福井・越前和紙の守り神「岡太神社・大瀧神社」:日本一複雑な屋根を持つ優美な社殿
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越前和紙の発祥にまつわる神社
北陸新幹線が2024年3月16日、石川・金沢駅から福井の敦賀駅まで延伸。福井県の来訪者数は前年比で約20パーセント増えている。
観光名所の中で人気上昇中なのが、新幹線新駅「越前たけふ」(越前市)から車で15分ほどの「岡太神社・大瀧神社」(大滝町)だ。吉永小百合が出演するJR東日本のCMで、参拝する姿が放送されたことで注目度が高まった。
福井県は、江戸時代まで北東側が越前国、南西側が若狭国だった。越前市は県のほぼ中央に位置し、伝統工芸品「越前和紙」の産地として知られている。その品質・種類・製造量は和紙業界一で、「越前奉書紙」と「越前鳥の子紙」は国の重要無形文化財の指定を受ける。
工房や観光施設が集まる「越前和紙の里」と呼ばれるエリアから、岡太神社・大瀧神社までは南東へ徒歩10分ほど。緑あふれる境内には、和紙の発祥につながる逸話の主人公「川上御前」が祭られている。
2つの神社の名が並ぶ、神仏習合の霊場
社伝によると1500年ほど前、岡太川の上流に美しい女性が現れて「この村里は谷間で田畑は少ないけれど、清らかな水と豊かな緑に恵まれている。紙漉(す)きをなりわいにすれば暮らし向きが楽になるでしょう」と、紙の漉き方を指南してくれたそうだ。
女性は名乗らず、「川上に住む者」とだけ言い残して姿を消した。和紙作りで生計を立て始めた村人は、謎の美女を「川上御前」とあがめるようになり、紙祖神(しそしん)として岡太神社に祭ったという。
もう一つの名である大瀧神社は「推古天皇の御代(592-638)、大伴連大瀧(おおとものむらじおおたき)の勧請(かんじょう、神の降臨を願うこと)に始まる」とある。
その後、修験道の僧・泰澄(たいちょう)大師が同地を訪れ、719年に大瀧児権現(ちごごんげん)を創建。川上御前を守護神、国常立尊(くにとこたちのみこと)と伊弉諾尊(いざなぎのみこと)を主祭神とする。さらに、別当寺(神社を管理するための寺)の大瀧寺も建立したことで、神仏習合の霊場となった。
紙業界の総鎮守として信奉を集める
泰澄は越前と加賀国(現石川県)、美濃国(現岐阜県)にまたがる霊峰・白山を初めて登拝したことで知られている。
平安時代から白山信仰が盛んになると、大瀧寺は修行の場として栄え、中世には堂塔48坊、社僧700人以上を誇ったという。織田信長の一向一揆討伐の際に焼失したが、その後は復興し、江戸時代には名産品・越前和紙の守護神として歴代藩主の保護を受ける。
1868年(慶応4)年の神仏分離令によって、大瀧寺は廃寺となり、大瀧神社に改称。同年には明治新政府が発行した日本初の全国共通紙幣「太政官札(だじょうかんさつ)」に越前和紙が採用される。造幣を担う大蔵省印刷局抄紙部が1923(大正12)年、川上御前の分霊を祭ると、紙業界の総鎮守として広く崇敬を集めるようになった。
現在は、背後の大徳山(権現山)にある上宮(奥の院)に岡太神社、大瀧神社の小さな本殿がそれぞれ並ぶ。そして麓の下宮には、本殿と拝殿が一体となった複合社殿が建ち、両社の里宮として親しまれている。
“日本一複雑な屋根”を持つ社殿
下宮の社殿は1843(天保14)年の完成。曹洞(そうとう)宗大本山・永平寺(福井県永平寺町)の勅使門も手掛けた名棟梁・大久保勘左衛門が建造した。
拝殿と本殿が一体になっているのは珍しくないが、幾重もの曲線が重なる屋根は圧巻だ。「一間社流(いっけんしゃながれ)造り」の本殿に「入母屋(いりもや)造り妻入り」の拝殿を連結する屋根に、丸みを帯びた唐破風(はふ)、三角の千鳥破風を2連で配しており、「日本一複雑な屋根」と言われている。
軒下に施された精微な彫り物は、神仏習合の色濃かった江戸期の霊廟(れいびょう)建築を想起させる。特に本殿側面にある中国の故事をモチーフにした彫刻は見事。2社の拝殿・本殿を兼ねた上に、神仏習合の霊場であることを、複雑かつ精巧な造りで表現したといえる名建築である。
岡太神社・大瀧神社
- 住所:福井県越前市大滝町13-1
- 営業時間:拝観自由
- アクセス:北陸自動車道武生ICから車で10分。JR「武生」駅から福鉄バス南越線「和紙の里」下車、徒歩約10分 ※北陸新幹線「越前たけふ」駅から「武生」駅までは越前市シャトルバスで13分
取材・文・写真=ニッポンドットコム編集部