世界遺産「富岡製糸場」観光ガイド:日本の近代化を担った建造物群

国宝や重要文化財に指定される建造物を眺めながら、日本の近代化への歩みや生糸の製法、明治時代の工女たちの生活を知ることができる富岡製糸場(群馬県富岡市)。東京から日帰りで行ける世界遺産の魅力を紹介する。

群馬県南西部にある富岡製糸場は、1872(明治5)年に操業開始した日本初の大規模な西洋式製糸工場。開国して間もない日本の主要な輸出品は生糸で、外貨獲得が急務だった明治政府が品質向上や西洋式生産技術の普及を目的に官営模範工場として設立した。

1893(明治26)年に民間に払い下げられてからも、1987(昭和62)年まで稼働。今でも設立時の建造物が残り、日本の製糸産業の歴史が100年以上にわたって刻み込まれている。現在は人気の観光スポットで、2014(平成26)年にはユネスコの世界文化遺産に登録された。

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観光バスとガイドツアーを活用

上信電鉄「上州富岡」駅から富岡製糸場までは、「まちなか周遊観光バス」を利用するのがおすすめ(徒歩では約15分)。

同乗するボランティアガイドが富岡の町並みや見どころを紹介してくれるので、帰りに立ち寄る場所など見学後のプランが立てやすい。乗車の際、100円で「1日フリーガイド券」を購入すれば、何度でも乗り降り可能(乗車料はなし)。停留所以外の場所でも、手を挙げて合図すれば乗車させてくれる。

富岡駅東駐車場と富岡製糸場の間を片道約20分かけて、のんびりと走る「まちなか周遊観光バス」
富岡駅東駐車場と富岡製糸場の間を片道約20分かけて、のんびりと走る「まちなか周遊観光バス」

正門を抜けると、真向かいにあるのが「東置繭所(ひがしおきまゆしょ)」。文字通り「繭を保管するための倉庫」で、富岡製糸場の顔ともいえるエレガントな雰囲気を持つ、幅100メートルもの巨大な建造物だ。

場内の一番奥には、東置繭所と並行するように同じ規模の西置繭所がある。向かって左の南側には、2つの倉庫を「コ」の字型に結ぶように、さらに長大な繰糸所(そうししょ)が約140メートルも続く。この3棟は操業開始時の建造物で、国宝に指定される富岡製糸場の中心的な遺構である。それを取り囲むように、外国人指導者の住居として造った洋館や工女が暮らした寄宿舎などが立ち並ぶ。

正門の奥に見えるのが東置繭所。左手にある券売所では、音声ガイドも貸し出している
正門の奥に見えるのが東置繭所。左手にある券売所では、音声ガイドも貸し出している

木の柱や梁(はり)の間にれんがを積んだ「木骨れんが造」の東置繭所。右の石碑は、1873(明治6)年の皇后・皇太后の行啓記念碑
木の柱や梁(はり)の間にれんがを積んだ「木骨れんが造」。右の石碑は、1873(明治6)年の皇后・皇太后の行啓記念碑

富岡製糸場では、まず初めに解説員によるガイドツアーに参加するのが定番コース。所要時間40分ほどで、富岡製糸場の歴史や生糸生産の技術、各建造物の役割や意匠などを分かりやすく説明してくれる。その後で自由に見学し、展示室やギャラリーをゆっくりと巡った方が理解がより深まるだろう。

30分おきにスタートし、参加費は200円。ツアーに参加できない場合には、多言語の音声ガイドの貸し出しもある。

東置繭所の裏手にある「ガイドツアー出発場所」のテント。予約は必要ないが、開始時刻の30分前から整理券が販売されるので早めに手に入れよう
東置繭所の裏手にある「ガイドツアー出発場所」のテント。予約は必要ないが、開始時刻の30分前から整理券が販売されるので早めに手に入れよう

短時間で富岡製糸場の歴史や魅力を解説してくれるガイドツアーは大好評
短時間で富岡製糸場の歴史や魅力を解説してくれるガイドツアーは人気が高い

解説員によるガイドツアー&音声ガイド

  • ツアー開始時間:午前9時~午後0時、午後1時~16時まで、30分おきにスタート ※午後4時開始のツアーは、4月~10月のみ
  • 料金:200円(中学生以下100円) ツアー開始30分前から「整理券」として販売
  • 音声ガイド料金:200円 ※券売所にて貸し出し
  • 音声ガイド対応言語:日本語・英語・フランス語・中国語・韓国語

生糸づくりを知ると建造物の魅力が増す

生糸は、カイコガの幼虫・蚕(かいこ)がつくる繭から紡がれるもの。蚕は糸を2日間吐き続けて繭をつくり、その内部でさなぎとなる。繭を煮ると糸を接着している物質が緩むので、稲の穂先で作った「みごほうき」などでなでると糸口が見つかる。目的に合わせた太さや長さになるように複数の繭から引き出した糸をより、最後に乾燥させると接着力が回復して丈夫な生糸ができる。

富岡製糸場では、実際に繭から糸を紡ぐ「繰糸」の様子を見ることができる。約3センチの繭から引き出せる極細の糸は1000メートル以上にもなるという。

場内北側にある「社宅76」の「座繰り体験コーナー」では、昔の農家で行っていた生糸づくりの手法が学べる
場内北側にある「社宅76」の「座繰り体験コーナー」では、昔の農家で行っていた生糸づくりの手法が学べる

東置繭所のシルクギャラリー前で見られる「フランス式繰糸器実演」。平日の午前10時~11時30分、午後2時~3時30分に実施され、土日や祝日には「座繰り実演・体験」イベントが行われる
東置繭所のシルクギャラリー前で見られる「フランス式繰糸器実演」。平日の午前10時~11時30分、午後2時~3時30分に実施され、土日や祝日には「座繰り実演・体験」イベントが行われる

繭はさなぎがふ化する前に熱を加え、乾燥させてから保存する。現在は育成温度や蚕の品種を管理することによって繭の採集時期に少し幅を持たせているが、かつては同時期に集まってきた。1年間操業するための量を一気に保管するためには、巨大な倉庫が2つも必要だったのだ。

東置繭所は、瓦職人が焼き上げたれんがを積んだ外壁に、瓦屋根が乗る和洋折衷式。保存中の繭にカビが発生しないように、大きな窓をずらりと配して風通しを良くした。現在、1階内部は展示室やシルクギャラリー、売店などになっている。

東置繭所には、繭をカビから守るためにたくさんの木製の扉が並ぶ
東置繭所には、繭をカビから守るためにたくさんの窓が並ぶ

1階北側の展示室内には、製糸場の歴史や建物の構造などを説明するパネルが並び、動画の上映コーナーもある
1階北側の展示室内には、製糸場の歴史や建物の構造などを説明するパネルが並び、動画の上映コーナーもある

期間限定で公開している東置繭所の2階内部。大量の繭が保管されていた場所だ
期間限定で公開している東置繭所の2階内部。大量の繭が保管されていた場所だ

西置繭所は保存整備工事中。2020年秋に公開予定
西置繭所は保存整備工事中。2020年秋に公開予定

工女たちが働いた繰糸所は、ガラス面が広く内部が明るい。創業開始当時の日本には電灯がなく、細い糸を紡げるように採光するために、大きなガラスや鉄製の窓枠をフランスから輸入した。

最初に設置されたフランス式繰糸機は蒸気機関で動かしたので、屋根の上部に「越(こし)屋根」という小さな屋根を重ね、その窓から蒸気を逃がした。1960年代後半に設置された日産自動車製の自動繰糸機は、今も建物内に残っている。

繰糸所の屋根の上には、換気口の役割を果たす小さな越屋根が乗っている
繰糸所の屋根の上には、換気口の役割を果たす小さな越屋根が乗っている

トラス構造の小屋組みによって屋根を支えているため、建物内に柱がなく、広々と感じる繰糸所の内部
トラス構造の小屋組みによって屋根を支えているため、建物内に柱がなく、広々と感じる繰糸所の内部

昭和になって誕生した自動繰糸機によって、少数の職人だけで生糸生産が可能になった
昭和になって誕生した自動繰糸機によって、少数の職人だけで生糸生産が可能になった

製糸場での暮らしが垣間見える寄宿舎や社宅群

場内に点在する洋館や寄宿舎の中で、ひと際立派な首長館は別名「ブリュナ館」。富岡製糸場設立の指導者として明治政府が雇用したフランス人、フランソワ・ポール・ブリュナのために造られ、広さは277坪もある。実際にブリュナ一家が暮らしたのは1876(明治9)年までで、その後は工女の寮や教育施設として利用された。

女性教師用の女工館や男性技術者が住んだ検査人館など、フランス人指導者たちのために建てられた宿舎は、首長館を含めて全て重要文化財に指定される趣ある建物だ。残念ながら、最初に雇い入れた外国人のほとんどは1~2年で富岡を去ってしまい、当初の目的で使われた期間は短かったという。

南側からブリュナ館を見ると、その大きさがよく分かる。屋根の上には、当時としては珍しい避雷針が付いている
南側からブリュナ館を見ると、その大きさがよく分かる。屋根の上には、当時としては珍しい避雷針が付いている

女工館も木骨れんが造でしゃれた建物
女工館も木骨れんが造でしゃれた建物

現在は非公開で、富岡製糸場の事務所として使用される検査人館の内廊下
現在は非公開で、富岡製糸場の事務所として使用される検査人館

繰糸作業を担った、工女の暮らしを伝える展示や建造物も多い。官営時代の富岡製糸場には、女性たちに最先端の西洋式製糸技術を習得させて故郷へ帰すという、指導者養成所としての役目もあった。寄宿舎や寝具、食事が提供され、場内には医療費無料の診療所もあるなど、当時の最先端の労働環境を整えていた。

大正期や昭和初期の寄宿舎や社宅群も残っており、各時代に製糸工場で働いていた人々の生活に思いをはせることができる。

首長館の西側にある寄宿舎「榛名寮」に置かれていた黒板。工女時代の生活を描いた和田英の『富岡日記』に載るエピソードを紹介していた
首長館の西側にある大正時代の寄宿舎「榛名寮」に置かれていた黒板。工女時代の生活を描いた和田英の『富岡日記』に載るエピソードを紹介していた

片倉工業運営時代の1940(昭和15)年に建てられた寄宿舎「妙義寮」
片倉工業運営時代の1940(昭和15)年に建てられた寄宿舎「妙義寮」

ブリュナ館近くにある「片倉診療所」は、妙義寮と同じ1940年完成。創業時から数えて3代目の診療所となる
ブリュナ館近くにある「片倉診療所」は、妙義寮と同じ1940年完成。創業時から数えて3代目の診療所となる

場内では蚕が食べる桑の葉も育てている
蚕が食べる桑の葉を育てる畑もある

富岡製糸場から徒歩5分弱で着く「まちなか観光物産館 お富ちゃん家(ち)」。地元の特産品に加え、工女をイメージした富岡市のキャラクター・お富ちゃんのグッズやシルク製品を多数そろえている
富岡製糸場から徒歩5分弱の「まちなか観光物産館 お富ちゃん家(ち)」。地元の特産品に加え、工女をイメージした富岡市のキャラクター「お富ちゃん」のグッズやシルク製品を多数そろえている

富岡製糸場

  • 住所:群馬県富岡市富岡1-1
  • 開場時間:午前9時~午後5時(最終入場は午後4時30分)
  • 休場日:12月29日~31日
  • 見学料:大人1000円、高校・大学生250円、小・中学生150円
  • ガイドツアー:大人200円、中学生以下100円 ※予約不要
  • 音声ガイド貸し出し:200円

撮影協力:富岡市・富岡製糸場
取材・写真・文=ニッポンドットコム編集部
(バナー写真=富岡製糸場の正面入り口)

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