漂流する日本の教育

大学改革と教育基本法改正で、日本の教育は復活するか

教育 社会

文部科学省の事務次官として教育基本法改正に携わり、退官後は山形大学学長として地域に根差した大学改革に取り組む結城章夫氏。日本の教育が抱える課題と、解決に向けての道筋について論じる。

“徳育”が不足した戦後教育

大学の改革と同時に進めなければならないのが、初等中等教育の充実であることは間違いない。

初等中等教育においての教育の基本的な目標とは、「知・徳・体」つまり、頭脳・心・身体をバランスよく成長させることだ。これはいつの時代も変わらない普遍原理であるといえる。日本においては、古くから、知育・徳育・体育という言葉で示されてきた3つの分野である。

私は、現在の日本の教育で一番問題なのは、徳育の不足であると考える。知育の分野において学力低下が話題になることが多いが、日本の子どもの平均的な学力は高く、それほど悲観する必要はないように思う。体力低下も一時懸念されたが、最近では下げ止まりの傾向(※1)を示している。問題は心の分野、徳育だ。

日本の教育の根本には教育基本法があり、その下に作られた約30の法律によって「日本の子どもに何を身に着けさせるか」が定められている。旧基本法は、戦後間もない1947年に制定されたもので、当時の時代背景が色濃く反映されていた。ほぼ同時期に制定された日本国憲法の考え方とも共通しており、個人の尊厳、個人の自由を尊重するということが非常に重視されていた。一方、教育勅語が「滅私奉公」や「愛国心」を強調しすぎて、子どもたちを戦争に駆り立てたという反省のもと、戦前の教育は完全に否定された。

その結果、「公」という概念が欠落し、権利があれば義務が伴い、自由があれば規律も必要である、というバランスが教育上重要であるにもかかわらず、旧基本法は「個人」に偏った内容になってしまい、戦後教育のゆがみを生むことになったと思う。

たとえば「道徳」の授業を例に挙げると分かりやすい。戦前に「修身」として行われていた道徳教育の授業は、戦後の1946年に中断。1958年になって学習指導要領に盛り込まれ、「道徳の時間」として週1回の授業が復活した。しかし、反対運動もある中で、子どもの心の教育としてはうまく機能してこなかったように思う。道徳の教科書も作られず、担任の教諭がホームルームのような雰囲気の中で伝記を読むというような授業だった。教える側の教員たちも、道徳の授業を受けた経験がなく自信を持って教えられない、という状態が長く続いてしまった。

その結果が悩みを解決できない、考え方に芯が通っていない、気持ちのよりどころがないというような、子どもたちの心の崩壊を招いたと思う。いじめの問題、不登校や学級崩壊などの要因にも、子どもたちの心の崩壊があるのではないだろうか。これらの問題は、親の世代から、心の教育がないがしろにされてきたことに端を発している。社会全体の崩壊を防ぐためにも、約60年間続いた偏った教育のひずみを解消し、心の教育の立て直しが必要であると、切実に考えてきた。

教育基本法の改正で「心の教育」はよみがえるか

問題意識は多くの人に共有され、その後、こうした議論が取り上げられるケースが増えてきた。臨時教育審議会(※2)とか、教育改革国民会議(※3)とか、いろいろな場所での議論を経て、2006年12月、教育基本法が全文改正された。

新しい教育基本法で、一番変わった点は、第2条に書かれた「教育の目標」の部分だ。旧基本法には含まれていなかった、公共という概念や自律の精神といった考え方が新たに取り入れられた。

条文が決まるまでにもっとも時間がかかったのが「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと」という部分。愛国心をめぐる表現について各方面からさまざまな意見が出て問題になったが、だれも異存がないバランスのとれた内容に落ち着いたと思う。先述した通り、公と私、自由と規律のバランスを分かりやすく盛り込んだ、練りに練った文章だ。私も文部科学事務次官としてかかわったが、国会議員、学識経験者、官僚が皆、大変な努力をして書き上げたものだ。あとは、これをどう教育の現場、各教室で実現していくかにかかっている。

改正教育基本法が掲げる教育の目標

第二条

教育は、その目的を実現するため、学問の自由を尊重しつつ、次に掲げる目標を達成するよう行われるものとする。

一 幅広い知識と教養を身に付け、真理を求める態度を養い、豊かな情操と道徳心を培うとともに、健やかな身体を養うこと。

二 個人の価値を尊重して、その能力を伸ばし、創造性を培い、自主及び自律の精神を養うとともに、職業及び生活との関連を重視し、勤労を重んずる態度を養うこと。

三 正義と責任、男女の平等、自他の敬愛と協力を重んずるとともに、公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと。

四 生命を尊び、自然を大切にし、環境の保全に寄与する態度を養うこと。

五 伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。

ハイライト部分が新たに加えられた目標)

新しい教育の理念を、学校の現場で実現するために

教育基本法の理念を実現するために、翌2007年に学校教育法など教育三法が改正された。さらに、どの学年で何をどう教えるかということを具体的に決めた学習指導要領の改訂が行われた。そして、新しい指導要領に合わせた新しい教科書が作られ、学習指導要領に沿っているかどうかについての検定が実施された。いよいよ小学校では2011年度、中学校では2012年度、高等学校では2013年度から、新しい教育へのスタートが切られる。

新指導要領については、“脱ゆとり”という観点で語られることが多いが、もっとも重要なのは、新しい教育基本法が重視する、日本人に心の教育を取り戻すという点にある。しかし、教育が変わるまでにはまだまだ時間がかかるだろう。60年間も続いてきた以前の教育方針から軌道修正して、今始まったばかりの教育を受けた子どもたちが大人になり、次の世代の教員になったり、親になったりして、少しずつ変わっていくからだ。それくらいの時間がかかることは覚悟しなければならない。

しかし、悲観する必要はない。2011年3月11日に東日本大震災が発生したとき、ほとんどの日本人が「何かをしてあげなければ」という気持ちになり、ボランティアなど実際に行動を起こした人も多かった。被災地でも利己的な人はほとんどおらず、困っている人のためにという考え方が主流だった。これは、戦後60年の間に個人の利益を重視し、経済合理性や効率化を追求する中で、覆い隠されてきた日本人の心の奥底にあった良いものが、大震災をきっかけに表に現れたのではないだろうか。縄文時代から培われてきた、助け合う心、思いやり、絆、といったものが失われてはいなかった証左でもある。新しい教育基本法の下で、古くから日本人が持っていたすばらしいものを伸ばしていくことが望まれる。

(2012年3月6日談 構成:nippon.com編集部)

(※1) ^ 文部科学省「平成20年度体力・運動能力調査」の概要

(※2) ^ 1984年に設置された中曽根康弘首相の諮問機関。

(※3) ^ 2000年に設置された小渕恵三総理の諮問機関

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