【Photos】樹霊:静かにたたずむエロスとタナトス

美術・アート 環境・自然・生物

大坂寛は、ファインアートの世界では著名な写真作家だ。特に分身をテーマにしたヌード作品は海外でも人気が高い。そんな大坂が日本各地の巨樹を訪ね、そのフォルムをゼラチンシルバープリントに焼き付けた作品を紹介しよう。何百年も生き続けてきた姿は濃厚なエロティシズムだけでなく、死の影(タナトス)をも感じさせる。

幼年時代の記憶を訪ねて

巨樹、古木は人の寿命をはるかに超えて生き続けてきた強靭(きょうじん)な生命力にあふれ、そこには崇高な精神が宿っている。

人々は古来、神社や森に生えたこうした樹木を信仰の対象、守り神、死者の霊を弔う象徴として崇(あが)めてきた。中には多年の気候変動に耐え抜いたものの、数百年の風雪によって姿形を変えたものもある。歪(ゆが)み締めつけられ、他の木に寄生し同化するもの、老い朽ち果て崩壊していくもの、あるいは天に向かって直立し、逞(たくま)しく突き進むもの。そうした姿に人々はある時は戒められ、ある時は清められ、またある時は勇気を与えられてきた。

僕は幼少の頃、東北の寒村で育った。厳冬期には2階の窓から出入りするほど雪が積もる山間地で、少し奥地に足を踏み入れると鬱蒼(うっそう)とした巨樹の森が広がっていた。暮らしたのは狭い川沿いに建てられた銅鉱山の採掘をなりわいとする炭鉱住宅だった。やがて銅山の閉鎖に伴いそこを離れる時、小さな自分は両親に手をつながれ、1本の細い道を恐る恐る歩いていた。その両側には精練した後の処理水であろうか、緑がかった乳白色をした水をたたえた奇妙な沼が広がっていた。足を滑らせれば飲み込まれそうで、黄泉(よみ)の国へと続いているような心細さを感じたことを今でも覚えている。そして、その光景は何度も夢の中に現れては消えていった。

20歳を過ぎた頃、その地を再訪する機会があった。山深い土地は一層草木が生い茂り、過ぎ去った歳月を感じた。分け入るように獣(けもの)道を進んでいくと、やがて集落の跡と思われる場所に出た。川であったはずの場所はすっかり雑草に覆われ、わずかに残った石垣だけが、かつての生活の痕跡を伝えていた。

多分このあたりだろう──。

同行してくれた叔父がそう言った。

蝉(せみ)の声だけが山あいに響き渡る中、この場所で自分は生まれたのだ、ここが自分の原点であり、出発地なのだと改めて感じた。その記憶の欠片(かけら)は両親の死後、ある形となり、自己の奥底に息づいているようである。そんな面影を何とか写真にできないか。全国各地を訪ねて巨樹を撮影する「樹霊(じゅれい)巡礼」はこうして始まった。

数百年の歴史に刻まれた強烈な個性

撮影ではさまざまな出会いがあったが、特に印象に残っている樹木が何本かある。まずは長崎県五島列島の福江島にある「アコウ」の大木だ。この木は他の木に絡まりながらその身を成長させ、いつしか元の木を凌駕(りょうが)し主木となってしまい、神社の参道に大きく足を開きまたがる姿で屹立(きつりつ)していた。広がる気根はまるで人体の神経組織に似ていて、その複雑さゆえの生命力と巨大さから周囲を圧倒する存在感があった。神社に参拝するにはこの下をくぐらねばならず、邪念のある人間は拒まれ、善人のみ通ることを許すようなすごみを利かせていた。

もう1本は冬に訪ねた長野県辰野町のしだれ栗。落の葉ちた枝がぐるぐると渦を巻くように四方に伸び、まるでパーマネントをかけた髪の毛のようで、どこか近づきがたい妖気と邪悪な雰囲気を漂わせていた。雪深い地にあったため車が入れず、長時間歩いてやっと出会えた時の喜びは今でも忘れがたい。

また、埼玉県にある寺の推定樹齢700年以上、幹の周囲約11メートルのイチョウの御神木は、岩盤を切り開き建てられた静かな境内にあり、その根の部分が大岩の上に隆起していた。無数の大蛇がうごめきもつれ合うかのような異様な光景であった。

その他にも枝や幹の一部から気根と呼ばれる根が鍾乳石のように垂れ下がり、地面に着きそうなイチョウの木に出会った。気根を乳房に見立て、子宝・安産祈願に御利益があるという。

常に畏敬の念を持って

最近、福島県のあるヒノキを8×10フィルムの大型カメラで撮影しに行った際、不可解な出来事があった。その巨樹からは人を寄せ付けないほどの気配と圧力を感じ、一瞬撮影を躊躇(ちゅうちょ)した。しかし気を取り直して三脚にカメラをセットし、少々暑くなったので上着を脱いで近くの柵にかけた。すると穏やかだった天候が急変し、遠くの森からうなるような音とともに突風が巻き起こった。風で三脚が倒され、太い枝の何本かがメキメキと音を立てて頭上に落ちてきた。辺り一面が惨憺(さんたん)たる状況になり、ヒノキは見るも無残な姿に変わり果て、木製カメラの金具部分は変形してしまった。

ふと、傍らに目を向けると、碑が立っていることに気づいた。戦国時代の武将を祭ったご神木と説明する碑だ。ここに眠る武将が撮られることを拒んでいるかのような現象に恐れを覚え、一礼して許しをもらう。一度は諦めかけたが、レンズ、シャッターは無事であり、応急的な修繕をし、見事な枝ぶりではなくなってしまったが、その姿を数枚写真に収めた。

巨樹には、まわりの空気や気配を支配し、人の心情を揺さぶるような気迫がみなぎっている。樹齢数百年の神木、極寒の地で生き抜いた古木などさまざまな木があるが、常に畏敬の念を持って撮影に臨むよう心がけている。その存在に感謝しながら、そっと木肌に触れ、息吹、鼓動を感じ、その生命力を分けてもらいながらこれからも向き合っていきたい。

写真と文:大坂 寛
バナー写真:「樹霊」シリーズより

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