその別冊には、「1人でできること」「10人でできること」「100人でできること」「1000人でできること」に分かれた、具体的な提案が並んでいる。例をあげると、使われなくなった保育園などを利用して趣味や交流の場として活用する「海士人宿」、放置された竹林の間伐(かんばつ)を行いその竹で炭をつくる「鎮竹林」、海士町の魅力を全国に発信する「AMA情報局」、海士の伝統文化や達人の技を伝える「海士大学」などがある。いずれも具体的な情報源や相談すべき行政窓口などが示されている。

海士町ではこの振興計画を作成するにあたって、住民と行政職員で四つのチームをつくり、一年にわたって議論を続けた。その際、「コミュニティーデザイン」で知られる山崎亮氏を招いて助言を得ている。新旧住民が加わり、徹底した対話の機会をつくったことが、海士町におけるコミュニティーづくりの基礎となったといえるだろう。合併をめぐる住民による自己決定を含め、この島を突き動かしているのは、「島のデモクラシー」とでも呼ぶべきものであった。

追いつめられたがゆえに、住民が当事者意識をもって徹底的に話し合いを行い、そこに外部の移住者を招いて外からの視野とアイディアを加え、さらに新旧住民が一体になってコミュニティーづくりを進める。このような海士町のモデルは、日本の各地域にとっても大きな示唆を与えてくれるのではないだろうか。

(2014年11月20日 記/写真提供:海士町役場)

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東京大学社会科学研究所教授。1967年、東京生まれ。1991年、東京大学法学部卒業、96年、同大学院法学政治学研究科博士課程修了。博士(法学)。政治思想史、政治哲学を専攻。『トクヴィル 平等と不平等の理論家』(講談社選書メチエ)にて2007年度サントリー学芸賞(思想・歴史部門)を受賞。他の著作に『〈私〉時代のデモクラシー』(岩波新書、2010年)、『民主主義のつくり方』(筑摩書房、2013年)等がある。

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