京都に春を告げる梅の名所巡り:北野天満宮・城南宮・梅宮大社
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菅原道真ゆかりの梅が咲く「北野天満宮」
学問の神様・菅原道真(845-903)を祀(まつ)る上京区の北野天満宮。京都で「梅見」「観梅」といえば、まずその名が上がる古くからの梅の名所である。道真は自邸の庭の梅を愛し、京都から九州の太宰(だざい)府に左遷されるとき、「東風(こち)吹かば匂ひおこせよ梅の花 主(あるじ)なしとて春を忘るな」という歌を詠んで別れを告げたという。
北野天満宮の境内には、約30種1500本の梅の木がある。例年2月初旬から3月下旬にかけて見頃を迎えるが、正月明けあたりから開花する「寒紅梅」なども植えられているので、梅の花が長期間楽しめる場所だ。見頃の時季には梅苑が有料で公開され、2018年からは満開時期の週末限定でライトアップも行われている。
もちろん梅苑以外にも、見どころは多い。楼門をくぐると右手にある宝物殿の周りでは、紅白の梅が咲き誇る。天満宮で神使(祭神の使者)とされる牛の像が横にあり、その後ろに大きな梅の木があるので、まるで牛が梅見を楽しんでいるようにも見える。
国指定重要文化財に指定される三光門の前にも白梅が咲き、その先に進めば国宝の社殿前には梅と松が対になって植えられている。この梅の木は「紅和魂梅(べにわこんばい)」という名で、「飛松伝説」の梅と同一種だとされている。飛松伝説は、前に述べた道真の愛した梅が、あるじを慕って京都から大宰府に一夜にして飛んで行ったというもの。美しいだけでなく、逸話まで持つ北野天満宮の梅をめでながら、平安時代の京都に思いをはせてみてはいかがだろう。
連なるしだれ梅の美しさに息を飲む「城南宮」
平安遷都(794年)の際に、都の南側を守護するために創建されたという伏見区の城南宮。その庭園となる神苑(しんえん)は、足立美術館庭園やボストン美術館天心園などを手掛け、「昭和の小堀遠州」と称された造園家・中根金作(1917-1995)が作庭したもの。5つの異なるテーマのエリアがあり、四季折々の花を楽しむことができる。中でも「春の山」は、150本のしだれ梅が咲き誇ることで知られている。
春の山には小川が流れ、心地良いせせらぎをBGMに梅の花を楽しむことができる。西側から庭園を眺めると、満開のしだれ梅が何層にも重なり、濃淡が美しい薄紅色のカーテンのよう。しだれ梅だけに、風が吹くとゆったりと揺れ、色合いが刻々と移り変わる様はなんとも優雅。北東側には城南宮のもう一つの春の名物・椿(つばき)の木もあり、コケの深緑と落花した椿の深紅、しだれ梅のピンクが見事なコントラストとなる。
神苑以外にも、境内にある摂社・芹川(せりかわ)天満宮(別名・唐渡天満宮)の周りなどにも梅の花が咲く。例年の見頃は、2月下旬から3月中旬。
「梅」と「産め」の絵馬で有名な「梅宮大社」
その名の通り、見事な梅で知られるのが、京都市西部の右京区梅津の地に鎮座する梅宮大社(うめのみやたいしゃ)。平安時代に権勢を誇った名家の四姓「源平藤橘(げんぺいとうきつ)」の一つ、橘(たちばな)氏の氏神として建てられた神社だ。
創建は定かではないが、平安時代初期に橘嘉智子(かちこ、檀林皇后)によって当地へ遷座されたという。嵯峨天皇との間に子どもが欲しかった嘉智子は、梅宮大社で祈願。すると、すぐに仁明天皇を授かったという。現在も子授け・安産の神として信仰され、絵馬には梅の花とともに「梅」と「産め」の文字が記されている。
赤い鳥居を抜けると、堂々たる楼門の前に紅白の梅が並ぶ。その楼門の上には、多くの酒だるが並べてある。これは、梅宮大社が酒解神(さけとけのかみ)、酒解子神(さけとけこのかみ)を主神とする、酒造守護の神社でもあるからだ。
拝殿東側にも梅が植えられ、休憩できるベンチもあるので腰掛けながら鑑賞することができる。梅の前には「百度石」と書かれた石柱があり、もう一つの置き石まで石畳が引かれている。その間を往復しながら100回願を掛けるとかなうというもので、梅を眺めながらの百度参りができることになる。
北神苑と西神苑を中心に、境内には約35種450本の梅が植えられている。見頃は2月中旬から3月中旬となるが、神苑の遅咲きの梅は3月下旬に山桜と共に咲くので、その共演を楽しむのもおすすめである。
取材・文=藤井 和幸(96BOX)
写真=黒岩 正和、藤井 和幸(96BOX)
(バナー写真=北野天満宮で梅の花を見上げる臥牛像)