3.11後の日本

創発的破壊が日本を復活させる

政治・外交 社会

今年3月に発生した東日本大震災は、日本に戦後最悪の被害をもたらした。被災地復興と共に、パラダイム・チェンジを迎えた日本。脱原発・脱炭素社会を目指し、新たな日本の創造が試される。

日本は未曾有の大災害・東日本大震災に見舞われた。この地震と津波による大災害から100日以上経ったいま、この災害の本質は天災ではなく人災として歴史に名を留める可能性が出てきた。政府と東京電力の対応のちぐはぐさ、原発推進の影に隠されていたいくつもの無理や無駄。そして、目を覆いたくなるような政治家たちの醜態。さらに、明確な方針もないままに展開される復興案や増税論。1000兆円に達しようという借金大国・日本にさらなる大試練が降りかかったとしか言いようがない。しかし、まさにこの災い転じて、まったく新しい日本を創造する時が到来したと考えよう。「日本がどうあるべきか」を新しい文脈で考える幸運に遭遇したのである。

戦後日本のパラダイム・チェンジ

まず、戦前と戦後における日本のパラダイム・チェンジを概観してみよう。戦前の日本では、日本の成長を阻む三つの物理的な不利が想定されていた。

  1. 天然資源、とくに石油に恵まれない
  2. 四方を海に囲まれた小さな島国である
  3. 7500万人にも上る過剰人口が存在する(当時のドイツが6000万人、フランスが4000万人)

この不利な条件を理由に、日本は東南アジアや満州に領土的拡大を図ったのであった。その帝国主義的野心は結果として惨めな敗戦を迎え、日本は再びゼロからの出発を余儀なくされた。しかし大方の予想に反して、日本はその後奇跡的な発展を遂げて、世界で二番目の経済大国にのし上がったのであった。ここで、注目したいのが、戦後日本のパラダイム・チェンジである。戦後の経済発展のパターンは、戦前とはまったく違う考えに基づいて構築された。それは、

  1. 天然資源がないならば輸入しよう
  2. それには四方を海に囲まれた島国は好立地である
  3. 日本にはすぐに1億人に達する広大な内需と、優秀な労働力が存在する

事実、日本は世界から原料を輸入し、大量生産・大量販売を実践した。人口過多と思われていた国内市場はそのための一大実験場となり、そこで試された日本製品は付加価値を付けて世界に輸出されたのである。これほど見事なパラダイム・チェンジは歴史的にも特筆すべきものであった。

来るべき時代:脱原発・脱炭素社会のリーダー

では、大震災後の大きな時代観、来るべき未来とは何だろうか。目を閉じて冷静に考えれば、世界が羨む日本の未来はすぐに見える。それは、

「脱原発・脱炭素社会の国際的リーダーとして、分散化した都市国家を築き、これまでの半分以下のエネルギー消費で豊かな暮らしを続け、そのノウハウを世界と分かち合うことで富に換えているという姿だ」

まず、この大震災で明らかになったことは、原子力発電のきわめて危険な姿と、それに依存する経済体制の脆弱性である。すでに多くの指摘がなされているように、原子力発電は核燃料の最終処理に未だ解を持たないテクノロジーである。プルトニウムの半減期が2万4000年だとすれば、安全な物質になるにはその10倍もの時間が必要ともいわれ、再処理方法が未確立な現状では、遠隔地の地中に埋めるなり海洋投棄をせざるを得ない技術なのである。人類が生まれて2万5000年、それ以上の年月の間、超有害物質を安全に保管する技術など人類が作れるわけがない。ということは、この種のテクノロジーとは決別するしか選択肢はないのである。

われわれはすでに1000兆円に上る大借金を次世代に付け回す、それに加えて汚染された国土まで彼らに残すというのでは、あまりにも無責任である。だからこそ、日本が先陣を切って脱原発世界のリーダーにならなければならないのである。

こうした主張に対して必ず出てくる反論は、供給サイドの論理だけに立った議論だ。

「これまでの日本の経済力を維持する電力供給が、原発なしでできるのか」

こうした反論は、パラダイム・チェンジできない人の発想である。いまの日本で必要とされているのは、需要サイドにおける大きなイノベーションである。電力供給能力の不安を煽る前に、早急に改善すべきはむしろ需要サイドのコントロールである。

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