
世界遺産の邸宅は必見、長崎随一の名所「グラバー園」:日本近代化に貢献した外国人に思いをはせる
Guideto Japan
旅 建築 歴史- English
- 日本語
- 简体字
- 繁體字
- Français
- Español
- العربية
- Русский
国際都市に現存する日本最古の木造洋風住宅
鎖国と呼ばれる出入国禁止令が敷かれた江戸時代、長崎は西欧に開かれた唯一の町だった。徳川幕府は1636(寛永13)年、長崎湾に人口島「出島」を築造し、5年後にオランダ商館を置いて貿易の窓口とした。
長崎出島の跡地は市が復元整備を進め、野外博物館に。当時のミニチュア(下写真手前)や1878(明治11)年に建てられた現存最古のプロテスタント神学校(左奥)も展示
オランダ商館長の住居の再現(上)や輸出入品(下)をはじめ、豊富な展示物で近世の国際交流史を学べる
時は下って1858(安政5)年、幕府は開国を求める欧米5カ国と修好通商条約を結ぶ。開港地となった長崎では、出島から南の湾岸エリアに約11万坪の外国人居留地を設けた。今でも市の中心部を歩けば、レトロな洋風建築をあちこちで目にする。中でも“日本最古” の2棟は必見だ。
「大浦天主堂」(南山手町)は1864(元治元)年、在留外国人のために創建された。現存最古の教会で国宝に指定されるほか、ユネスコの世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産でもある。
八角尖塔(せんとう)がシンボルの大浦天主堂。グラバー園のオートスロープからは眼下に見える
その西に隣接する「旧グラバー住宅」は、1年早い1863(文久3)年に完成しており、現存する日本最古の木造洋風建築だ。国の重要文化財で、世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産」の構成資産でもある。この建物を中心として1974年に開業した「グラバー園」は、半世紀にわたって長崎屈指の観光名所となっている。
上:旧グラバー住宅は屋根の煙突と瓦ぶきの取り合わせがユニーク 下:室内では当時の暮らしを再現
近代日本の礎を築いた英国商人
邸宅の主人はスコットランド出身のトーマス・ブレーク・グラバー。21歳だった1859(安政6)年、英国商社の代理人として長崎へとやって来た。
2年後にはグラバー商会を設立。幕府の統治体制が揺らぐ中、土佐藩(高知県)出身の坂本龍馬を仲介役とし、倒幕を目指す薩摩藩(鹿児島県)や長州藩(山口県)に武器や艦船を密売した。そのため、薩長が中心となった明治維新(1868年)の陰の立役者とも評される。
しかしグラバーの真骨頂は、“サムライの国”から欧米に並ぶ産業国への変革を後押しした点にある。幕末の雄藩や明治政府との合同事業で手腕を発揮し、西洋のさまざまな技術をもたらした。その一つが、英国人技師を招き、長崎沖に浮かぶ高島で1868年に開発した竪坑(たてこう)だ。高島炭鉱は官営を経て岩崎弥太郎率いる三菱に払い下げられ、良質な鉄鋼原料炭で近代工業を支えた。さらに同年末には、長崎湾に英国製の機械を用いた輸入船用修理ドックを建造。この「小菅修船場」も三菱が発展させたことで、造船業は長崎の基幹産業となる。共に日本初の蒸気機関を用いた設備で、産業革命遺産の一つである。
また、キリングループの前身「ジャパン・ブルワリー・カンパニー」の創設に携わり、ビール文化の普及にも一役買っている。
旧グラバー住宅は亭主の来歴や人となりと共に、近代の在日英国人の暮らしを今に伝える。まず目につくのが煙突や暖炉、アーチ型のドアなど英国式の設備。一方で屋根に瓦、壁には土が使われていて、和洋折衷のユニークな建築であることに気づく。
庭や温室にはグラバーが愛した草花が咲き誇る。彼が日本に初めて持ち込んだ東南アジアの洋ランをはじめ、四季折々にチューリップやあじさいなどが咲いて来園者を楽しませる。大実業家の植物好きという側面に親しみを覚えるだろう。
建築や風景で居留地の暮らしをしのぶ
園には旧グラバー住宅以外に2棟の居留地の木造洋風住宅が現存し、いずれも和洋の様式の調和が見事で国重文に指定されている。歴史的建造物は年間80万人の来園者のお目当てだ。
英国人貿易商フレデリック・リンガーの旧宅は、床に御影石を敷き詰めた3面のベランダが特徴だ。幕末に茶の取引の監督官としてグラバー商会に招かれたリンガーは、明治に入るとホーム・リンガー商会を設立。グラバーは1870(明治3)年に商会が倒産し、後に三菱の相談役となったため、明治時代はリンガーが長崎随一の貿易商だった。
リンガーは市内の共同水道開発に尽力するなど、近代長崎の発展に寄与した。また、ホーム・リンガー商会に勤務した倉場富三郎(グラバーの長男)は、蒸気船によるトロール(底引き網)漁業を日本に導入したことでも知られる。ちなみに、長崎ちゃんぽんの全国チェーン「リンガーハット」の屋号は、郷土の大商人にあやかったもの。
旧リンガー住宅。「極東一の豪華ホテル」を目指して彼が開業したナガサキホテル(1898-1908)のカトラリーも残る
残る1棟は、英国人貿易商ウィリアム・ジョン・オルトの邸宅。古代ローマの建築様式であるトスカーナ式の円柱が並ぶベランダや、切り妻屋根がせり出した玄関ポーチを備えたユニークな設計だ(2027年3月末まで保存修理予定)。
3棟の大工棟梁(とうりょう)を務めた小山秀之進は、「洋風建築の先駆者」とたたえられる。園に隣接する大浦天主堂を建造したのに加え、同じく潜伏キリシタン関連遺産である三角西港(熊本県)や、産業革命遺産の高島と端島(通称・軍艦島)の炭鉱開発にも携わっており、彼もまた日本近代化の功労者の一人。2025年大阪・関西万博のテーマ事業プロデューサーを務める、放送作家・小山薫堂氏の高祖父でもある。
元は外国人宿舎の「旧三菱第2ドックハウス」。産業革命遺産の解説展示室(上右)があり、2階からは世界遺産の構成資産を擁する三菱造船所を望む(下)
グラバー園はほかにも、市内各所にあった明治期の洋館や外国人住宅6棟が移築されている。屋内で当時の調度品や近代長崎に関する展示を眺めたり、レトロな洋装を借りて園内を散策できたりと、いろいろな楽しみがある。
米国人宣教師が設立したミッションスクール「旧スチイル記念学校」
明治期に日本人シェフが開いたレストラン「旧自由亭」はカフェに(2025年度中に耐震保存修理工事を実施予定)
散策路にも見どころは多い。グラバーらが愛した折々の草花や、造船所が広がる港を眺めながらビールも味わえる。当時の石畳が残るノスタルジックな旧居留地で、近代日本の発展に寄与した異邦人たちに思いをはせよう。
開園50周年記念に夜の照明演出を実施(2025年3月31日まで)
ミュージアムショップでは園と“同い年”のハローキティとのコラボグッズも販売
併設の「長崎おくんちホール(長崎伝統芸能館)」では名物行事「長崎くんち」の出し物を見学できる
営業日時・料金等はグラバー園公式サイトを参照
取材・文・撮影=ニッポンドットコム編集部