福島「仁井田本家」の100年先を見据えた酒造り:創業310年の酒蔵が目指す自然との共生
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敷地入り口に置かれた大きな酒桶(さかおけ)。そこに描かれた「自然酒」の文字が、仁井田本家(郡山市田村町金沢)のこだわりを表している。“酒は体によいものである”を信条とし、農薬と化学肥料を一切使わない米を原料に、村の天然水、蔵付きの酵母で日本酒を醸す。まさに“自然派”の酒蔵だ。
創業は1711(正徳元)年。18代目蔵元で、酒造りを指揮する杜氏(とうじ)も務める仁井田穏彦(やすひこ)さんは、「300年以上同じ場所で酒蔵を続けてこられたのは、この金沢の風土がすばらしいということ。仁井田の酒と共に、田んぼや山、水も次世代に引き継がねばならない」と語る。近い将来、酒米を全て自社田で育て、大きな木桶までを自作し、酒造りに関わるものを村の中で自給自足することを目指している。
300年の歴史の中での苦闘
仁井田本家の看板商品は、無農薬・無肥料で育てた自然栽培米を使用する「しぜんしゅ」。穏彦さんの父親の代、1967(昭和42)年に「金寳自然酒」の名で誕生した。深くやさしい味わい、込められた思想で多くのファンを獲得し、ロングセラーとなっている。
「自然酒を主力商品とした父は、100年以上持つ立派な木造の酒蔵を建ててくれた。先々代は山に木を植えて、酒造りに使う水だけでなく、村の水源を守った。その時の利益だけでなく、次世代のこと、村全体のことも考えて来たから、何代も続けてこられたのだと思う」
今ではこう感謝する穏彦さんは、若いころは「蔵の持つ歴史のありがたみが、あまり分かっていなかった」と言う。修行先から実家に戻ると、新しいブランド酒「穏(おだやか)」を立ち上げ、「おやじを超えたい」と張り合った。歴代蔵元の名前に受け継がれる「穏」という文字を冠したのだから、相当な意気込みだったのだろう。1994(平成6)年に先代が病に倒れ、弱冠28歳で当主となる。しかし、日本酒の売り上げは右肩下がりの時代。努力しても業績は振るわない中、景気の良かった父親の頃と比較されたこともあり、苦労が多かった。
農薬や肥料を使って育てる慣行栽培米を原料にするなど、穏では試行錯誤を続けながら、自然酒にこだわり続けた。契約農家の高齢化もあり、2003年からは酒米を買い付けるだけでなく、自社田での自然栽培も開始した。自然栽培米は慣行栽培米と比較して、同じ面積の田んぼでは約半分しか収穫できず、日頃の手間もかかるという。
「それでも、農薬や肥料のコストは必要ないので、しっかりと世話すれば利益は変わらない。収穫量を上げていければ、“自然派”という付加価値を生み出せるし、地域の環境を守ることにもなる」
新しい挑戦をしつつ、穏彦さんは「もがきながら、蔵を守ってきた」と振り返る。
自然派宣言の年に起きた原発事故
18代目蔵元としての気負いから解放されたのは、2009年に長女が誕生したことが大きい。当主としての目標が、「親の代を超えたい」から「次世代に引き継ぐ」へと変化していった。
同時期に酒造りの師匠だったベテランの南部杜氏が引退したため、自ら引き継ぐことを決意。「蔵と共に酒造りの技術もつないでいく」と、2010年から歴代初の蔵元杜氏となる。ちょうど蔵の全ての酒を、無農薬・無化学肥料の米を使用する自然酒へと切り替える準備が整った年だった。杜氏として最初の仕込みを終えて迎えた2011年は、創業300周年の節目。大々的に「自然派宣言」を発表した。
その反響があり、業績も上向き始めた途端に、東日本大震災によって福島第1原発事故が発生する。福島の生産品には、「自然派」「体に良い」とは正反対のレッテルが貼られてしまう。第2子を妊娠中だった女将(おかみ)と子どもを東京へ避難させたため、しばらくの間、穏彦さんは自宅で一人。「やっと上向いてきたのに……」と何度も落ち込んだが、次世代のために何をすべきかを必死で考えた。そして、たどり着いたのは、やはり自然派にこだわり続けることだった。
「無農薬の田んぼを村中に広げ、おいしい自然酒によって福島の魅力や安全性をアピールし続ける。その田んぼが次世代には、仁井田本家と村の財産になる。それを成し遂げるのが、18代目の自分の使命だと考えた」
風評の影響は、日本酒などの加工品よりも、米や野菜の方が深刻だった。仁井田本家と同様に自然派を掲げ、有機栽培をしていた農家はなおさらだった。そうした農家に酒米を作ってもらい、仕入れることで少しでも手助けしたいとも考えた。その結果、福島県内の契約農家の輪が広がり、今では仁井田本家の酒造りを支えている。穏彦さんは、「それまでは、ぶっきらぼうな農家の人と話すのがちょっと怖かった。言い方はおかしいけど、震災のおかげで築けた大きな財産ですね」と笑う。
女将の奮闘で新しい仁井田ファンを獲得
震災後の仁井田本家の復興には、女将・真樹さんの果たした役割も大きい。酒の売り上げが下がる中、糀の甘みを生かした砂糖不使用のスイーツを考案し、ノンアルコールの甘酒の製造も開始した。
「いくら安心・安全と発信しても、言葉ではなかなか伝わらない。とにかく蔵に足を運んでもらい、安全な地域で丁寧に造ったお酒だと、実際に見て、飲んで確かめてもらうしかない」と、先頭に立ってさまざまなイベントを開催し始めた。実際に田植えや稲刈りを体験する「田んぼのがっこう」や「スイーツデー」など、子どもや酒を飲まない人でも楽しめると好評だ。今では家族連れを中心に、毎回300人以上が参加しているという。
現在も発酵食品部を率いて、「ならづけ」や酒かすをパウダーにした「さけゆき」など新製品を次々と開発。特に甘酒の水分を絞って作る「こうじチョコ」や生キャラメル「ふにゃとろ」は、日本酒にも劣らない人気商品となっている。
行動力あふれるたくましい女性に思えるが、取材中には「震災当時の話をすると、いつもこうなる」と涙ぐんでいた。かつては裏方に徹し、表立ってPR活動などをすることは少なかったという。それが今では、全国の日本酒やスイーツのイベントに出掛けては、仁井田本家のアピールに力を注ぐ。蔵元も、「女将のおかげで、自分は酒造りに集中できている」と感謝する。
村で自給自足の酒造りへ
穏彦さんは2025年までに、村の田んぼ全部を自然栽培にすることを目標に掲げていた。現在の自社田は6ヘクタールで、蔵で使用する米の10パーセントを賄う。村全体の田んぼが60ヘクタールなので、実現すれば、村の米、村の水、蔵の菌を使った自給自足の酒造りが実現する。ただ最近は、「実現はもう少し先になってもいいかな」と考えているそうだ。
「この村の農家は、まだまだ元気にコシヒカリを作っている。震災後に契約した他地域の農家からも、『酒米を作る量を減らしてもいいかな? おいしい白米をもっと作りたいから』といった声も出て来た。福島が元気になってきた証拠なので、それはそれでうれしいこと。うちは、『もう年なので米が作れないから、田んぼを譲りたい』と言われた時に、引き受けられるだけの会社の体力と栽培知識を蓄えておくように努力していくだけ」
そして、「もし僕の代でかなわなくても、何代もかけてかなえてくれればいい」と付け加える。娘さんは酒蔵の仕事に興味があり、蔵元を継ぐ気も満々だそうだ。ただ、心配なのは名前に「穏」の文字を付けていないこと。穏彦さんは、「奇跡的に名前に『穏』の字がある人と結婚してくれればいいんだけど」と笑いつつ、跡取り娘について頼もしそうに語っていた。
2020年末からは、自社の山から切り出した杉材を使い、酒桶作りにも挑戦している。木桶にすみ付いた自然の菌が、仁井田本家の酒をさらに豊かなものにするという。それを飲む日が待ち遠しい。
仁井田本家
- 住所:福島県郡山市田村町金沢字高屋敷139
- 売店営業:午前10時~午後5時(夏季休業日・年末年始などを除く)
- アクセス:車でJR「郡山」駅から約20分、郡山東インターチェンジから約20分
取材・文・写真=ニッポンドットコム編集部
(バナー写真:仁井田本家の敷地入り口に置かれる「自然酒」と書かれた大きな酒桶)