3.11後の日本

東日本大震災後の危機管理

政治・外交 社会

1995年に発生した阪神・淡路大震災と、今回の3月11日の東日本大震災。同じ大震災といっても、前者は地震による家屋倒壊と火災、そして後者は津波と原発事故による放射能汚染という複合災害であり、内容は大きく異なる。この2つの大震災から、日本の危機管理体制のあり方について、元内閣官房内閣情報調査室長大森義夫氏が考察する。

まやかしの政治主導

今回の災害にあたって、民主党政権の失敗は数多い。特に行政組織からの情報吸い上げがうまく行かず、かつ政治主導の名の下に官邸の指示がご都合主義であったり、発表が訂正されたり遅れたりして不信感を招いた。

しかし真の問題点は、危機管理のメカニズム自体にあったのではないだろうか。

その1は、原子力発電の監督管理に国家が責任を持つ組織体制がなく、東電を指揮できる専門技能を集約できていなかったことである。米国の原子力規制委員会(NRC)の仕組みに学ぶ必要があるし、原子力管理について自衛隊の専門部隊を育成する必要がある。

その2は、日常から非日常への切り替えが決断されなかったことである。その根底には、非常事態規定を欠く憲法の問題があることを既に指摘したが、16年前の「阪神」の苦い経験を繰り返さないためにも直ちに「非常時権限」について国民的議論を巻き起こさなくてはならない。

その3は、原発には万が一の事故は起こり得ることが議論される環境がなかったことである。事故を前提とする装置や措置を、住民に不安を与えるからという理由で採用せず、原発の危険性を指摘する少数意見を抑圧してきた。ヒロシマ、ナガサキ以来の日本国民の核に関する感情を斟酌してきた結果ではあるが、原発の安全性構築と万が一の場合の事故対応は矛盾するものではないことを、フランスなどの例に倣って、この際明確にする必要がある。

この記事につけられたキーワード

東日本大震災 SNS 自衛隊

このシリーズの他の記事