日本の歴史教科書制度
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現在の日本で、公教育に使われる歴史教科書がどのように作製され、初等・中等教育の教室で使われているのか、以下では、この問題を手短に解説したい。日本の教科書制度の特徴は、最近、各国の日本専門家の間ではよく知られるようになっているが、それ以外の歴史家や公衆の間ではまだ誤解が少なくないようである。
教科書問題の政治的・社会的背景
制度の解説に先立って、簡単にその政治的・社会的背景に触れておくのが良いだろう。現在、歴史教科書は世界的に、国際関係と内政の絡み合った敏感な政治争点を構成している。その争点化や脱争点化は政府や民間運動の動きに応じて変わるが、これが諸国間の対立の火種になりやすい状況は今後かなり長期的に持続すると思われる。それは、歴史教科書が基本的に「国民史」として書かれ、その内容が当該国民の自国・外国に対する歴史認識一般を代表すると見なされがちだからである。各国の成人世代が次世代を「国民」として育てるため、自他につきどのような歴史認識を持たせようとしているのかが、そこに読取れると考えられているのである。
東アジアにこのような問題設定が登場したのは今から約100年前のことであったが、現在の問題の直接の淵源は1980年代にある。日本の敗戦と脱植民地化の約35年後、近隣諸国は日本の歴史教科書に対する批判を始めた。日本の歴史教科書は、韓国・朝鮮の植民地支配と日中戦争に関わる日本の責任について満足な記述をしていないと批判し、改訂を要求し始めたのである。
しかし、現在の東アジアでは、歴史認識論争は日本の責任追及の域を超えて拡がっている。他の諸国の間でも、例えば韓国と中国は、2000年代に入って、古代の高句麗・渤海について歴史的領有権を争い始めた。そこには、近過去の日本の責任という具体的問題を超えた、「国民史」相互の対立という、より根の深い問題が横たわっている。
歴史教科書の問題は、このような深刻な問題を内包している。しかし、ここでは、それを考えるのに必要な基礎的・制度的な事実について、日本に絞って解説するに留めることにしよう。
初等・中等学校における歴史教育
現在の日本には、公教育の制度として、小学校(6年)・中学校(3年)・高等学校(3年)があり、うち小中学校が義務化されている。学校での歴史教育は小学校の最終学年である6年次に始まる。ついで、中学校では、「社会科」の中で「地理的分野」や「公民的分野」とならぶ「歴史的分野」として教えられている。いずれも必修である。小学校では日本史上の人物について教え、中学校では世界史を背景としつつもやはり日本史を中心に教えることとなっている。これに対し、高校(義務教育ではないが、就学率は97%で、ほぼ全員が学んでいる)では、歴史は「世界史」と「日本史」の2教科に分割され、かつ「世界史」は必修であるが、「日本史」は選択科目の一つにすぎない。小中学校では自国史に重きを置く一方、高等学校では外国史を重視しているのである。
教科書制度の枠組み
日本の公教育における教科書制度の特徴は、第1に、小中学校や高校の授業で教科書の使用が義務づけられていることである。(※1)教員たちは自作や市販の教材を補助的に使うことがあるが、教室での授業は教科書の順序と内容に従って展開されるのが基本である。日本の歴史教科書については、東アジアの他国教科書と比べて政治的・イデオロギー的宣伝を抑えているという評価があるが 、(※2))文部科学省の「学習指導要領」が規定するその構成枠組みの影響はかなり強い。日本史と外国史としての世界史との2分割、そして古代から現代に至る日本史の一貫性という思考枠組みは、公教育を通じて日本の成人の心に強く埋め込まれている。
第2の特徴は、教科書を複数の民間出版社が製作し、それらの中から文部科学省が検定し、合格させたものが学校で使用される資格を得ることである。戦前の日本やつい最近までの近隣諸国と異なって、国定制でなく、検定制をとっているのである。この過程では、「学習指導要領」や検定を通じた文部科学省による画一性追求と、出版社や執筆者による独自の工夫と多様性追求とのせめぎ合いが見られる。
第3の特徴は、実際に使用する教科書の選定(採択)が文部科学省によらず、多元的に行われる点である。高等学校と私立の小中学校では各学校が行い、都道府県立ないし市町村立の小中学校ではそれぞれの地方自治体の教育委員会がこれを担当する。ただし、公立小中学校についてはおおむね人口規模を基準に全国を582カ所(2011年現在)の採択地区に分け、採択地区ごとに1つの教科書を採択する制度を設けている。(※3)世界的に見ると、日本の教科書制度は、学校教育において教科書の占める位置が極めて重く、複数の教科書が民間業者によって製作される一方、その選定過程では、資格審査が中央集権的に、採択は地方分権的に行われているのが特徴である。
日本の教室で教科書が使われるまでには、私企業による作製・文科省による検定・学校や自治体による採択という3段階があるので、以下順を追って説明する。
民間の出版社・執筆者による教科書作製
日本の教科書は、文部科学省の定める「学習指導要領」を基準に、民間の出版社によって作製・販売される。各出版社はほぼ5年で1回の改訂を念頭に置いて、教室で新版の教科書が使われるようになった翌年には、次の版の教科書編さんの準備を始める。その編集会議は、1つの教科書ごとに2~3名の出版社員、および大学の歴史研究者や中高の現場で歴史教育に携わってきた教師たちから構成される。教科書の目次を作る際には、教科書の目標と内容の範囲、構成の大枠、そして大体の分量を定めた「学習指導要領」が参照される。これを外れると検定を通る可能性はない。
ただし、指導要領自体は大まかなガイドラインに過ぎないので、具体的な内容については、編集会議が決めることとなる。目次と執筆分担を決めた後、10回前後編集会議を開くが、その際には、従前の教科書を使った経験や、社会の変化に伴う問題関心や視点の移動を織り込みつつ、改訂を検討する。特に、重点をどこに置くか、学習のしやすさ、読みやすさはどうか、そして精神的な発達段階に応じてトピックの選定や表現法を工夫することなどが重要である。教科書会社は、新版が使用開始される2年前までに、約1年余りをかけて原稿をまとめ、それを印刷・製本して、文部科学省に検定の申請をする。
文部科学省による検定
文部科学省は、こうして作製され、申請された原稿本について審査し、合格・不合格を決める。その手続きや基準は、「教科用図書検定規則」 と「学習指導要領」によって定められ、公開されている。それらによると、教科書の審査を担当するのは、文部科学省の内部に設けられた教科用図書検定調査審議会であって、その答申に基づいて文部科学大臣が合否を決定する。日本の官庁の通例として、大臣が審議会の決定を覆すことはめったにない。かつ、審議会の審議は、文部科学省の職員である教科書調査官や同省の任命する調査員(大学から小学校に至る現場の教員で構成。全国で数百人)の調査に基づいて行われる。実際には、教科書調査官が克明な検討を行い、その所見が重視されるようである。審議会の結論は申請の年の11月頃に打ち出される。合格の場合は直ちにその旨伝えられるが、ほとんどの場合、審議会は申請本をそのまま合格させず、決定を留保して、修正を要求する。不合格にすることもあるが、その場合は事前に理由を通告し、申請者が反論し、再議を要求する機会を与える制度が設けられている。
決定留保の場合は、修正を要すべき点を一覧表にした「検定意見書」を、教科書調査官の口頭説明つきで各出版社・執筆者に伝達する。各出版社は、この検定意見に異議申し立てをすることが可能であるが、ほとんどの場合は、検定意見を各社の内部で検討した上で、「修正表」を提出するようである。理論上は、検定意見と執筆者の意見が厳しく対立することがあり得るが、検定意見のほとんどは申請本における客観的事実の誤認や表記の誤りそして文章の曖昧さや難解さに関わる指摘であり、これらの点で出版社側が異論を唱えることは少ない。検定審議会は出版社の提出した修正表を審議し、その後、最終的な合否を大臣の名で通知することになる。
他方、合否の判断根拠は「義務教育諸学校教科用図書検定基準」であるが、その内容は現在、次のようである 。各科目共通に留意すべき要件は、(1)範囲および程度。学習指導要領の内容を過不足なく満たすべしということである。(2)選択・扱いおよび組織・分量。その中には、次のような事項がある。(a)指導要領に照らして、内容上不適切であったり、生徒児童の発達段階を無視したりすることがないようにすること、(b)政治的・宗教的に不偏不党であること。(c)特定の事項、事象、分野に偏らず、全体として調和がとれていること、(d)一面的な見解を十分な配慮なくして取り上げないこと、(e)全体の分量や内容の配分・関連づけが適切なこと。最後の項目は、無償配布されるせいもあって、教科書の定価(2011年現在、中学校の歴史教科書は694円。同規模の市販本に比べて半額以下)に従って分量に厳しい制約があるためと思われる。(3)正確性および表記・表現。上述のように、実際には、これが最も頻繁に審査で引っ掛かる点である。
さらに、社会科(地図以外)に関する検定基準としては、次のような項目がある。小学校と中学校に共通するものとしては、(1)「未確定な時事的事象について断定的に記述して」いるところはないこと、(2)「近隣のアジア諸国との間の近現代の歴史的事象の扱いに国際理解と国際協調の見地から必要な配慮がされていること」、(3)「著作物、史料などを引用する場合には、評価の定まったものや信頼度の高いものを用いており、その扱いは公正であること。また、法文を引用する場合には、原典の表記を尊重していること」、(4)「日本の歴史の紀年について、重要なものには元号及び西暦を併記していること」。
この検定基準は、全体として、教科書に対してできるだけ客観的でバランスのとれた記述をするよう要求している。内容に関しては、社会科への要求のうち、(2)のいわゆる近隣条項と(4)の紀年条項以外は、ほとんどを指導要領に譲っていると見て良いだろう。このような慎重な規制が、一方で、記述分量の制限と相まって、日本の教科書を読み物として面白くないものにしているのは確かであるが、他方では、手続き上の公正さという点では、かなり配慮が行き届いたものとなっているように観察される。検定の実際、基準の運用を見ても、それは肯われうるであろう。
中学校の歴史教科書の場合、2010年に申請をした教科書は8種あり、うち7種が合格した。合格の通知を受けると、教科書会社は見本本を作製して提出し、翌年度に地方の採択地区による審査・選定を受けることとなる。
地方による採択
さて、次は採択の段階である。この関門を通って初めて、検定済教科書は学校の教室、生徒たちの手元に届くことができる。高校や私立(全生徒の約6%強が在学)・国立(同約1%)の小中学校は、学校ごとに検定済教科書の中から選択できるが、都道府県立や市町村立の小中学校は採択地区ごとに選定する。「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」によると、地方自治体の設置する公立学校の教育方針は、都道府県レベルと市町村レベルに置かれる教育委員会(各議会が住民の中から選任)が決定するのであるが、教科書の採択地区は両レベルの中間に、ほぼ3つの市ないし郡ごとに置かれている。2011年現在、全国で582カ所存在し、1つの採択地区ごとに共通の教科書1種を選択し、使用する。(※4)その採択手続きは次の通りである。
まず、都道府県ごとには教科用図書選定審議会が置かれ、学校の校長や教員、教育委員、学識経験者が、数学や世界史などの教科ごとに数人の教員に委嘱して行った調査をもとに選考資料を作成し、各採択権者に対して指導・助言を行う。都道府県の直轄学校(養護学校や中高一貫校などがある)の場合はこれが直接に選定に反映される。他方、中学校の大多数が所属する採択地区では、それぞれに採択地区協議会を設け、ここでも教員などからなる調査員などを置いて共同の調査・研究にあたり、それを参考として選定を行う。これが最終決定となるのである。
この採択の過程は、文部科学省内部の検定過程と対照的に、生徒の保護者などの意見がより多く反映されるような制度になっている。小中学校の教員や学識経験者もメンバーで、その意見も重視されるが、それだけではない。今世紀の初頭、「新しい歴史教科書をつくる会」が登場し、国家主義的な歴史教育を主張したとき、その運動の焦点をこの地方における採択過程に置き、生徒の保護者や各教育委員会、さらに市町村議会などに働きかけて、現場の教員や学識経験者の影響力を排除しようとしたのは、このためであった。(※5)
むすび
日本の教科書制度は、文部科学省による検定の段階では手続き的透明性、地方での採択の段階では住民意志の反映が、それぞれ重視されている。要するに、透明で分散的な決定の手続きを定め、それによって憲法の定める自由民主主義的な国制にふさわしいものとなっているのである。
ただし、このような制度は、第2次世界大戦後の民主化から直ちに生まれたものではない。(※6)1960年代半ばから、文部省(当時)による教科書検定に対して、家永三郎教授をはじめとする教科書執筆者や出版労働者、そして中学・高校の教員たちが激しい抗議行動を展開した。彼らは、文部省の検定を憲法で禁止された検閲に当たると主張し、3回にわたって裁判に訴えた。彼らは当初、おおむね各裁判で敗訴したが、1990年代になると実質的に勝訴した。裁判所は、文部省による検定自体は合憲であると判断したが、文部省による個々の修正要求は恣意的で不法であると判決し、以後、文部科学省はこれに沿って、検定による修正要求を自制するようになったのである。
この背景には2つの変化があった。1つは日本社会が自由民主主義を自明の価値と見なすようになったことである。戦後の文部省には、大日本帝国時代の価値観を奉じ、民主化に抵抗しようとする人々がいたが、その人々は加齢とともに退職し、逆に戦後の民主教育を受けた人々が幹部になっていった。世代交代の影響は裁判官においても著しいものがあった。もう1つは、1980年代から近隣諸国が日本の歴史教科書の内容を批判し始めたことである。当時の諸内閣は、経済大国化に次ぐ政治大国化を志向し、そのために近隣諸国との協調を特に重視していたため、この要求に配慮して、「教科書検定基準」を改定し、先に見たいわゆる近隣条項を盛り込んだのである。
教科書検定の制度を透明化し、恣意的な介入を抑制したことは、結果的に近隣諸国からの要求の採用を抑制するように機能した。韓国・中国は、当初、国定制を実施していた自国と同じく、日本政府は教科書の内容に介入できると見込んでいた。日本の外務省に圧力をかけ、それを文部省に転ずれば、検定制度を用いて自国の歴史解釈を教科書会社や執筆者に採用させられるだろうと考えたのである。しかし、これは当時の日本政府の自由化志向と背反し、かつ危険な道でもあった。いったん、検定による教科書への大幅介入を認めたなら、それはむしろ一部の日本の政治家や団体に対し、比較的リベラルな内容を維持していた歴史教科書を国家主義的に変える強制力を与えるという、意図と逆の結果をもたらす可能性があったからである。1990年代半ばに登場した「新しい歴史教科書をつくる会」の運動や2001年の激しい教科書論争、さらに首相の靖国参拝問題は、この落とし穴の存在を如実に示す事件であった。
しかしながら、1990年代までに形成された教科書検定の新しいリベラルな運用法は、結果的に、この激しい政治的激動をくぐり抜け、その堅固さを証明することになった。現在の日本で、この制度・慣習を大きく更めようとする運動が勢力を得る可能性はないだろう。
ただし、歴史教育の中身に関しては、いま学界・教育界から反省の声が上がっている。日本史と外国史の分断はグローバル化の進む世界で適切だろうか、歴史教育は無味乾燥な知識の記憶だけに終わって良いものだろうか、などという反省である。いずれ、10年に1度の「学習指導要領」の改定期が来るが、その際にこのような議論が反映されることが期待されている。(※7)
(※1) ^ 制度の記述に関しては、主に次による。文部科学省初等中等教育局「教科書制度の概要」(2011年6月)。次に所収の拙稿も参照。Yang Daqing, Liu Jie, Mitani Hiroshi and Andrew Gordon, eds., Toward a History Beyond Borders: Contentious Issues in Sino-Japanese Relations (Cambridge, MA: Harvard University Asia Center, 2012).
(※2) ^ Gi-Wook Shin and Daniel C. Sneider, eds., History Textbooks and the Wars in Asia: Divided Memories (New York: Routledge, 2011
(※4) ^ この制度は1960年代初頭に義務教育教科書の無償配布とともに導入されたものであるが、採択地区と市町村の教育委員会との間に意見の齟齬が発生する可能性を秘めていた。2012年現在、沖縄県の八重山諸島で、それが現実問題となっている。例えば、沖縄タイムスのウェブページを参照。
(編集部注:2011年8月、八重山諸島の石垣市、竹富町、与那国町の教育委員会で構成される八重山採択地区協議会が、採択地区内の中学校の公民教科書[2012年4月から使用]として、「新しい歴史教科書をつくる会」から分かれた「教科書改善の会」による育鵬社の教科書の採択を決定したが、竹富町教育委員会はこれに反対し、東京書籍の教科書の採択を独自に決定した。)
(※5) ^ 三谷博編『歴史教科書問題』(東京:日本図書センター、2007年)
(※6) ^ 同上
(※7) ^ 日本学術会議の提言「新しい高校地理・歴史教育の創造-グローバル化に対応した時空間認識の育成-」(2011年8月3日)