沖縄の島々で受け継がれる旧正月の儀式
Guideto Japan
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久高島のシャクトゥイ(酌とり)
久高島(くだかじま)は沖縄本島の南部東端にある知念岬から、東へ約5キロの沖合に浮かぶ島。周囲8キロ足らずと小さいが、琉球の創世神・アマミキヨが天から降り立って国造りを始めた地とされ、古くから「神の島」とも呼ばれる聖域だ。特に12年に1度行われる秘祭・イザイホーの島として知られている。
旧正月に訪れると、島人たちは正装をしていて、集会場には日の丸、船には大漁旗が掲げられている。新年の到来を祝う空気に包まれながら、1年の健康を祈願する「シャクトゥイ」が執り行われる外間殿(フカマドゥン)へと向かった。
舞台となる外間殿は、久高殿(ウドゥンミャー)と並ぶ島の二大祭祀(さいし)場。シャクトゥイでは2人一組の男性の島人が殿に上がり、神役の女性たちが見守る中、神事用の器を用いて盃事(酌とり)を行う。その順番を待つ人々は、前庭のテントで酒を酌み交わして親交を深めている。島外で暮らす出身者たちも多く集まるので、久しぶりの再会に酒が進むようで、空き瓶がどんどん増えていく。
シャクトゥイを終えた2人が殿の外に出ると、新年を迎えた喜びをカチャーシー(沖縄の手踊り)で表現する。盛り上がるに連れ、飛び入り参加で踊る人々も増え、さながら宴会のような華やかさとなった。
浜比嘉島シルミチューの旧正月行事
アマミチュー(アマミキヨ、女神)とシルミチュー(シネリキヨ、男神)が住んでいたというガマ(洞窟)やアマミチューの墓が残る浜比嘉島(はまひがじま)は、「神々が住まう島」という愛称を持つ。本島の中部東海岸にある与勝半島の東にあり、海中道路を経由して車で渡ることができる島だ。
男女二神が暮らしたガマは「シルミチュー」や「シルミチュー霊場」と呼ばれ、島南部の小高い丘の上にある。この場所で2人が子をもうけたと伝わることから、洞窟内の鍾乳石を拝むと子宝に恵まれるそうだ。普段は閉鎖されているが、旧正月にはガマの扉が開かれ、その前で年頭拝みや、演奏と舞の奉納などが行われる。
年頭拝みでは、集落のノロ(祝女、女性の祭司)が米や菓子を供えて祈りをささげ、参加する島民たちは1年の繁栄を祈願する。続いて、三線(サンシン)や太鼓、笛などで沖縄の古典音楽が奏でられ、舞や踊りが奉納されていく。最後に曲調が変わり、明るい三線の音色が響くと、参加者全員でカチャーシーを踊り始めた。
黒島のツナヌミンと大綱引き
黒島(竹富町)は畜産が盛んで、牛の数が人口の10倍以上といわれる。この島の2つの集落では、北東にある石垣島で夏の豊年祭の後に行われる「ツナヌミン」と大綱引きが、旧正月の祭事となっている。
東筋集落では午後2時頃から祭り開始を知らせるかねが鳴り響き、メイン会場となる黒島伝統芸能館前に法被姿の住民たちが集結する。南北2チームに分かれ、正月ユンタ(沖縄県八重山地方の民謡)の掛け合いをした後、いよいよツナヌミンが披露される。
ツナヌミンでは、南からやり、北から鎌を持った武者が、青年たちの担いだ舞台に乗って登場する。威嚇するポーズをとったり、周りの群衆をにらみ付けたりしながら、武者たちは中央へと進み出る。2つの舞台がぶつかると、戦いの所作が繰り広げられて迫力満点だ。
次に始まるのが、参加者総出の大綱引き。昔は南が勝つ方が良いとされてきたが、近年では「北が勝つと畜産繁栄、南が勝つと豊作」とされ、両陣営ともに気合十分である。他の島なら「北が勝つと豊漁」となりそうなところだが、畜産繁栄となるのが牛の島・黒島らしい。行事の終盤には、五穀豊穣(ほうじょう)や子孫繁栄といった福をもたらす神「ミルク様」も登場した。
3つの島の旧正月風景を紹介したが、その特徴と魅力は異なっていた。しかし、新年を迎える喜びと地域のつながりを大切にする心、たくさんの笑顔があふれているという点は、全ての行事に共通している。
取材・文・写真=黒岩 正和(96BOX)
(バナー写真=浜比嘉島のシルミチューで奉納された祝いの舞)