大坂 弘道
OSAKA Hiromichi
1937年生まれ。1959年、東京学芸大学美術科を卒業後、東京都の公立中学校の美術担当教諭として勤務する傍ら、木工作品の創作を続ける。1984年、正倉院宝物「紫檀木画箱」の復元模造のために中学教師を退職し、その作業に専念する。その後、独自の創作活動を続け、1997年、人間国宝に認定された。
時空を超えた木工芸術
人間国宝とは、正式には「重要無形文化財保持者」と言う。工芸と芸能の分野において歴史的または芸術的に価値が高い無形文化財の中で、特に重要な技術、技能を体得している人を文化庁が人間国宝として認定するものだ。
大坂弘道は1997年、木工芸家として人間国宝に認定された。作品づくりに大きな影響を与えたのが東大寺正倉院宝物の復元模造だ。正倉院は8世紀に建てられた木造の倉庫で、仏具、武器、装飾品、書物等、当時の文化の粋が9000点余り収められている。中にはシルクロードを通じてローマやペルシアから伝わったものもある。大坂が復元模造を担当した木工品も、西方から伝来した意匠などの影響が強くみられる。
正倉院宝物復元に7年
正倉院宝物の復元模造を委嘱された大坂は、まず、細密な木画技法による木工作品「紫檀木画箱(したんもくがはこ)」の模造に7年の歳月をかけて取り組んだ。最初の5年間を、宝物を再現するのに必要な木材、金属、膠(にかわ)などの調査にかけたという。
木画とは、象牙(ぞうげ)、角、木、金属などを用いて文様を作り、これを木地に嵌入(かんにゅう)して装飾効果を上げる技法だ。中でも「紫檀木画箱」は、細密な幾何文で知られており、幅1センチの文様を描くのに複数の素材からなる細片を30枚も重ねる必要がある。大坂は復元模造の過程で、古代の木工職人の技術をよみがえらせることに成功した。
微細な美へのこだわり
また、「紫檀木画箱」の木画技法に錫(すず)が使用されていることを発見。これを参考に薄く削った部材に文様を糸鋸(いとのこ)で透かし彫りし、その隙間に帯状の錫などの薄板を嵌め込む「嵌荘(がんそう)」という技術を確立した。自身の創作でもこの技術を駆使し、黒柿に蘇芳染をほどこした美しい地肌に生える繊細な文様は、大坂作品の大きな魅力となっている。
大坂は微細な美にこだわるため、作品は年に2点ほどしか作らない。日本の伝統工芸という枠に収まりきれない珠玉の芸術作品を紹介する。
人間国宝 大坂弘道の世界
「唐草文嵌荘筆箱(からくさもんがんそうふでばこ)」1994年。黒柿(くろがき)の表面に錫を嵌荘した作品。
「蓮弁唐草文透嵌荘合子(れんべんからくさもんすかしがんそうごうす)」1999年。蓋を開けると、金箔(きんぱく)の鮮やかで荘厳な世界が目に飛び込んでくる。黒柿の表面に錫を嵌荘した作品。
「宝相華文嵌荘花形合子(ほうそうげもんがんそうはながたごうす)」2002年。黒柿の表面に錫を嵌荘した作品。宝相華とは、奈良・平安時代に装飾として用いられた唐草文様。
「螺鈿錫嵌荘香箱(らでんすずがんそうこうばこ)」2010年。黒柿の表面に錫と数種類の貝を嵌荘した作品。見る角度によってそれぞれの貝があやしい光を発する。
自宅兼仕事場で制作中の大坂弘道。仕事以外にこれといった趣味を持たない大坂は、「仕事に没頭している時が、何よりも楽しい」と言う。
小刀で、透かし彫りをした後の表面を滑らかにする。
一木を彫り出した作品のため、ほんのわずかなミスも許されない。
「黄楊宝相華文透彫香合子(つげほうそうげもんすかしぼりこうごうす)」2011年。大坂の最新作。
蓋の上に取り付けられた蓮華(れんげ)の花は、一木から削り出されたもの。微細な美の世界に思わず息をのむ。
「唐草文嵌荘筆箱(からくさもんがんそうふでばこ)」1997年。黒柿の表面に錫を嵌荘した作品。
「黄楊錫嵌荘花形香合(つげすずがんそうはながたこうごう)」2009年。黄楊(つげ)の表面に錫を嵌荘した作品。
「唐草文螺鈿嵌荘香箱(からくさもんらでんがんそうこうばこ)」2009年。黒柿の表面に錫と夜光貝を嵌荘した作品。夜光貝の描く直線が、作品を一層モダンに見せる。
文様の下絵。緻密な作品の設計図でもある。
大坂自らの骨箱(2003年完成)の制作過程。アクセントをつけるため唐草の文様に錫と金を交互に嵌入。
錫を文様となる木片に嵌め込んでいく。薄さゼロコンマ数ミリという精度が要求される作業だ。この木片を木地に嵌め込み、大坂独自の世界観を表現する。
作品制作に使用する小刀の数々。
東京都練馬区中村橋のマンションの一室が大坂の仕事場。ここから数々の名品が生まれる。