八雲と松江の絆:小泉八雲記念館とヘルン旧居を訪ねて
Guideto Japan
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日本文化の深みにはまった町
松江の町を散策すると、「へるんの小径(こみち)」「松江ビアへるん(クラフトビール)」、「カラコロ工房」「カラコロ広場」といった一風変わった名前をよく目にする。
そのかわいらしい響きの「へるん」「カラコロ」は、一時期松江で暮らした文学者ラフカディオ・ハーン、小泉八雲(1850-1904)にちなむ言葉だ。代表作『怪談』などを通じ、日本の文化や風俗、精神世界を流麗な英文で国内外に広めた人物である。
八雲が英語教師として、島根県尋常中学に1890(明治23)年に赴任した際、名前のつづり「Hearn(ハーン)」を「ヘルン」と読まれたという。それ以来、生徒たちから「ヘルン先生」と呼ばれ、日本での愛称となった。本人も気に入っていたようで、妻のセツも八雲のつたない日本語を「ヘルン言葉」と呼んでいたそうだ。
「カラコロ」は、当時まだ木造だった松江大橋を下駄(げた)履きの人々が渡る音。八雲は『知られぬ日本の面影』の中で、松江に到着した翌朝に聞いた「大橋の下駄の音」を「忘れられない音」と描写している。彼も魅了された音色ということで、観光スポットの名称などに「カラコロ」が冠されるのだ。
神社仏閣を訪れれば八雲とのゆかりを記した案内板があり、至るところで八雲、ヘルンに出会う。しかし、八雲が松江で暮らしたのは、ごく短期間だった。この土地の人々に、なぜこれほどまでに親しまれているのだろうか。
「ハーンが松江で暮らしたのは、正確には1年2カ月と15日。日本で最初に定住した土地ですが、一番短い途中下車といえます。しかし、松江士族の娘・小泉セツと結婚し、日本文化の深みにはまっていった場所なのです。松江のゴーストリー(霊的)な環境に刺激を受け、豊かな自然に魅せられたのでしょう。過ごした時間は短くとも、精神的なつながりはとても深い土地だったのです」
そう語ってくれたのは、「小泉八雲記念館」の小泉凡(ぼん)館長。ハーンのひ孫である。
ニューオーリンズ万博で日本文化と巡り合い、ニューヨークで英訳の『古事記』を読んで来日を決意したという八雲。日本神話に特に興味を持っていた彼にとって、出雲神話の舞台である松江での生活は願ってもないことだったという。しかし、山陰地方の冬の寒さには耐えきれず、暖かい熊本へと向かう。その後、神戸を経由して東京に移り住んで生涯を終えたのだ。
松江時代の教え子たちが建てた記念館
松江城の北側に、江戸時代の城下町・松江の姿を色濃く残す「塩見縄手」という通りがある。武家屋敷風の建物が並ぶその西端に、小泉八雲記念館はたたずむ。「ヘルン先生」と慕った教え子やゆかりの人が結成した八雲会によって建てられ、1934年に松江市に寄贈された。
「ハーンが東京大学の教壇に立つと、松江時代に接した中学の教え子たちが、再び教え子となったのです。ハーン亡き後、彼らが街頭募金までして資金を集め、松江に小泉八雲記念館を建ててくれました。そうした人とのつながりにおいても、ハーンと松江は縁深いのです」(小泉館長)
記念館の隣には、八雲夫婦が5カ月生活した「小泉八雲旧居(旧称:ヘルン旧居)」もある。その家の持ち主も八雲会の創立メンバーで、旧居の保存に努めただけでなく、記念館の土地も提供した。2016年にリニューアルされた記念館は、町並みになじんだ和風の外観だが、内部はモダンかつ斬新な展示室となっている。
第1展示室は八雲が見聞し、影響を受けたものを中心に展示。ギリシャで生まれアイルランドで育ち、英国や仏国、米国、カリブ海の島に渡り、そして日本で生涯を終えるまでのさすらいの人生を順々に紹介している。第2展示室では八雲の実績や精神世界を「ジャーナリズム」や「教育」などのテーマごとに掘り下げ、第3展示室では期間限定の企画展示を主に開催している。
展示パネルと共に飾られるのが、執筆時に使っていた机や椅子、旅行かばんやキセル、自筆原稿に長男・一雄に英語を教えた時の走り書きやイラストといった八雲の遺品である。それらも、東京で再会した松江中学の教え子たちが、東京の小泉家から譲り受けて八雲会に寄贈したものがメインとなる。
「ハーンが実際に使っていた遺愛の品を100点以上展示しています。そして、松江出身の俳優・佐野史郎さんとギタリストの山本恭司さんが、山陰地方の怪談話を朗読と音楽で表現した『再話』というコーナーも目玉です。実際に目で見て、耳で聞き、ハーンの世界観に思いをはせていただけたらと思います」(小泉館長)
八雲と家族の写真を飾った階段を上がると、2階には著書や関連書籍をそろえたライブラリーと講演会やワークショップを開く多目的スペースがある。
「外国の方もたくさん訪れます。先日はアイルランドの研究者が一週間毎日通って来て、ライブラリーで1日中書籍を読みあさっていました。当館で初めてハーンを知ったという人も多いのですが、みんな『面白い人がいたんだね』と喜んで帰ってくれます」(小泉館長)
小泉八雲記念館
- 住所:島根県松江市奥谷町322
- 開館時間:4月~9月=午前8時30分~午後6時30分(受付は午後6時10分まで)、10月~3月=午前8時30分~午後5時(受付は午後4時40分まで)
- 定休日:年中無休
- 入館料:大人400円、小中学生200円 ※団体割引、共通券などあり
オープンマインドを磨いた旧居の庭
隣の旧居は、武士の生活を体験したいという八雲の希望で移り住んだ屋敷だ。居室に上がると、読書や執筆に取り組んだ書斎が再現されている。
こぢんまりとした庭が建物を囲む。あまり人工的に作り込まれておらず、縁側に腰掛けて眺めていると味わい深い。小さな池からはカエルの鳴き声が聞こえ、まるで自然の中にいる心持ちになっていく。
「旧居では、お庭をじっくりと眺めてください。カエルだけでなく、時々ヘビも出てきますよ。この家で暮らしたことで、西洋では忌み嫌われるカエルやヘビを、ハーンは生活の一部として受け入れます。人間も自然の一部であるという日本人の自然観を体で理解し、ハーンの持つ多様な文化を受け入れるオープンマインドはより磨かれたのです」(小泉館長)
そして、この場所は八雲夫婦が愛を育んだ場所でもある。八雲が作品として描いた怪談や伝承の多くは、セツが語ったものだ。日本語をよく読めないハーンのために資料や文献などを読み、自分の見解も含めて語り聞かせた。
「セツは尋常小学校しか出ていませんが、本が大好きな文学少女で、もっと勉強がしたかったそうです。それが、ハーンの研究や創作活動を手伝うことになり、とてもうれしかったことでしょう。ハーンもセツが語る怪談を初めて聞いた時、『この人はストーリーテラーだ。一生私の手伝いをしてくれる人だ』と思ったといいます」(小泉館長)
東京で暮らした晩年になっても、八雲はセツの言葉に耳を傾け続け、代表作『怪談』を書き上げた。松江で生まれ育った文学少女が語り聞かせた物語が、八雲の英語によって文学としての魂を吹き込まれたのだ。八雲は生涯、松江とつながり続けた人物といえるだろう。
小泉八雲旧居(ヘルン旧居)
- 住所:島根県松江市北堀町315
- 開館時間:4月~9月=午前8時30分~午後6時30分(受付は午後6時10分まで)、10月~3月=午前8時30分~午後5時(受付は午後4時40分まで)
- 定休日:年中無休
- 入館料:大人300円、小中学生150円、外国人150円 ※団体割引、共通券などあり
取材・文・写真=ニッポンドットコム編集部
(バナー写真=小泉八雲記念館の第1展示室)