熊本・天草「﨑津集落」:世界文化遺産の美しい漁村を訪ねて
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美しい入り江にたたずむ小さな漁村へ
「天草の﨑津集落」は天草下島の南部。複雑に入り組んだリアス式海岸を持つ、波おだやかな羊角湾の入り江にたたずむ漁村である。一見、のどかな集落だが、密集する民家の中にそびえる﨑津教会の尖塔(せんとう)が独特の景観を醸している。
集落へと入る前に、ぜひ立ち寄りたいのが「﨑津集落ガイダンスセンター」だ。世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」や﨑津集落について、分かりやすく紹介したパネルなどが館内に展示されている。
今回、﨑津集落の町歩きをナビゲートしてくれたのは「天草宝島案内人の会」会長の金澤裕巖(ひろよし)さん。のどかな漁村の風景に心癒やされながら、﨑津諏訪神社や旧﨑津教会跡、﨑津教会など、﨑津集落の潜伏キリシタンの歴史を知る上で欠かせない場所を一緒に巡ってくれた。
﨑津集落の歴史をひも解くと、﨑津にキリスト教が伝来したのは1569(永禄12)年。イエズス会の修道士、アルメイダによって布教が始まり、多くの村民はキリスト教に改宗した。
1614(慶長19)年、江戸幕府が禁教令を発布。しかし、﨑津集落の信者たちは潜伏キリシタンとして信仰を続けた。1637(寛永14)年、幕府とキリシタンたちが戦った島原・天草一揆が勃発。その後、幕府による宗教政策により、村人たちに毎年、キリストや聖母マリアの像などを踏ませる、いわゆる「絵踏み」が行われた。
表向きは改宗し、寺院や神社に帰属していたが、1804(文化元)年に﨑津を含む近隣3村で潜伏キリシタンが発覚。信仰を続けていた1709名が検挙された。いわゆる天草崩れである。検挙された村人は、メダイや聖母マリアに見立てた貝殻などの信心具を﨑津諏訪神社の境内に設置された箱に投げ捨てることで、無罪放免になった。その後も信仰を守り続けた﨑津の人々は、1873(明治6)年のキリスト教解禁後にカトリックに復帰し、﨑津諏訪神社の下に木造の教会を建て、祈りをささげた。
「﨑津に訪れた人は、立派な﨑津教会に目を奪われがちですが、世界文化遺産の価値として重要なのは、この集落で育まれた独特の信仰形態なのです。村民は約260年にわたって、貝殻の模様を聖母マリアに見立てて祈りをささげたり、また白蝶貝で祈りの道具であるメダイを作ったりしました。漁村特有の生活やなりわいに根ざした身近なものを信心具とし、ひそかに信仰を守り続けてきたのです」(金澤さん)
それと同時に、小さな集落の中に、仏教、神道、キリスト教が共存してきたことも世界文化遺産に登録された要素の一つだと教えてくれた。メダイや聖母マリアに見立てた貝殻などは﨑津教会近くにある﨑津資料館「みなと屋」で見学できる。
町歩きでは、﨑津集落の漁村風景にも注目したい。﨑津は隣接する今富集落とともに、国の重要文化的景観にも選定されている。﨑津は天然の良港で知られ、中世以来、天草の貿易拠点として栄えた歴史を持つ。山と海に囲まれた狭い平地に家屋が密集し、家々のすき間にある「トウヤ」と呼ばれる小路をはじめ、船舶が停泊したり、魚を干したりするための作業場として海上にせり出した「カケ」などが、独特の景観を形成している。
「町歩きをしていると、地元の人たちが気軽に話しかけてきます。﨑津はよそから訪れた人を受け入れる、開放的な雰囲気がいいんですよ」と金澤さん。お土産には名物の「杉ようかん」がおすすめだ。
取材・文=歌岡泰宏(ポルト)
写真=草野 清一郎
(バナー写真:羊角湾の入り江にたたずむ﨑津集落)