“都会のオアシス”を守り続ける「ホテル椿山荘東京」:山県有朋が愛した名庭園を散策する

歴史

日本屈指の名門結婚式場、一流ホテルとして知られる「ホテル椿山荘東京」(文京区関口)。四季の草花が彩る名庭園は、明治前期に山県有朋が築き上げ、現在も当時の面影を残している。その魅力について、“都会のオアシス”を守り続ける庭師に話を聞いた。

明治の元勲を支えた椿山荘の安らぎ

山県有朋(国会図書館所蔵)
山県有朋(国会図書館所蔵)

椿山荘(ちんざんそう)の名付け親は、「明治の元勲」と称される山県有朋(1838-1922)。幕末に活躍した志士の中で最も長い間、日本政治の中枢にいた政治家、軍人である。陸軍創設時から多大な影響力を持ち、首相を2度務めるなど、大正時代前期まで政界のトップに君臨した。

武蔵野台地の東端にあたる関口台地は、南北朝の時代(1336ー1392)からツバキが自生する景勝地で、「椿山(つばきやま)」と呼ばれていた。江戸時代には大名や武家の下屋敷などが並び、松尾芭蕉(1644-1694)が一時期暮らしたことでも知られ、幕末に歌川広重が描いた『名所江戸百景』にも登場する。

歌川広重『名所江戸百景 せき口上水端はせを庵椿やま』(国会図書館所蔵)。右手の丘が椿山で、「上水」は神田上水、「はせを」は「芭蕉」のこと。現在も椿山荘近くに、「関口芭蕉庵」が残っている
歌川広重『名所江戸百景 せき口上水端はせを庵椿やま』(国会図書館所蔵)。右手の丘が椿山で、「上水」は神田上水、「はせを」は「芭蕉」のこと。現在もホテル椿山荘東京近くに、「関口芭蕉庵」が残っている

広重の絵とは逆方向から眺めた、神田川の桜と椿山荘のホテル棟
広重の絵とは逆方向から眺めた、神田川の桜とホテル棟

この名所の広大な土地を、山県が私財を投じて手に入れたのは1878(明治11)年のこと。邸宅や庭の全体像を自ら設計し、「つばきやま」を音読みする「椿山荘」と命名した。庭園内に立つ「椿山荘の碑」には、造営当時を振り返った山県が「明治10年の西南戦争は既に平定され、国内が平穏となって暇な日ができたので、しばしば城北の目白に出向き、その大地におもしろさを感じた」と、刻まれている。政治家よりも、軍人という印象が強い元勲らしい述懐である。

椿山荘の碑には、山県の椿山荘への愛着があふれている
「椿山荘の碑」には、山県の椿山荘への愛着があふれている

ホテル椿山荘東京の庭園に咲いていたツバキの花
ホテル椿山荘東京の庭園に咲いていたツバキの花

和歌をたしなむ文化人の一面もあった山県は、作庭にもこだわりが強く、椿山荘に加え、京都の別荘「無鄰菴(むりんあん)」、晩年を過ごした小田原の「古稀庵」は「山縣三名園」と称される。「椿山荘の碑」は、「後にここに住む人もこの自然を守り続け、この山水を楽しむような私の望み通りの人物であろうか」と締めくくられている。山県がどれだけ椿山荘を愛していたのかがうかがえる。

椿山荘の庭園は、故郷の山口・萩の風景を再現したものだとも言われている。長きに渡り、日本の命運を担った政治家が、自邸の庭に安らぎを求めていたと想像できる。実際、陸軍卿と兼任で現場総指揮官も務めた西南戦争は、敬愛していた西郷隆盛を倒すための戦いであった。さらに翌年、椿山荘の造園を始めた時期は、従軍した下級軍人から恩賞について不満が噴出し、山県は矢面に立たされるなど、大きなストレスを抱えていた。明治の元勲を支えたのは、東京にいながらも故郷の野山に戻れる名庭園だったのではないだろうか——。そんなことを考えながら、椿山荘を散策するのも一興である。

山県の時代から庭園の中心である幽翠池(ゆうすいち)
山県の時代から庭園の中心である幽翠池(ゆうすいち)

空中庭園「セレニティ・ガーデン」からの眺望。まさに“都会のオアシス”
空中庭園「セレニティ・ガーデン」からの眺望。まさに“都会のオアシス”

伝統を守る庭師には、新しい工夫が求められる

「椿山荘は自然の地形を生かした庭園なので、高低差や起伏があり、手入れがとても大変なんです」

そう語るのは、ホテル椿山荘東京の庭園を約40年間手掛けている庭師・岡安晃(あきら)さん。ホテルのために設計された庭園ならば、管理方法や維持コストも考慮しているが、ホテル椿山荘東京は庭園ありきの施設である。整地した部分は少なく、散策道も狭いため、運搬車両などは入れず、苗木や作業道具を運ぶのもほとんど人力だという。苦労を口にしながらも、岡安さんの言葉には、歴史ある庭園を守り続ける自負がにじむ。

「でも、高低差や起伏があることで、四季折々の花が美しく咲き、見どころも多いのです。紅葉時期には三重塔がある高い土地から色付き、徐々に低い方へと下がっていきます。品種が多いことと合わせて、桜も長期間楽しめるのです」

庭師歴40年の岡安さんと、戦災をくぐり抜けた樹齢500年以上のご神木
庭師歴40年の岡安さんと、戦災をくぐり抜けた樹齢500年以上のご神木

1918(大正7)年、山県から椿山荘を譲り受けたのは、藤田組の2代目当主だった藤田平太郎男爵。その父で藤田組の創立者・伝三郎は萩の出身で、奇兵隊に入隊して山県らと親交を結び、明治維新後には大阪を拠点として財を成した。故郷・萩への思いを込めた庭園を託すのにふさわしい一族である。そして現在、ホテル椿山荘東京を運営するのは、藤田組をルーツとする藤田観光だ。

藤田男爵は、椿山荘の自然を守りながらも、三重塔「圓通閣」を移築するなど名庭園に磨きをかけた。しかし、第2次世界大戦の空襲が千坪を超える邸宅や樹木を焼き尽くし、残ったのは三重塔とシイのご神木だけだった。藤田観光の前身である藤田興業の創業者・小川栄一は、「戦後の荒廃した東京に緑のオアシスを」という号令を掛け、椿山荘の復興に着手。庭園を再建するとともに、1952(昭和27)年にガーデンレストラン「椿山荘」をオープンさせた。

以後、東京の名門パーティー会場、結婚式場として全国的に知られるようになり、料亭やチャペルなどを増築していく。1992(平成4)年には、敷地内に「フォーシーズンズホテル椿山荘 東京」もオープン。2013(平成25)年に「ホテル椿山荘東京」と改称し、庭園を中心とする椿山荘とホテル部門を統合した。

三重塔と桜の共演は、椿山荘を代表する景色の一つ
三重塔と桜の共演は、ホテル椿山荘東京を代表する景色の一つ

岡安さんが駆け出しの頃には料亭もチャペルもなかったが、椿山荘の発展と共にどんどん建物が増えていった。

「私が来る前から庭の管理は年間計画が決まっていて、手入れの方法なども受け継いでいます。しかし、チャペルやホテルなど大きな建物ができる度に、日照や風向きも変わるのです。樹木の成長はもちろん、池に浮く藻の発生の仕方などにも影響があり、植え替えや手入れ方法を変える必要が出てきます。伝統を守るためには、日々新しい工夫が求められるのです」

日本庭園と調和しているチャペル「ヴァンヴェール」とホテル棟。結婚写真を撮影する場面にもよく出会えるので、幸せな気分になれる庭園だ
日本庭園と調和しているチャペル「ヴァンヴェール」とホテル棟。結婚写真を撮影する場面にもよく出会えるので、幸せな気分になれる庭園だ

料亭の門も趣がある。散策道沿いの垣根も岡安さんたちの手作りで、海外からの訪問客などに評判だという
料亭の門も趣がある。散策道沿いの垣根も岡安さんたちの手作りで、海外からの訪問客などに評判だという

気軽に訪問できる都会のオアシス

冬から春にかけてのツバキ、約20種・120本の桜、初夏の新緑、秋の紅葉など、庭園は四季折々に表情を変える。5月中旬から6月末にかけては蛍が飛翔し、三重塔前の松に雪吊りを施す冬の景色も風情がある。

「椿山荘の庭園は、1年中魅力があります。咲く花が少ない夏も、五丈滝やほたる沢のせせらぎが涼し気に響くので、心地良く散策できますよ。七福神の石像や伊藤若冲の羅漢石なども置かれているので、それらを探しながら歩くのも面白いでしょう」(岡安さん)

苔むした岩肌を流れる美しい五丈滝。滝の裏にはガラス張りの通路があり、水しぶきの間から望む庭園風景も人気
苔むした岩肌を流れる美しい五丈滝。滝の裏にはガラス張りの通路があり、水しぶきの間から望む庭園風景も人気

幽翠池畔にある大黒天。七福神の石像は散策道沿いに配してあるので、写真に撮って集める人が多いという
幽翠池畔にある大黒天。七福神の石像は散策道沿いに配してあるので、写真に撮って集める人が多いという

他にも、国指定有形文化財の茶室や稲荷神社、江戸初期の庚申(こうしん)塔や織田有楽由縁の十三重石塔など、貴重な史跡が点在している。ホテル椿山荘東京の歴史や庭園の史跡を解説するマップが用意されているので、それを片手に巡ることをお勧めする。

宿泊客はもちろん、レストランやカフェ、ロビーラウンジを利用するだけで庭園を散策できる。入場料は設けられていない。広報を務める園部咲乃さんは、「着物の着付けや茶会など、庭園を通して、日本文化を体感していただけるイベントも多数開催しています」と言う。「ホタルの夕べディナーセレクション」など、庭園の四季の彩りと合わせたイベント、レストランや料亭の食事コース、宿泊プランも企画しているので、そちらもチェックしてから出掛けたい。

蛍の光と赤い弁慶橋が織りなす幻想的な風景 写真提供:ホテル椿山荘東京
蛍の光と赤い弁慶橋が織りなす幻想的な風景 写真提供:ホテル椿山荘東京

ホテル棟やバンケット棟のロビーやラウンジなどでも、庭園の風景を生かした飾り付けが見もの
ホテル棟やバンケット棟のロビーやラウンジでも、一幅の絵のように庭園の風景を取り入れている

ホテル椿山荘東京

  • 住所:東京都文京区関口 2-10-8
  • アクセス:東京メトロ 有楽町線「江戸川橋」駅から徒歩約10分、東西線「早稲田」駅から徒歩約13分、東京さくらトラム(都電荒川線)「早稲田」駅から徒歩約8分
  • 公式ホームページ:https://hotel-chinzanso-tokyo.jp/

取材・文・写真=ニッポンドットコム編集部

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