【Photos】野町和嘉:サハラから始まった「祈りのかたち」を求める旅
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1970年代以降、日本のドキュメンタリー写真は新たな局面を迎えた。高度経済成長の余波もあって、国内だけでなく、海外に長期滞在して撮影する写真家が増えてくる。世界を見渡せば一時は800万部以上の売り上げを誇ったニュース写真中心のグラフ誌『ライフ』が72年に休刊になったが、旅行ブームの到来、異文化への関心から、欧米各国を中心に『National Geografic』や『GEO』に代表されるビジュアル誌隆盛の時代に入った。日本でも海外で取材した写真を積極的に掲載する、『月刊PLAYBOY』『DAYS JAPAN』『マルコポーロ』『Bart』といったビジュアル誌の創刊が相次いだ。こうした雑誌に次々とドキュメンタリー写真の力作を発表し、国際共同出版の写真集も刊行して、活躍の場を広げていったのが野町和嘉である。
転機となったサハラの旅
野町は、1946年に高知県幡多郡三原村に生まれた。県立高知工業高校時代は柔道に熱中し、県大会で優勝も果たしたが、高校2年の時に最初のカメラを手に入れたことで、写真の面白さに開眼する。65年に同校卒業後、大阪の松下電工に入社するが、写真への思いを捨てきれず、2年で退社。写真家を志して上京し、羽田敏雄、のちには杵島隆に師事して商業・広告写真家を目指した。71年には独立して、コマーシャル写真専門のSTUDIO NOMを設立する。
野町の写真の在り方を大きく変える転機となったのは、72年に友人たちとヨーロッパ・アルプスのスキーツアーに参加したことだった。その帰路に中古車を購入して、地中海を越えて北アフリカのサハラ砂漠を旅したのだ。初めてのサハラで、地球創生以来営まれてきた億年単位の時を刻んだ大地の痕跡と、時には昼と夜の寒暖差が40度近くにもなる乾燥地帯に暮らす人々の生き方に深く魅せられ、何度も渡航を繰り返すようになる。
サハラ砂漠の取材は、以後、93年までに10回、延べ800日を越えた。時にはラクダと共に移動するキャラバンに同行し、空路で先史時代の壁画を訪ね、高温でのフィルム管理に苦慮しながら積み重ねた砂漠旅の最初の成果は、78年刊行の写真集『サハラ 砂と空の間で』(平凡社)に結実する。
同書はイタリアのMondadori社をはじめとして、フランス、英国、米国でも国際共同で出版、刊行に合わせて銀座ニコンサロンで写真展「サハラ」が開催された。さらに79年には、砂漠の旅の間に読みふけった旧約聖書の舞台である、イスラエル、シナイ半島を長期にわたって撮影した写真集『SINAI 聖書の旅 モーセの足跡を追って』(平凡社)も、イタリアなど4カ国で同時出版された。この2冊の写真集の刊行によって、野町のスケールの大きなドキュメンタリー写真は、国際的にも注目を集めるようになった。
広告写真のテクニックを駆使したドキュメンタリー作品
次に野町が挑んだのは、アフリカ大陸を流れる大河ナイル川を、その源流から河口までたどる大プロジェクトだった。日本から運んだランドクルーザーを駆って、エジプト、スーダン、エチオピア、ケニア、ウガンダなど、白ナイル川と青ナイル川の流域を縦断する取材の旅は、1980〜82年に5回、述べ400日に及んだ。それらの写真群には、南スーダンのサバンナで牛と共に暮らすディンカ族や体に灰を塗りたくったヌバ族のレスラー、エチオピア高原の岩窟教会で祈りを捧げる巡礼者などの衝撃的なイメージがあふれていた。
ナイル川流域を撮影したそれらの写真をまとめた写真集『バハル アフリカが流れる』(集英社、1983年)には、この時期の野町の写真のスタイルがよく表れている。彼はランドクルーザーや航空機など機動力を生かして広範な地域をカバーしつつ、長期滞在を繰り返して、厚みのある写真シリーズを作り上げていった。さらに『サハラ 砂と空の間で』の仕事が、イスラム世界であるスーダン北部のヌビアやエジプトの撮影につながっていくなど、一つの仕事が枝分かれして次のテーマに結びついていった。
写真家としてスタートした時期に広告・商業写真を手がけていたことも、大きな意味を持っていた。広告の世界では、明解なテーマ設定で、いかに訴求力の強い写真を読者に提供するかが鍵になる。カラー写真のヴィヴィッドな描写力をフルに活用し、読者に未知なる世界を開示して驚きと感動を与え、被写体の持つ視覚的なスペクタクルを強調する──そんな撮影手法が、この時期に確立されていく。それは広告写真のテクニックやメッセージの伝達方法を、ドキュメンタリー写真に積極的に生かしていこうとする試みでもあった。野町は写真集『バハル アフリカが流れる』の刊行に合わせて、全国各地の会場で写真展「バハル!」を開催する。同展によって写真家としての知名度も上がり、『バハル アフリカが流れる』と、同じ年に刊行した写真集『サハラ悠遠』(岩波書店)で84年の第3回土門拳賞を受賞した。
中国共産党1万2000年キロの旅
旺盛な行動力と卓抜な構想力を備えた野町の撮影行はさらに続く。ナイル川流域の取材の一環として、1980年に開始したエチオピア各地の撮影は、1997年までに9回、述べ426日に及んだ。それらは最終的に写真集『神よ、エチオピアよ』(集英社、1998年、ドイツと英国の共同出版)にまとめられる。古代にはユダヤ教とギリシア文明の影響を受け、4世紀以降、独特の教義を持つキリスト教の一派として発展したエチオピア正教が広がり、現在ではイスラム教やプロテスタントも共存するエチオピアの風土、宗教、文化を余すところなく捉えようとする壮大なプロジェクトは2000年以降も続けられ、写真集『ETHIOPIA 伝説の聖櫃(アーク)』(クレヴィス、2018年)として刊行されている。
『DAYS JAPAN』の依頼で88年6月にスタートした、中国共産党の1万2000キロに及ぶ「長征の道」の撮影は、翌年5月まで続き、写真集『長征夢現 リアリズムの大地・中国』(情報センター出版局、1989年)として刊行された。その時に掲げられた軍旗が北京の軍事博物館に保存されている、毛沢東の井崗山(せいこうざん)決起(1927年)に端を発し、湘江(しょうこう)を越え、チベット高原を抜けて、陜西省(せんせいしょう)北部の黄土高原に至る1年間に及ぶ長征のルートをたどる旅で、野町は「過去・現在・未来、裸の中国」の生々しい姿を目にする。撮影を終え北京に行くと、天安門事件に遭遇。ウイグル族の若者たちのデモ隊が「アッラー、アクバル!(神は偉大なり!)」と叫ぶシュプレヒコールを耳にして「言葉にならぬ感動が腹の底から突き上げてくるのを覚えた」と同書のあとがきに記している。
1990年、『長征夢現 リアリズムの大地・中国』と、日米英など7カ国で共同出版された写真集『ナイル』(情報センター出版局、1989年)で、野町は芸術選奨文部大臣新人賞、日本写真協会賞年度賞を受賞した。『長征夢現』のテーマをさらに発展させ、92年までカイラス山巡礼を含めてチベット各地を取材した写真集『チベット 天の大地』(集英社、1994年)も、ドイツ版・米国版・アジア版として共同出版される。
メッカを巡礼する群衆の「祈りのかたち」
チベットでの撮影を通して、野町は聖地ラサを目指して体を地面に投げ出しながら進む「五体投地」の巡礼者の、自然への畏れと感謝を通じて神と向き合う真摯(しんし)な姿に心を打たれた。そして、これを機に世界各地の宗教儀礼や巡礼者に通底する「祈りの原型ともいえるかたち」を集中して追い求めていく。
1972年に初めてサハラ砂漠を撮影して以来、野町は世界各地の辺境に足を運んできた。そこには現代文明の浸透を容易に許さぬ広漠とした大地が広がり、「人間を超える大いなる存在」を強く感じないわけにはいかなかった。そこから、原始信仰、イスラム教、キリスト教、仏教などの違いを超えた、神とヒトとが直接向き合う「祈りのかたち」を、写真で捉えることはできないかと考えるようになっていった。
とりわけ、サハラ砂漠を取材した時から心にとどめてきたイスラム教の精神世界に、本格的に向き合おうという気持ちが強くなってきた。94年、野町はサウジアラビアの出版社から、メディナのモスクの撮影を依頼される。それをきっかけとして、同年12月に東京都世田谷区のイスラミックセンター・ジャパンでシャハーダ(信仰告白)を行い、イスラム教に入信した。むろん、イスラムの二大聖地、メッカとメディナの取材を前提としたものだが、野町の中には、厳しい砂漠の環境の中で生まれ育ったイスラム教への強い共感が芽生えてきていた。
メッカとメディナの取材は、翌95年1月に開始された。メッカの聖モスクでラマダーン(断食)月に開催され、100万人以上の信者が参加するライラトル・カドル(召命月)の礼拝をはじめとする写真群を収めた写真集『メッカ巡礼』(集英社、1997年)は、アラブ首長国を含む6カ国で国際共同出版された。同年にサウジアラビアのTharaa International社から写真集『Al Madinah Al Munawwarah』も出版されている。メッカのカアバ神殿を取り囲み7周する巡礼の群衆を巨大な渦巻きとして捉えた写真は、まさに「祈りのかたち」の探求の集大成と言ってもいいだろう。
また、スンニ派のイスラム教とは異質の教義を持つシーア派の人々と、繊細にして荘厳なペルシア文化の精髄を総合的に紹介する写真集『ペルシア』(平凡社、2009年)も刊行された。
これからも続く神に祝福された写真家の旅
1つの区切りとなった『メッカ巡礼』刊行後も、野町はたゆみなく写真家としての歩みを続けていった。2003年の神奈川県平塚市美術館での展示を皮切りに、代表作を集成した写真展「祈りの大地」を各地で開催した。『異次元の大地へ』(高知新聞社、2005年)は、「風景と人間」という観点で、30年以上にわたる野町の軌跡をたどった写真集である。さらに、これまで撮影してきた巡礼者たちの写真を、新作のインド・ガンジス川流域や南米・アンデス山地の巡礼者たちの写真を加えてまとめた「聖地巡礼」展を、高知県立美術館(2008年)、東京都写真美術館(2009年)で開催し、同名の写真集を刊行した。そのうち、ガンジス川流域の写真群は写真集『ガンジス』(新潮社、2011年)にまとめられている。
『極限高地 チベット・アンデス・エチオピアに生きる』(日経ナショナルジオグラフィック社、2015年)では、標高2000〜4000メートルの高地に生きる人々の姿にカメラを向けた。
野町は2009年にこれまでの業績が高く評価されて紫綬褒章を受章し、19年には日本写真家協会会長に就任した。70代半ばに入ったが、彼の創作意欲は一向に衰えていない。神に祝福された写真家の旅は、これから先も続きそうだ。
撮影:野町和嘉
バナー写真=ラマダン月27日夕方から、サウジアラビア・メッカの聖モスクで夜を徹して行われる100万人による礼拝。ライラトル・カドルと呼ばれるこの夜は、最初のコーランが神から預言者ムハンマドに下された最も神聖な一夜とされている。1995年撮影。『メッカ巡礼』より
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