勇壮で華やかな京都の節分:吉田神社の追儺式、蘆山寺の鬼おどり、八坂神社の豆まき
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「鬼は外、福は内」
2月3日の節分には、この掛け声とともに、家庭や職場、学校などで豆がまかれる。
節分は元々、各季節の始まりである立春、立夏、立秋、立冬の前日のこと。立春は旧暦における1年の始まりであり、寒い冬から暖かい春を迎える節目でもあったことから重要視され、次第に「節分=春の節分」になったという。
古来季節の変わり目には邪気(鬼)が入り込みやすいとされ、平安時代の宮中などでは邪気を払う「追儺(ついな)」という儀式を大みそか(春の節分)に行っていた。追儺は「鬼やらい」とも呼ばれ、7世紀末から8世紀初頭に中国から伝わった風習である。
豆まきは、鬼のぎょろりと大きい目(魔目)に、豆(魔滅)をぶつけて退散させるというもの。室町時代中期に僧・行誉(ぎょうよ)が編さんした辞典『壒嚢抄(あいのうしょう)』(1445-46成立)には、京都の鞍馬山に鬼が出現したとき、大豆を投げて退治したという話が記されている。その逸話と追儺が交ざり合い、「節分に豆をまく」という風習が全国に広まったという説もある。
京都御所の鬼門を守る吉田神社の古式に忠実な追儺式
京都の節分行事として特に有名なのが、左京区にある吉田神社の節分祭だ。859年に藤原山蔭(やまかげ)が奈良・春日大社の四神を勧請(かんじょう)して創建した吉田神社は、京都御所の鬼門を守る厄よけ・開運の神様として知られている。節分祭は2月3日を中心に3日間にわたって開催され、2日と3日は参道や境内に約800の露店が並び、例年約50万人の参拝者でにぎわう。
2日に行われる節分前日祭では、午後6時から追儺式が行われる。平安時代初期の宮中行事を継承したもので、一般的には「鬼やらい」と呼ばれて親しまれている。まずは悪鬼を追い払う方相氏(ほうそうし)が手に矛と盾を持ち、たいまつを持った童子をともなって登場。災厄を象徴する赤鬼・青鬼・黄鬼が暴れ回るが、それを追い詰めて弱らせる。最後は貴族たちが桃の弓で葦(あし)の矢を放ち、鬼たちを退散させて終了となる。
3日の午後11時から始まる火炉祭(かろさい)も、京都を代表する節分行事。三ノ鳥居前に巨大な火床が設置され、参拝者は持参した古い神札やお守りなどを納めて焼き、宿っていた神々に帰っていただくという。
三毒の化身が勇壮に舞う廬山寺の鬼おどり
鬼が登場する節分行事としては、上京区にある廬山寺(ろざんじ)の「追儺式鬼法楽(通称:鬼おどり)」も人気が高い。
2月3日午後3時に開式し、人間の三毒である「貪欲」「瞋恚(しんい、憎悪の意)」「愚痴」の化身とされる赤、緑、黒の鬼が、太鼓とほら貝の音を合図に大師堂前の特設舞台に出現する。赤鬼はたいまつと宝剣、緑鬼は大おの、黒鬼は大つちを手に持ち、勇壮に踊る。足を踏み鳴らしながら堂内に入ると、護摩供(ごまく)の修法が行われているのを邪魔するが、護摩の法力と追儺師(ついなし)の法弓によって最後は追い払われる。鬼がいなくなると、僧侶や福娘たちによる豆まきが始まり、参詣者には豆と餅も振る舞われる。
舞妓・芸妓が登場する八坂神社の華やかな豆まき
打って変わって華やかな行事なのが、「祇園(ぎおん)さん」の愛称で親しまれる八坂神社の「節分祭」。2日と3日に境内の舞殿で開催され、4つの花街から舞妓や芸妓(げいこ)が着物姿で参加する。優美な舞踊を奉納してから豆まきが始まり、その豆をキャッチしようと見物人が手を伸ばす様は京都の節分の風物詩となっている。各花街の歌舞会が別々に登場するので、舞妓・芸妓の豆まきは2日間で4回開催される。その前後には舞楽や今様、太鼓・獅子舞などの奉納と豆まきもあるので、事前にスケジュールを確認して訪れてほしい。
取材・文・写真=黒岩正和(96BOX)
(バナー写真=八坂神社の舞妓による華やかな豆まき)