3.11後の日本

東日本大震災後の危機管理

政治・外交 社会

1995年に発生した阪神・淡路大震災と、今回の3月11日の東日本大震災。同じ大震災といっても、前者は地震による家屋倒壊と火災、そして後者は津波と原発事故による放射能汚染という複合災害であり、内容は大きく異なる。この2つの大震災から、日本の危機管理体制のあり方について、元内閣官房内閣情報調査室長大森義夫氏が考察する。

非常事態規定の欠如

次に、16年前と比較して変化していない要素を指摘したい。

その1は国家(憲法)に非常事態の規定がないことである。この点は、同じ第2次大戦の敗戦国ドイツが、20年に及ぶ国民的大議論の末に憲法に盛り込んだのと著しい対照をなす。非常時に私権を制限できる規定がないから、瓦礫は私有財産であるとして撤去が進まないし、被災地を安全な街区に作り直す都市計画も、地権者の意向に逆らえない。

災害対策基本法による「災害緊急事態」を宣言すれば、内閣総理大臣に生活必需物資の価格統制など一定の緊急措置権限が与えられるのだが、菅内閣は宣言しなかった。その理由は詳らかでないが、平時から非常時へのドラスティックな切り替えができなかったのである。

わが国でも近年「武力攻撃事態対処法」、「国民保護法」が制定され、防衛上の有事に関しては体制整備が前進したが、今回大震災への緊急措置発動が見送られた背景には、やはり従来からの憲法解釈に引きずられた側面があると思われる。結果として日常的な各省縦割りの行政が被災地に持ち込まれて、スピーディな対応を欠いたのである。

不徹底な住民退避基準


2010年10月、訓練が行われた静岡県の浜岡原発(中部電力)。今後30年以内に87%の確率で東海地震が発生する予想されることから、2011年5月に菅直人首相が運転停止を要請した。

原子力災害に関してだけは、1999年に東海村の核燃料加工施設において臨界事故が発生した教訓から「原子力災害特別措置法」が制定されており、それにより総理大臣に各種の指示権が付与されている。今回は同法に基づくスキームにより、初めて「原子力緊急事態宣言」がなされたケースであり、総理の指示権も発動されたが、その後の経緯が示すとおり、原発周辺住民への退避基準が明確でなく、退避の徹底もはかられなかった。つまり、法律的にも具体的な規定に欠け、実務的には事前の想定と訓練に真剣な詰めを欠いていたと言わざるをえない。特に昨年10月に「浜岡原発で冷却電源を喪失」という事態を想定した訓練を実施していながら、総指揮官の菅直人首相自身が訓練した事実すら忘れていたのは、事前準備の甘さの象徴である。

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