【Photos】ラフカディオ・ハーンの面影を求めて:古代神話のふるさと出雲・石見
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島根県の出雲地方と石見地方は古代神話の故郷であり、神秘の地だ。起伏に富んだ海岸線に沿って何百万年にもわたる激しい地殻変動が生み出した巨岩が連なり、その奇怪な光景が私たちの想像力を刺激する。岩だらけの海岸には、吹きさらされた崖に松の老木がへばりつき、その節くれだった枝は激しい海風に打ちのめされ、竜のような不思議な形にねじ曲がっている。
この地域に春が訪れると、山々は緑したたるつづれ織りへと景色を変える。岩だらけの海岸から内陸の山地へ入っていくと広大な谷が開け、清流が太古から耕されてきた水田を潤す。
弥生時代の紀元前3世紀ごろ、朝鮮半島から強大な勢力が出雲・石見地方に渡来した。やがて彼らが定住し、農耕、冶金(やきん)などの技術を伝え、この地の繁栄につながっていった。
彼らがやってくる前は、縄文人が先住民として暮らしていた。宍道湖の湖畔の村々に数千年にわたって住み、平和な生活を送っていたようだ。美しい土器や装飾品を創り出したことからも、肥沃(ひよく)な土地で狩猟や漁労を行い、穏やかな生活を送っていたことが分かる。今日でもこの地方は豊かな食材に恵まれていることで知られ、みそ汁の具としてお馴染みのしじみなどはその代表格だろう。こうしたことが、この地が「神々の国」と呼ばれる理由の一つになっているかもしれない。
「神の国」と呼ばれるもう一つの理由は、自然景観の美しさだ。この地を訪れるたびに、宍道湖の上に浮かぶ雲の美しさに魅了される。風にあおられ、私の頭上を通り過ぎる雲は季節の移ろいとともに絶え間なく変化し、出雲はまさに「雲出ずる池」なのだと実感させてくれる。
日本最古の歴史書である『古事記』には、「八雲立つ出雲」(八には“無数”の意味合いがある)をたたえる歌が収められている。この歌は、日本最古の短歌だと言われている。
「八雲立つ 出雲八重垣(やえがき) 妻籠(つまご)みに 八重垣作る その八重垣を」
(八雲立つ出雲の国をいくえにも取り巻いている雲ではないが、新妻と2人で籠るために、家の周りにいくえにも囲いを作るよ、その八重の垣根を)
大学時代、私は出雲に関する本を読んだ。日本史の教授がアイルランド人の父とギリシア人の母のもとに生まれた作家、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の『知られざる日本の面影』を読むように勧めてくれたのだ。ハーンが出雲地方の城下町・松江に住んでいた頃に執筆した紀行文だ。19世紀末、古くから伝わる生活文化が急速に失われつつある中で、当時の人々の暮らしぶりを生き生きと伝えていた。私は深く心を動かされ、その感銘は日本に暮らすようになった今も続いている。出雲と石見で一連の写真撮影をしようと思ったのも、ハーンの偉大な作品に敬意を表して、この地を自分の足で探索してみたかったからだ。
この地を撮影するのに私が選んだのは、19世紀の真鍮(しんちゅう)製レンズをはめた大型の木製カメラだった。湿板ガラスのネガに特殊な薬品を塗るだけで20分、撮影に10分、現像にも15分かかる。撮影現場近くにテントを張り、その中の暗室でネガを準備し、撮影が終わると現像した。そうした手間のかかる作業にこだわったのは、時間をかけて対象と向き合うことで、土地に堆積された深層文化から浮き上がってくる“気配”を捉えたいと思ったからだ。
ハーンは著書の中で、出雲を「日本の魂」と形容している。現代でも、この地には心の平穏と霊感を求めて日本各地から巡礼にやってくる人々が絶えない。私自身もそうした1人だ。この地を訪れてみて、地元の人々がいかに過去とつながっているかを実感し、そのたぐいまれな生き方に感銘を受けた。
ある郷土史家は、「渡来氏族に侵入されたときの苦悩や、それ以前の暮らしに対する懐古の念は私たちの心から決して消えない」と私に語ってくれた。彼は1400年以上も前に起きた出来事に思いをはせ、「私たちの祖先の記憶は今でも風景の中に見いだすことができる」とつけ加えた。
古来の記憶を浮かび上がらせるような写真を撮るためには、地元の人々の助けを借りなければ不可能だった。ここで紹介した写真を撮影した場所のほとんどは、彼らが案内してくれたものだ。そしてここで捉えられた風景は、ハーンが追い求めた面影そのものだった。彼らの助けによって、125年前から今も消えずにいた光景に私は出会うことができたのだ。
私はまた、出雲と石見の土地の「魂の守り手」ともいうべき地元の人々にも引き合わされた。農夫、神社の神職や寺の僧侶、鍛冶屋などだ。地元の神楽舞に情熱を注ぐ若者や小さな子供たちもいた。老いも若きも、古来の伝統を継承してきた人々だ。とはいえ、いちずに古いものを守ろうとしているわけではなく、伝統を心から大切にして暮らし、そこから生活を豊かにするみずみずしい活力を生み出していた。
彼らは自分たちの土地、地域、そして過去と深く結びついている。それが私の心を奥底から動かした。流行や最新テクノロジーに惑わされがちな現代世界とは全く異なる生き方がそこにはあった。
2017年から2019年にかけて撮影を行ったこの写真プロジェクトを、私は「古きよき未来」と名づけた。出雲と石見の人々は、伝統を重んじながら、持続可能な新しい暮らし方を体現しているように思えたからだ。
彼らは写真家としての私に、大地の声に耳をかたむけ、深くゆかしい情景をとらえる術(すべ)を教えてくれた。これこそ、私たちが暮らすグローバルな世界において、何より大切にしていくべきことではないか。
写真と文:エバレット・ケネディ・ブラウン
(原文は英文)
バナー写真:宍道湖のしじみ漁師