日本と台湾―国交なき信頼関係

台湾拠点の日本人アーティストが人気を集める理由

政治・外交 社会 文化

近年、台湾では俳優や音楽家など日本人アーティストの活躍が目立つ。彼らの人気の理由やその歴史的・文化的背景を、国際交流基金勤務を経て台湾を中心に活動するシンガーソングライターの馬場克樹氏が解説。

台湾で一躍“時の人”となった田中千絵さん

2008年に台湾映画史上で最大のヒット作となった『海角七号(邦題:海角七号 君想う、国境の南)』(魏徳聖監督)に一人の日本人が主演し、ブレークした。田中千絵さんである。田中さんは日本でも俳優として活動していたのだが、この映画の撮影があった前年に台湾に留学し、流ちょうな中国語を身に付けていた。これが幸いし、彼女が中国語で書いていたブログがたまたま魏監督の目に留まり、白羽の矢が立った。

当時、財団法人交流協会台北事務所の文化室長という立場で台湾に赴任していた私は、その年の台北映画祭の行事として「ジャパン・ナイト」という日本映画のプロモーションと映画関係者の交流の場を主催し、田中さんもお招きした。その後、『海角七号』は台北映画祭のグランプリを獲得し、劇場公開後も大ヒットを続け、田中さんは一躍“時の人”となった。

4年後、私は『逆光飛翔(邦題:光にふれる)』(張榮吉監督)の主題歌の作曲者、友情出演の役者として、今度は台北映画祭の会場で観客から拍手をいただく側に回っていた。金馬奨国際映画祭のオープニング式典では、監督や主演俳優たちと一緒にレッドカーペットの上を歩くという幸運もいただいた。2012年に台湾映画のスマッシュヒット作となったこの映画は、2013年米国アカデミー賞の外国語映画賞の台湾代表として出品され、東京、釜山、ベルリンなどの国際映画祭にも招待された(日本では2014年1月劇場公開予定)。

この数年間、私は台湾に身を置き、二つの異なる立場からこの社会を観察してきた。本稿のテーマである日本人アーティストが台湾で人気を集める理由とその背景について、台湾の歴史的・文化的特殊性を手掛かりに、私自身の経験も交えて紹介していきたい。

女優の田中千絵さんが主演した台湾映画『海角七号(邦題:海角七号 君想う、国境の南)』(2008年、日本公開2009年)。台北でミュージシャンとして成功するという夢に破れて台湾最南端の故郷・恒春で郵便配達のアルバイトをする青年と売れない日本人女性モデルの出会いと恋愛を、青年が仕事中に見つけた日本人男性から台湾人女性への60年前のラブレターをめぐる物語を織り交ぜて描く。台湾全土で5億3千万元(約16億円)を超える興行収入を上げ、台湾映画としては過去最高のヒット作となった。台湾のアカデミー賞と呼ばれる「台湾金馬奨」では、最優秀台湾映画賞など6部門で受賞を果たした。

監督・脚本・製作:魏徳聖(ウェイ・ダーション)
キャスト:范逸臣(ファン・イーチェン)、田中千絵、中孝介ほか

日本版DVD発売・販売元:マクザム
(C)2008 ARS Film Production. All Rights Reserved.

中国語が堪能で台湾を愛してやまないアーティストたち

台湾で活躍している俳優や音楽家といった日本人アーティストを見渡してみると、極めて単純な共通項が存在する。すなわち一つは中国語が堪能であること、二つ目は台湾を愛してやまないこと、三つ目は台湾から愛されてやまないことである。

中国語が使えることは、台湾の現在の「国語」が北京語である以上、台湾に暮らし、台湾で仕事を進める上での必須条件である。その習得に関しては、田中千絵さんのように台湾への留学というケースが圧倒的に多い。このほかには配偶者が台湾人であったり、両親のどちらかが台湾人であったりというケースも結構見受けられる。ちなみに私の場合は、たまたま大学の専攻が中国文学だったこと、若い頃上海に留学していたこと、北京での赴任経験があったことで、中国語は何とかなっている。

二番目の台湾のことを愛してやまないこととは、台湾を活動拠点に定めるアーティスト側の台湾に対する思いと言い換えても良いかもしれない。

私の場合は、組織の人事発令によって台湾に駐在することとなり、そこで公務に追われながらも、台湾の自然や台湾の人々の暖かさにインスピレーションを得ては楽曲を作り続けた。やがて、台湾の音楽仲間と出会い、「爸爸辦桌(台湾語でBaba Bandと発音し、パパの宴会の意)」というバンドを結成し、台北市内の「河岸留言」というライブハウスを中心に活動を始めた。3年半の駐在を終えていったん日本に帰国してからも、ほぼ2カ月に1回はバンド活動を続けるためだけに台湾に通っていた。

その後、2011年に友人の張榮吉監督から映画『逆光飛翔』の主題歌の楽曲提供依頼と友情出演の話をもらったのを機に、サラリーマン生活に自ら終止符を打ち、音楽活動に専念すべく台湾の地に再び舞い戻った。なぜ自分がそのような行動をとったのかと問われれば、ここに仲間がいたからとしか言いようがない。もちろん、台湾に渡り台湾にとどまる理由は人それぞれであろうが、私の周囲の日本人アーティストたちを見る限り、少なくとも台湾と何らかの縁があり、台湾に愛着を感じ、積極的にこの土地と関わろうとしている人たちばかりである。

日本人アーティストを受容する台湾の世代構造

三つ目の台湾から愛されてやまないということは、すなわち日本人アーティストを受容する台湾側の思いと言い換えても良いだろう。この点は台湾の歴史的・文化的土壌とも深く関わっている問題であり、今回のテーマの最も大事な点と思われるので、少々紙面を割いて述べてみたい。

台湾は親日的な土地柄だとよく言われるが、財団法人交流協会が2013年1月に実施した「台湾における対日世論調査」によれば、「最も好きな国」として日本を一番に挙げている人は43%に上り、「日本に親しみを感じる」と回答した人も65%に達している。これらの数字だけでも、その親日ぶりは一目瞭然であろう。台湾には日本を歓迎し、受け入れる土壌が最初から用意されている。では、なぜこれほどまで日本的なモノに対する受容度が高いのだろうか。台湾の世代構造に目を向けながら、この問題をひもといてみよう。

私は台湾の現在の世代構造を、日本統治時代に日本語で教育を受けた「日本語世代」、戦後の戒厳令下で日本語の使用が禁止されていた「日本語戒厳世代」、日本のサブカルチャーを同期的に共有する「哈日(ハーリーまたはハールー=「日本大好き」)世代」の三つに分類してきた。

おおむね80歳以上の「日本語世代」の台湾人は、短歌や俳句を詠むグループもいて、ほぼ母語である台湾語と同じレベルで日本語を操ることができる。そして、戦前の日本統治時代がもたらした植民地化のマイナス要素を差し引いても、日本が台湾の近代化に貢献したと積極的に評価する台湾社会のマジョリティの価値観の形成に、そして家庭内での日本に対するシンパシーの形成に常に先導的な役割を果たしてきた。

また、この次世代のほぼ40〜70代に相当する「日本語戒厳世代」は、戦後の約40年間、戒厳令下にあって、学校や職場、公共メディアで一切の日本語の使用が禁止されていた時代である。(なお、この時代は北京語の使用が義務付けられ、本省人[戦前から台湾で生まれ育ち、台湾語を母語とする人々およびその子孫]にとっては台湾語さえも使用が禁止されていた。)では、この世代の台湾の人々が日本語や日本文化に全く触れる機会が無かったかというと、実はそういうことでもない。

一つは、本省人の家庭内では、「日本語世代」の両親が日本語を使い続けたため日本語を自然と身に付けたという人も多い。もう一つは「群星会」という1960〜1970年代に一世を風靡(ふうび)したテレビの歌番組の役割である。当時はもちろん「国語」である北京語で歌われていたのだが、日本の流行歌に中国語の歌詞が付けられていたことも多かった。とりわけ、中国語圏の歌姫として四半世紀も君臨して日本でも人気を博した鄧麗君(テレサ・テン)さんの存在は大きかった。「日本語戒厳世代」の人たちも、実は日本の大衆文化の薫陶を受け続けていたのである。

そして「哈日世代」である。1987年に戒厳令が解かれると、台湾は民主化に向けて一気に加速する。とりわけ、その翌年に蒋経国総統が亡くなり、本省人で「日本語世代」の李登輝副総統が総統に昇格すると、それまでの日本語や日本文化に対する制限が次々と外されていった。また1990年代の世界的な日本語ブームとも相まって、せきを切ったように日本のサブカルチャーが台湾にも押し寄せ、「哈日族」と呼ばれる熱狂的な日本のファン層が若者を中心に形成されていった。

このように、あらゆる世代を通じて日本文化に対する関心、理解が形を変えながらも培われ、継承されてきたのが台湾という土地である。見方を変えれば、台湾を半世紀にわたって日本が支配したという歴史的事実によって、台湾文化の一要素として日本文化が組み込まれ、それが戦後の数十年を経て醸成された形が今日の親日的土壌となっているとも言えるのではなかろうか。

アーティストにとっての台湾の魅力と安心感

ここで台湾文化の多様性やフレキシビリティ、そして台湾の市場としての可能性についても若干触れておきたい。台湾では道教の寺院であっても、例えば南方中国で信仰されている海上安全の女神である媽祖(まそ)に混じって、本来は仏教の観音菩薩(ぼさつ)や儒教の孔子が一緒に祭られていることが少なくない。ご利益があれば何でも受け入れ、多様なものが共存する台湾を象徴する現象である。また、台湾人の転身は実に身軽である。ある商売を始めても、しばらくしてもうからないと判断すると、半年後には別の商売にくら替えをする。その商売がもうかったらもうかったで、時宜を見計らって身売りをし、次の商売を展開する。その軽快感、躍動感は、この道一筋という一徹な職人文化を有する日本とは対極にあるが、アーティストたちにとっては、台湾のこの多様性やフレキシビリティは、かえって居心地の良い自由度の高い空間ともなる。

加えて台湾の人口2300万というコンパクトでかつ敷居の低い市場は、中国、香港、シンガポールをはじめとする華人社会のパイロット市場の役割も担っており、ここでの成功はさらに十数億単位の人口を有する市場にもつながる可能性も秘めている。また、映像や音楽の世界では、言語や国境を超える汎(はん)アジア市場が既に形成されている点も見逃せない。一昔前の流行音楽は、日本でヒットしたものが台湾で中国語に翻訳され、他の中国語圏へと徐々に伝播(でんぱ)していく構図であった。しかしながら、現在はあらゆる情報がインターネットを通じて世界各地に瞬時に均(ひと)しく伝播する時代である。アーティストたちが拠点をどうしても日本に定めなければならない必然性はさらに薄れている。

もう一つアーティスト側の事情を話せば、台湾がチャイナリスクとは無縁であるということも挙げられよう。中国は市場としての魅力は大きいものの、常に政治的リスクも伴う。昨今の尖閣諸島をめぐる日中関係悪化の影響で、中国のテレビで活躍していたある日本人タレントが日本人であることを理由に突然メディアから締め出された。また、台湾を拠点とする日本人の音楽家も、中国側主催者からの通達によって、中国巡回公演のメンバーから外されるということも起こった。たとえ日台間に同じ問題があったとしても、台湾で日本人アーティストが舞台に立てなくなるということはまず考えられない。この安心感は何ものにも代え難い。

東日本大震災からの復興のために台湾から寄せられた支援に感謝するイベント「謝謝台湾」でパフォーマンスをする筆者(左)と映画『逆光飛翔(邦題:光にふれる)』で主演した盲目のピアニストの黄裕翔さん

2011年に発生した東日本大震災の復興支援のために、台湾からは200億円を超す義援金が集まった。このことで多くの日本人が台湾の人々の日本に対する思いを知り、同時に日本人の台湾に対する認識も深まった。そして、日本からさまざまな形で台湾への感謝の気持ちを伝える動きが起こり、台湾の人々もそれを素直に受け止めてくれている。以前は台湾から日本へのいわば片思い的な時代が長く続いていたが、昨今は日本から台湾へのラブコールもかなり頻繁である。台湾を拠点とする日本人アーティストたちは、そうしたラブコールの代弁者としての役割をここで与えられているのかもしれない。

(タイトル写真=映画『海角七号』の場面から[画像提供=マクザム])

 

台湾で活躍する主な日本人著名人(俳優、音楽家・歌手、作家など)

 氏名分野代表作など
田中千絵 俳優 映画『海角七号』、『變身』
北村豊晴 映画監督、俳優 映画『愛你一萬年』、『阿嬤的夢中情人』
蔭山征彦 俳優 映画『海角七号』、テレビドラマ『痞子英雄(邦題:ブラック&ホワイト)』
米七偶(本名:林田充知夫) 俳優 映画『セデック・パレ』、周傑倫(ジェイ・チョウ)「稲香」ミュージックビデオ
楊思敏(本名:鴇田麻美、日本での芸名:小林麻美) 俳優、司会 テレビドラマ『家有日本妻』
藤岡靛(DEAN FUJIOKA) 俳優 テレビドラマ『轉角*遇到愛(邦題:ホントの恋の見つけかた)』
増山裕紀 俳優 映画『變身』
大谷主水 俳優、モデル 映画『變身』
Yukiya(大西由希也) 俳優 映画『セデック・バレ』
加藤侑紀 俳優 映画『愛你一萬年』
日比野玲 俳優、モデル 映画『セデック・バレ』、『一八九五』
小林優美 俳優、司会 テレビ番組『優美的台灣』
瀬上剛 タレント テレビ番組『瀬上剛in台湾』
相馬茜 タレント、元レースクイーン  
大久保麻梨子 モデル、俳優 テレビドラマ『愛情替聲』
葛西健二 俳優、お笑いタレント テレビドラマ『風中緋櫻 霧社事件』
ねんど大介 お笑いタレント テレビ番組『綜藝大集合』
Makiyo 俳優、歌手、司会  
金木義則 音楽家 金曲奨(台湾最大の音楽祭)音楽総合プロデューサー
櫻井弘二 音楽家 張恵妹、蔡依琳(ジョリン・ツァイ)などポップス歌手の楽曲の編曲
若池敏弘 音楽家 タブラ奏者
金光亮平 音楽家 シタール奏者
戸田泰宏 音楽家 ドラマー、台湾ビールCMソング、歌手・楊丞琳(レイニー・ヤン)などの楽曲のドラム演奏
馬場克樹 音楽家 「爸爸辦桌」ボーカル、映画『逆光飛翔』主題歌作曲
愛紗(本名:千田麻衣) 歌手、俳優 バンド「大嘴巴」ボーカル、テレビ番組『超級星期天』、元Sunday Girls
麻衣(本名:佐藤麻衣) 歌手、俳優 テレビドラマ『流星雨之美作篇』、『超級星期天』、元Sunday Girls
青木由香 作家、司会者 著書『奇怪ね』、テレビ番組・ブログ『台湾一人観光局』
木下諄一 作家 著書『蒲公英之絮』、『隨筆台灣日子』
吉岡桃太郎 作家 著書『台灣囝婿之桃太郎哈台記』
片倉佳史 作家 著書『台湾に生きている「日本」』、『台灣日治時代遺跡』
熊谷俊之 写真家 写真展『Time for Taiwan』

(順不同)

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