親子の歌:オズボーンの「親子写真」プロジェクト
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親子写真に魅了されたきっかけ
今から37年前の1982年のこと、ブルース・オズボーンはある雑誌から、日本人パンクロッカーのポートレート撮影を依頼された。当時、東京を拠点に写真家として活動していたオズボーンにとって、それは数ある仕事の一つにすぎなかった。しかし、ただ普通に撮るだけではつまらない。
間もなく彼は、モヒカン頭で、革ジャンに身を包んだミュージシャンを、普通の服装をした母親と一緒に写真に収めるというアイデアを思いつく。ギャップを狙ったつもりだったが、実際に撮ってみたら、写真から親子の一体感を感じ取った。
これをきっかけにオズボーンは親子写真に魅了され、彼のライフワークとして37年間にわたり7,500組を超える親子の写真を撮ってきた。
親子の日
「年に1回、親と子が向かい合い、その日を通じて、親子の絆が強められたら素晴らしい」というオズボーンの強い思いから、2003年に「親子の日」を制定した。7月の第4日曜日を「親子の日」と決めたのは、5月第2日曜日の母の日、6月第3日曜日の父の日に続くからだ。
初めての「親子の日」には、オズボーンは100組の親子を招いて写真を撮影した。最初の年の成功を受け、それ以降も毎年続けて100組の親子を招待している。今年(2019年)は7月28日に都内のスタジオで100組の親子の撮影が予定されている。
オズボーンは日本各地で、自分が撮影した親子写真の展示会を開催したり、地方自治体と協力して、親子にまつわるイベントを主催するなど、徐々に親子プロジェクトの活動の場を広げていった。他の写真家たちもオズボーンに賛同し、親子プロジェクトに参加するようになってきたのだ。今年は、「親子写真まつり2019」と題して、国内外25人の写真家がそれぞれ撮った「親子」写真を、7月6日から8月2日まで、日本外国特派員協会で展示する。
「何よりも、このプロジェクトを通じて出会った家族の皆さんに感謝の気持ちを伝えたい」とオズボーンは語る。「私たちの人生を支える基盤となっている関係を見直し、再確認する機会を皆さんに提供できればと考えている」
2018年10月、オズボーンは『Oyako:An Ode to Parents and Children』と題した念願の英語の写真集を出版し、シリーズ作品から選び抜いた88組を収録した。掲載された写真には、僧侶、主婦、茶道教授、弁護士、力士、会社員など、さまざまな職業の親子の姿が収められている。モデルの多くは無名の一般市民だが、中には誰もが知る著名人もいる。
歌舞伎役者の十二代目市川団十郎と息子の新之助の肖像も収められている。伝説的舞踏家の大野一雄と息子の慶人の写真もあれば、サンリオのキャラクター、ハローキティと、母親のメアリー・ホワイトに扮した人物の肖像もある。
オズボーンは全ての写真をモノクロで撮影し、背景もシンプルな白を選んだ。「親子の姿とその関係に焦点を絞りたかったからだ」と語る。
「何もないスタジオで撮影するもう一つの利点は、それが彼らにとって新しく未知の体験であることだ」とオズボーンは言う。「親と子の外見が似ていない場合でも、どこかに必ず共通点がある――笑い方とか恥ずかしがり方といった小さなことが」
自然体を撮影
被写体の中には、地元の写真館で家族写真を撮影するようにかしこまってポーズする人もいれば、元気いっぱいに動く人もいる。
「僕からはあまり指示を出したりはせず、リハーサルなしでポーズしてもらうようにしている」とオズボーンは言う。「ジャムセッションをするミュージシャンのように、撮影のときにはリズムが生まれる。音楽が流れ、ストロボがきらめき、被写体の動きがビートに同調し始めると、僕はカメラのシャッターを切る。全員が一緒にリズムに乗っていく」
「撮影が楽しくなってくると、被写体の動きがのびのびと自然になってくる。彼らがほほ笑んだり笑ったりすると、それが表情だけでなく瞳にも表れ、全身に感じられるようになる」
ある写真では、写真家の横山泰介が、高校生の息子の泰の頭上を跳び越えている。別の写真では、インテリア&グラフィック・デザイナーの山田昇が、高校生の娘のしのぶと一緒に踊りながら、身体を丸めて笑い転げている。
40年近くにわたって撮影された写真は変わりゆく日本の記録であり、平凡と非凡、伝統とモダンが代わる代わるに混ざり合う。日本最大の暴走族のリーダーで、頭をそり上げた猪首(いくび)の岩橋健一郎と、父親の達郎を収めた肖像写真もある。おそらく最も目を引くのは、しわくちゃのスーツを着たペットショップ経営者の末永洋三が、全裸のポルノ女優の娘、桃の木舞と並んでいる写真だろう。
オズボーンの写真集の冒頭には、パンクロッカーの仲野茂と母親の八重の4枚の肖像写真が掲載されている。プロジェクトの幕開け当初から10年おきに撮られた写真だ。パンクファッションは時代とともに変わるが、母と息子の姿は2012年も、1982年と同じように愛情にあふれている。
東北の被災地で親子写真
2011年にオズボーンは、それまでと全く異なる種類の家族写真を撮ることになった。その年の3月に東北地方を襲った東日本大震災の後、津波で家を破壊された家族に写真撮影を申し入れたのだ。
「被災地に行って親子写真を撮影し、家族に提供したいと考えた……それを見れば、のちにどのように力を合わせて生活を再建したか、思い出す手掛かりにしてもらえるだろうと」
そこでオズボーンは、家族にとって特別な意味のある場所で、カラー写真を撮影することにした。かつて自宅のあった土地に立つ家族、街路に打ち上げられた漁船の前に立つ漁師、経営していたガソリンスタンドが津波で破壊され、トラックの荷台に積んだ20リットル缶から車にガソリンを給油するオーナー。
「その後、何回も被災地を訪れて同じ家族を撮影し、彼らや地域の状況がどう変化しているかを写真に収めた」とオズボーンは言う。
二人の人間、一つの言葉
米国で生まれ育ち、日本に長年暮らしているオズボーンは、二つの国の親子関係には違いがあるという。例えば、日本語には親と子を一語で表す「親子」という言葉があるが、英語にはそれに相当する一語の言葉は存在しない。
「これは親子関係に対する見方が二つの言語で異なっているしるしだと思う。日本語では親と子は一つの単位として捉えられているが、英語では別々の個人なのだ」
「米国では、両親は子供に早く一人前になってほしいと望む。子供を巣から追い出そうとする雌ライオンのように、両親は子供に強く育って自立してほしいと考える」
「日本では、力を合わせて互いに支え合うことを大切にする。幼い子供はたいてい親と一緒に寝て、一緒にお風呂に入る。親が年をとると、今度は子供が親の面倒をみる側になる」
オズボーンとしては、日本の考え方にも西欧の考え方にも学ぶべき点があるので、二つの文化の間でバランスをとりたいと思っている。ただし、自分のプロジェクトは文化的な相違を超えたものにしたいと強調する。
「たとえ自分の子供がいなくても、どんな人にも、命という贈り物を与えてくれた親がいる。私たちは、生命の起源にまでさかのぼる長い鎖でつながっているのだ」
オズボーンが「親子」写真プロジェクトを始めたのが、自身の長女が誕生する数カ月前だったことは偶然ではない。今では、デザイナーの長女も、イラストレーターの次女もプロジェクトを手伝っている。一方、オズボーンの妻の佳子は、「親子の日」のプロデュースやコーディネーションに加えて、写真撮影の助手も務めている。
「まさしく『親子』プロジェクトですね」とオズボーンは言う。そしてもちろん、家族で一緒にいるときには、私たちも家族写真を撮るのが大好きなんです」
ブルース・オズボーン 公式ウェブサイト http://www.bruceosborn.com/
(原文:英語。バナー写真:パンクロッカー仲野茂と母親の八重。写真提供:ブルース・オズボーン)