3.11後の日本

東日本大震災後の危機管理

政治・外交 社会

1995年に発生した阪神・淡路大震災と、今回の3月11日の東日本大震災。同じ大震災といっても、前者は地震による家屋倒壊と火災、そして後者は津波と原発事故による放射能汚染という複合災害であり、内容は大きく異なる。この2つの大震災から、日本の危機管理体制のあり方について、元内閣官房内閣情報調査室長大森義夫氏が考察する。

生活拠点としてのコンビニ


コンビニエンスストア各社が、移動販売車を4月中旬から投入。(撮影=久山城正)


トラック内には、被災地に不足しがちだった生活用品や食料品が陳列されている。(撮影=久山城正)

(2)のコンビニエンスストアの役割増大は「阪神」の時も注目された社会現象である。昔の公民館や警察の交番に代わって、当座の食料・飲料と情報(ラジオやパソコン)、休憩施設(トイレ)を備えており、ロケーションも便利なコンビニエンスストアが地域住民の拠り所となった。

全国的なチェーン店の場合、組織力を総動員して被災地の店舗に不眠不休で食料等を急送した差配力が光る。しかし、注目すべきは店舗が破壊され、商品が散乱した混乱の中でも仮店舗を立ち上げ、家族の被害もあっただろうに顧客への販売を優先した店長と店員(パート従業員を含む)たちの奮闘である。特定の大手チェーン、特定の地域に限らず、緊急時にこうした最善の顧客サービスが確保されたのは、本社による日頃の訓練や教育の成果でもあろうが、店長以下とっさの現場力が発揮されたと言うべきである。現場リーダー以下が一体となって協働して成果をあげる、これは歴史上よく見られる日本人の行動パターンである。慶應義塾大学の土屋大洋准教授によれば、生物学から派生した「創発(emergence)」とよばれる社会学的現象であって、蟻が強力なリーダーなしでも協働して巣を作るのと同様だという。従来の危機管理思想はいわば米国型で、情報を一箇所に集約して強力なリーダーシップの判断の下に、統一した施策を実行することを想定していた。しかし、日本社会の強みは各員の判断力の確かさと責任感の強さにあるのだから、緊急時の行動のイニシアティブを現場の「創発力」に委ねておくのが効果的ではないだろうか。本社は戦略指揮や教育の機能を受け持ち、現場が集中力を発揮するという役割分担である。

国際化した生活

(3)の国際化も16年前と較べると身近な国民生活レベルで驚くほど進行した。

日本は従来被災国へ援助を供与してきたが、今回は150にのぼる諸国から援助の申し出を受けた。緊急援助隊も各国から速やかに来訪した。他面、外国籍のビジネスマンや研修生・労働者等が一斉に帰国したので町はガランとし、営業や製造に支障をきたす事態ともなった。

外国人で災害の犠牲となった人々も出て、外国人をふくむ「災害弱者」に対する日頃の広報や避難指導の必要性が改めて認識された。

政府・東電による原発事故の発表にあたっても、日本人記者中心の日本語による応答という従来通りのパターンではまったく不十分で、IAEAなど国際機関との共同調査を経た共同発表を実施しなければ、各国での正しい理解は得られない。これは痛切な反省事項である。外国(人)に向けた信頼される情報発信の仕組みを根本から考え直さなくてはいけない。

品薄となったミネラルウオーターが韓国から輸入されたり、乾電池が東南アジアから緊急輸送されたり、「国際化」の実態は庶民レベルでも実感された。一方、東北地方には下請けの部品メーカーが集結していたことから、サプライ・チェーンが機能麻痺に陥り、世界各地で自動車生産がストップするなど影響波及の速さと拡がりに改めて驚かされた。

生産が合理化され、世界的な規模で「ジャスト・イン・タイム」方式が確立されているから、発注と納入を担保する通信と輸送力確保の重要性が再認識された。

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