福島「とみおかアーカイブ・ミュージアム」:レスキューした地域資料が物語る富岡町の歴史と歩み、複合災害の影響
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町のことを知れば、震災の傷痕がより深く伝わる
福島県浜通りに2021年7月に開館した「とみおかアーカイブ・ミュージアム」。広々としたロビーを抜けて常設展示室へと向かうと、最初のコーナーは「富岡町の成り立ち」で、地域で採集された岩石、植物や昆虫の標本、町内で出土した旧石器時代の道具や縄文式土器が並んでいる。
富岡町には古墳群や7~8世紀頃の役所跡とみられる小浜代遺跡があり、明治時代には双葉郡役所や税務署が置かれるなど、古くから浜通りの中心地域だったという。それでも、東日本大震災の伝承施設の多くが、直前の町の様子や地震発生時から展示が始まることを考えると、先史時代までさかのぼるのはかなり異色である。
主任学芸員の門馬健さんは「町の歴史は、震災や原発事故から始まったのではない。まずは富岡の成り立ちや歩みを歴史資料から知ってもらい、自分の住む地域や故郷と似ているところ、違う部分を感じてとってほしい。その上で震災に関する展示を見て、“うちの町ならこうなるかもしれない”などと考えてもらえれば」と、その意図を語る。
駅や役場がある富岡町の中心地は、福島第1原子力発電所(大熊町、双葉町)から南へ約10キロに位置する。11年3月11日の東日本大震災後は、原発事故によって全町避難となった。17年4月、町の大部分で避難指示は解除されたが、桜並木で有名な北東部の「夜の森地区」では、今も除染作業が続く。そして町の東南端にある福島第2原発では、福島第1と同様に廃炉作業が進められている。
門馬さんは植物や昆虫の標本も「貴重な歴史資料だ」と言う。除染作業で表土を5センチ程度削り取ったため、生態系が大きく変化する可能性があるからだ。さらに「先に除染が終わった地域と、現在も作業中の夜の森地区などでも、生態系に違いが出てくるかもしれない。これらの標本は今後、浜通りにおける放射能や除染作業の影響を調べる上で助けになるはず」と解説する。
資料レスキューが広まり、建設されたミュージアム
伝承施設は建設計画が動き出してから、公開する資料や遺物を集める場合が常だが、このミュージアムは「ソフトを集めたら、ハードが必要になった逆パターン」と門馬さんは語る。町ぐるみで歴史資料や文化財のレスキュー活動をした結果、保存・展示する建物が必要になったのだという。
活動の中心を担った門馬さんはいわき市出身で、大学院まで歴史学を専攻した。卒業後は地元紙の記者になり、震災からは富岡町を担当。取材を重ねる中で「故郷・福島のために、自分に何ができるのか?」と問い続け、2013年に富岡町役場に転職した。
そして取り組んだのが、学生時代の歴史調査で経験していた民家の資料レスキューだった。復興工事や除染作業が進めば、建物も取り壊され、写真や古文書など貴重な資料が廃棄される可能性が高い。しかも、富岡町史は原発誘致が終わった80年代から更新されていなかった。このままでは、約30年の歩みがすっぽりと抜け落ちてしまうと危機感が募ったのだ。
当初はゼロ予算で出身大学の後輩などに手伝ってもらっていたが、14年6月に役場内で正式に「歴史・文化等保存プロジェクトチーム」が発足。町民への資料保全の呼びかけや展示会開催など地道な活動が実を結び、17年3月には「富岡町震災遺産保全等に関する条例」が制定された。
ただ、避難区域でのレスキュー作業は「想像以上に困難だった」と振り返る。住民は県内にとどまらず、散り散りに避難生活を送っているため、連絡を取るにも一苦労。震災前の町の日常を伝える写真や文書、民芸品を探しているのに、「歴史資料」と伝えると、高価な骨とう品と勘違いして「うちにそんなお宝はない」と断られる。そんなやり取りをしているうちに、家が取り壊され、更地になってしまうことも少なくなかった。
それでも現在までに5万点を超える資料をレスキューし、ミュージアム設立までこぎつけたのだ。
歴史資料を大切に扱う独自の展示方法
展示方法はアカデミズムの手法に則り、歴史資料を淡々と並べ、解説はできるだけ省く。あくまでも鑑賞者の持つアンテナ、その感度に委ねているという。
こだわりが伝わるのが、震災で止まってしまった時計の展示。地震が発生した2時46分、津波が到来した3時半頃を指すものは他の施設でもよく目にするが、ここに展示されている電気時計が示す時刻は多様だ。
富岡駅前にあった美容室の時計は地震発生時付近で止まっているのに対し、夜の森地区の富岡2中の電気時計(上段左)は3時8分、駅より内陸に位置する富岡高校女子寮のもの(中段右)は4時半過ぎを指している。これらは、停電した時刻が地区ごとに違ったことを証明し、時間帯によって被災状況の把握や避難行動に差が出たかなどを検証する際に役立つそうだ。
門馬さんは9時前で止まった目覚まし時計を指さし、「この時間は何を表すでしょう?」と尋ねてきた。そして「実は、この時間にたまたま電池が切れただけ」と笑う。
「でも、持ち主が長い避難生活を強いられ、資料の収集を開始するまでにも長い時間を要したことを物語っている。毎年3月11日の午後2時46分に全国で黙とうをささげるが、富岡では全町避難を決めた3.12や、原則立入り禁止の警戒区域に設定された4.22なども同じく大きな意味を持つ。地域ごと、人それぞれに、震災で心に刻まれた日時が違うことを、この時計たちから感じてもらえれば」
資料をいかに大切にしているかを物語るのが、津波で大破したパトカー。非番だった2人の警察官が自らの危険を顧みず、避難誘導のために出動し、津波に飲み込まれてしまったのだ。ずっと雨ざらしのままで、いったんは廃棄が決まったが、避難生活を送っていた町民が嘆願書が提出し、2014年に保存することが決まった。
ただ、金属や樹脂の複合素材は、土器や古文書のように保存処理方法が確立していない上に、海水をかぶっている。当時の状況をリアルに伝えるには、洗浄や加工処理も最低限しか施せない。そのため、いつでもあらゆる角度からメンテナンスできるようにと、展示スペース下を空洞にする大掛かりな工事を実施したのだ。
評価は年々変化するが、資料は事実を語りかけてくる
展示室の最後「“複合災害”の現実」コーナーには、原発事故直後に双葉郡内に入りし、ペットのレスキューをした動物愛護団体の「被災動物保護リスト集」が展示されていた。
余震が続き、放射能汚染の危険が懸念される中、その活動は無謀過ぎると大きな非難を浴びた。しかし、「1日、2日で帰れるだろう」と避難した人が多く、ペットを置き去りにしたことを「一生の後悔」と語る人もいる。12年の年月を経て、今では「勇気ある行動だった」と感謝と評価が高まっているのだ。
門馬さんは「事象や物の評価は、10年後に変わるかもしれない。だからこそ、災害などが起きる前に、地域の歴史資料を集め、リストを残す必要があることも、当館から知ってほしい」と話す。
現在の富岡町役場の職員は門馬さん含め、約4割が震災後の採用だ。以前の町の様子を伝える資料が数多く残っていることは、町の復興においても役に立つだろう。
長い避難生活を経て帰還した住民の中には、震災前とは大きく変わってしまった町に、誇りや愛着を持てずにいる人もいるという。一方で、震災後の新住民に対して「知らない人が町に増えて不安だ」との声も聞かれる。そんな時には、原発が完成した頃の資料を見せ、「あの頃も1万2000人だった人口が4000人も増えた。その時々、町の姿は変わっていくもの」と説明することができるそうだ。門馬さんは「懐かしい写真や文書などの歴史資料を使って、地域住民のアイデンティティーもレスキューしていければ」と語ってくれた。
そして「このミュージアムも歴史化していく。3年後に来ると、また感じ方が違うはず。入館は無料なので、何度も訪れてほしい」と来館を呼び掛ける。
とみおかアーカイブ・ミュージアム
- 住所:福島県双葉郡富岡町大字本岡字王塚760-1
- 開館時間:午前9時~午後5時(最終入館は30分前)
- 休館日:月曜日、年末年始
- 入館料:無料
取材・文・写真=ニッポンドットコム編集部