徳島・上勝町「ゼロ・ウェイスト運動」前編:リサイクル率81%を達成した小さな町の大きな挑戦

・日本で初めて「ゼロ・ウェイスト宣言」をした徳島上勝町
・ごみを13品目45分別して、2016年度にはリサイクル率81%
・ごみステーションが地域交流の拠点となっている

徳島市内から車で約1時間、徳島県のほぼ真ん中にあたる勝浦川上流域に上勝町はある。総面積の85.4%は山林で平地は少ない。標高100〜800メートルの間に点在する大小55の集落に、約800世帯1580人が暮らす。

自然豊かな上勝町

上勝町は、2003年に「2020年までに焼却や埋め立てをせずにごみをゼロにする」ことを目標に掲げ、日本で初めて「ゼロ・ウェイスト」宣言を行った町である。2020年を目前にした今、「ごみゼロ」という目標は達成に近づいているのだろうか? 上勝町でゼロ・ウェイストを推進してきた、NPO法人ゼロ・ウェイストアカデミーの4代目理事長・坂野晶さんを訪ねた。

上勝町の取り組みや現状について説明してくれた坂野さん

日本中がごみであふれた時代があった

1950年代までの日本は、現在と比べて「再生できるごみ」が多く、循環型に近い社会だった。ところが、高度経済成長期に入ると、工場からは産業廃棄物、都市開発の現場からは建設廃材が大量に排出された。国内のごみ量は、1960年の891万トンから1980年には4394万トンに。20年間で約5倍(※1)に達したごみを処理するために、全国の市町村は多額の税金を投入して焼却炉を建設。ごみ収集の仕組みづくりに追われた。

また、1950年には1万7000トンだったプラスチックの生産量も、1980年には751万8000トンまでに膨らむ(日本プラスチック工業連盟発表)。土に還らず、燃やせば有害ガスを発生するプラスチックは、公害や大気汚染の原因にもなった。

しかし、1980年以降になっても“野焼き”によるごみ処理を続ける自治体は少なくなかった。上勝町においても、本格的なごみ処理事業が始まったのは1990年代に入ってからである。現在、上勝町の「ごみゼロ」のシンボルになっている「日比ヶ谷ごみステーション(以下、ごみステーション)」が、公営の「野焼き場」だったのだという。

日比ヶ谷ごみステーション。現在建て替え中のため、仮の施設で運用されている

ごみステーション内部。看板などもリサイクル品がほとんど

ごみの3割を占める生ごみを堆肥に

上勝町は広い町内に55もの集落が点在するため、ごみ収集車を購入して全集落を回り、焼却を行うには多額の費用がかかってしまう。そこで、1994年に「リサイクルタウン計画」を策定し、ごみを減らす知恵を絞った。

家庭用生ごみ処理機。生ゴミを分解してくれる微生物を繁殖させるために、地元の杉チップを利用している

ごみの組成と排出量を調べると、最も多いのは重量比で3割に当たる「生ごみ」だった。水分量の多い生ごみを焼却するには、補助燃料として化石燃料も必要になる。そこで、生ごみを堆肥化する方法を考えた。

1995年、上勝町は全国に先駆けて家庭用生ごみ処理機の購入補助を開始した。1世帯あたりの自己負担金はわずか1万円。処理機の普及率は97%に達し、町内の生ごみの全量を発生源である各家庭で処理することに成功した。

1997年には、「容器包装リサイクル法」の制定を受けて、対象品の分別収集をスタート。資源再生の流れをたどって引取先の業者を探したという。

「町役場の人たちが、再生資源を原料として製品をつくるリサイクル業者を見つけ、最初は9品目の分別回収から始まりました。その後も、引取先の業者が見つかるたびに分別品目をリストに加え、45分別まで増えたのです」(坂野さん)

ごみステーションには、資源ごとの分別ボックスが並ぶ

缶は「CANPECO」という機械で圧縮する

どの素材が、どこで何に再資源化されるのか。その売り払い価格あるいは引き取りにかかる値段まで表示されている

(※1) ^ 「日本の廃棄物処理」各年度版、環境省 ※平成28年度は4,317万トン(東京ドーム約116杯分)

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