3.11後の日本

東日本大震災後の危機管理

政治・外交 社会

大森 義夫 【Profile】

1995年に発生した阪神・淡路大震災と、今回の3月11日の東日本大震災。同じ大震災といっても、前者は地震による家屋倒壊と火災、そして後者は津波と原発事故による放射能汚染という複合災害であり、内容は大きく異なる。この2つの大震災から、日本の危機管理体制のあり方について、元内閣官房内閣情報調査室長大森義夫氏が考察する。

評価された公徳心

変わらないものの2つ目は日本人の公徳心である。日本に批判的な中国メディアでも「民衆は冷静で秩序を保ち、素質の全体的水準を示した」と報じており、従来バイアスのかかった教育や報道で作り上げられてきた日本人観が、各国において災害時のテレビ画面を通じ、正しく認識される契機となった。

天皇陛下のメッセージがビデオ映像で、しかも被災後5日目に公開され、国民各層に広く感銘と共感を持って迎えられた事実は、日本の国情を示すものとして記録に残したい。陛下のお言葉は被災者たちへのいたわり、諸外国からの救援に対する謝辞、自衛隊・警察・消防・海上保安官などへのねぎらい、速やかな復興への希望を行き届いた思慮で過不足なく伝えるものであり、日本の文化的伝統を強く感じさせた。


各地から10万人を超える自衛隊が被災地に派遣された。行方不明者の捜索以外にも、炊き出しなど支援作業は多岐に渡る。(写真提供=防衛省)


仮設風呂の順番を待つ人たち。(写真提供=防衛省)

今回の大震災復旧で存在感を発揮したのは10万6000人余の部隊を動員した自衛隊である。「阪神」では、地元の首長で認識を欠く者がいたため自衛隊の初動が遅れ、復旧作業に支障が生じ反省事項となっていたが、今回は自衛隊側の立ち上がりも迅速で効率的であった。今回初めて陸上自衛隊東北方面総監を指揮官とする陸海空3部隊の統合運用がなされたことも、エポック・メイキングな実績である。

死者に対する礼譲とか、温かい食事や風呂を被災者に提供して自らは苦難にあまんじたといったエピソードが伝えられた。

自衛隊に対する認識は大いに高まった。人情話で終わらせることなく、出動した自衛隊に被災地域内の時限的行政権を与えるように法改正することを提言したい。極度に混乱した現場の整頓に必要である。また、放射能災害処理のために、米軍なみの防護服や無人ロボット・除染剤などの装備資機材を整備する必要がある。

奏功した「トモダチ作戦」

米国のオバマ大統領の反応も早かった。


大震災が発生した直後から、アメリカ軍による「トモダチ作戦(Operation Tomodachi)」が開始される。この作戦には、最大人員約2万人、艦船約20隻、航空機約160機が投入された。(写真提供=アメリカ太平洋艦隊)

地震発生から5時間20分後には「日米の友情と同盟は揺るぎない」との声明を発表した。在日米軍、ハワイの太平洋軍の対応も早かった。「オペレーション・トモダチ」と命名して、地震で汚泥に埋もれた仙台空港を大型輸送機と大型重機を投入して迅速に機能回復したり、海兵隊が、強襲揚陸艦「エセックス」を用いて離島に上陸して瓦礫を片付けるなど、米軍ならではの活躍貢献をした。

防衛省・横田基地・仙台の3カ所に「日米共同調整所」が設けられ、日米の部隊統合運用が初めて行われたことは、日本の安全保障政策上有用なインパクトを近隣諸国にも伝えたことであろう。

もとより日本の自主的な危機管理対応を考えれば、楽観的にばかりはなれない。

福島原発の放射能漏れが伝わるや米国は直ちに沖縄の嘉手納から放射能を探知するRC-135を飛ばし、グアムから無人偵察機グローバル・ホークを飛ばした。そして炉心の融解(メルトダウン)を察知して、自国民に80キロ以遠退避を勧告した。

日本側に米国と較べて観測能力の不足があったのか、首相官邸の政治的な反応ミスなのか(後者の可能性が高いと思われるが)、日本国内で発生し、日本国民の生命に直結する事態であったにもかかわらず、米国の判断と対応の方が適切であったことは実に嘆かわしい。

次ページ: まやかしの政治主導

この記事につけられたキーワード

東日本大震災 SNS 自衛隊

大森 義夫ŌMORI Yoshio経歴・執筆一覧を見る

1939年東京生まれ。1963年 東京大学法学部卒業後、警察庁入庁。鳥取県警察本部長、警視庁公安部長、警察大学校長、内閣官房内閣情報調査室長を歴任。主な著書に『「危機管理途上国」日本』(PHP研究所/2000年)、『日本のインテリジェンス機関』(文春新書/2005年)など。

このシリーズの他の記事