3.11後の日本

災害・敗戦経済学が導く復興シナリオ

経済・ビジネス

大震災と名付けられた地震被害は過去に2度ある。1923年の関東大震災、1995年の阪神・淡路大震災……いずれも壊滅的な被害を受けながら日本経済は見事に復興を果たしてきた。3度目となる東日本大震災、過去から学べることは何か。

破壊されたストックの価値


遊歩道が整備されるなど、神戸の港湾地域は新しく生まれ変わった。

災害によって、いかに資本ストックが破壊されたところで、その地域にこの人的資本が残っていれば、生産活動はやがて再開する。労働者たちは、破壊された工場や機械を修復する。機械が修復されないうちは、より多くの時間働くことによって、生産の遅れを取り戻そうとする。先にも見たように震災が発生してから1年後、神戸の港湾施設はまだ半分しか復旧していなかったが、それでも神戸港での輸入額、輸出額はほぼ震災前の水準を回復した。なぜかといえば港湾労働者の最大労働時間についての取り決めが緩和され、港湾労働者がより長い時間、勤務することによって、破壊された港湾施設のハンディキャップを跳ね返したからである。

ここにも、一つの重要な経済原則が現れているとハーウィッチ教授は言う。それは生産活動というものは、一つの方法が駄目になれば、別の方法に「代替」することが可能ということである。資本設備が破壊されたならば、生産プロセスを資本集約的なもの(資本設備を沢山使ったもの)から、労働集約的なもの(労働者がより多く働くもの)に代替することができる。震災発生後、わずか15ヵ月で、神戸の製造業生産額が震災前の98%にまで取り戻したのには、このような代替プロセスが働いていると彼は評価する。

もう一つの点を確認しておこう。それは震災のような大災害によって破壊されるのは、一国の資本ストックのようなストックの価値であって、直接的には一国の所得(GDP)のようなフローの価値ではないということだ。こんな例を考えてもらいたい。

いま、100ヘクタールの農地を持つ農家がいたと考えよう。その100ヘクタールのうち、土壌汚染などにより5ヘクタールが使用不能となり、95ヘクタールだけが使用可能となったとする。この農家は穀物を生産することで所得を得ているとしよう。ここで問題だ。この農家は、土壌汚染によってかならず所得を減らすと言えるだろうか。その答えは、そうではないということだ。なぜなら農家は残された95ヘクタールにより多くの肥料を投入することによって、あるいはより多くの労働時間を投入することによって、穀物の生産高を上昇させ、より多くの所得を得ることもできるからだ。

つまり、「土地」という生産要素が減少したとしても、「肥料」、「労働」といった生産要素をより多く使用する「生産代替」によって、所得(生産)の上昇を実現するのは可能である。もちろん、たとえ所得の上昇が可能になったとしても、この農家が農地を売った場合に獲得できる金額は、土壌汚染によって傷んだ分の5%だけ減少するだろう。農家は保有資産というストックの面では貧しくなる。そうだとしても、年間所得というフローの面では、かえって豊かになることも可能だということである。

神戸の復興の場合、「代替」という原理はさまざまな側面で働いた。たとえば破壊された資本設備を復旧させる場合、企業は前と同じ資本設備を設置する代わりに、最新の資本設備を設置した。その意味では、震災は生産技術の更新という点で、ポジティブな意味があった。また、神戸の打撃によってサプライ・チェーンの打撃を受けたメーカーは、他の地域に生産を移すことで、サプライ・チェーンを迅速に立て直した。また、一部の生産活動は、震災によって神戸から離れることになった。たとえば、港湾業については、1年後に輸出額、輸入額のほとんどを取り返したという復旧振りを示したにも関わらず、神戸市にとっての港湾業の重要性も、アジア全体の港湾における神戸の位置も、震災前に戻ることはなかった。

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