京散策がより楽しくなる:京町家ガイド【意匠編】
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「京町家」とは、昭和25(1950)年以前に京都市内で伝統木造構法によって建築された家屋のこと。第2次世界大戦で、大きな空襲に遭わなかった京都には、今も約4万100軒(※1)もの町家が残る。
「現存する京町家のスタイルが確立したのは江戸時代中期頃。京町家の規格化や標準化は、宝永の大火(1708)、天明の大火(1788)という2度の大火災によって進みました」
そう語るのは、住まいの工房代表で京町家情報センターの代表も務める松井薫さん。大火からの復興のために、大量の町家を一気に建設する仕組みができたのだという。
京町家の外観をひも解いていくと、長い歴史の中で培われた防火・防災の知恵、暮らしと商いの文化が見えてくる。まずは、視線を上げて屋根に目を向けてみよう。
一文字瓦と鍾馗さん
京町家が並ぶ通りを歩く時、まずは1階の軒の高さに注目してほしい。勾配を同じくした平入りの大屋根が、隣とわずかに高さを変えながら、重なり合うようにずっと連続している。隣家との軒の重なりは、「家と家の境界線付近での雨漏りを防ぐ工夫」と松井さんは言う。
瓦の下辺は真っすぐな水平線を描いている。多くの京町家は瓦の正面に飾りがない、下端が直線の一文字瓦を使う。軒先をきっちりそろえた鈍(にび)色の甍(いらか)の連なりは、まるでさざ波のよう。この一文字瓦が続く町並みこそ、京に生きる人々の心に宿る原風景である。
屋根の上には、小さな瓦人形が置かれていることがある。古代中国の説話に由来する「鍾馗(しょうき)さん」だ。唐の玄宗皇帝にとりついた疫鬼(えきき)を退散させ、病を治したという故事から「厄よけ」になると考えられた。
鍾馗さんには、こんな面白いエピソードもある。ある時、家を新築した人が屋根に立派な鬼瓦を載せたところ、向かいの家のおかみさんが倒れた。鬼瓦を見て病気になってしまったのだ。そこで、医者が中国の故事に倣い、鍾馗さんをおかみさんの家に置いた。すると、すぐに病気が治ったという。
現在の京都でも、数百体の鍾馗さんが屋根の上で家々を守っている。その表情やスタイルの違いを見ながら歩くのも、京散策ならではの楽しみだ。
厨子二階と虫籠窓
屋根の下の虫籠窓(むしこまど)もまた、京町家の特徴の一つとして知られる。
虫籠窓は、木の下地にわらを巻き付けた格子を漆喰(しっくい)で塗り込めたもので、防火のために編み出された意匠だといわれる。通りに面した2階部分の天井が低い、「厨子二階(つしにかい)」の町家に見ることができる。
「厨子二階の屋根は、通りを挟んだ家からの延焼を防げる高さになっています」(松井さん)
京の人々は大火の経験から、通りの幅と火の手の高さを計算し、火災を最小限に食い止める屋根の高さを割り出したという。
格子とばったり床几
格子もまた、京町家の顔の一つ。応仁(おうにん)の乱以降、自衛の必要から設置されるようになった。一見すると同じデザインに見えるのだが、よく見ると格子を構成する連子(れんじ)の太さや組み方が少しずつ違っている。
室内に光を取り込みたい染め物や織物業の家は、上部が切り取られた「糸屋格子」。酒樽(だる)や米俵など重い物を扱う家には、頑丈な荒格子の「酒屋格子」や「米屋格子」。そして、商売を仕舞った(やめた)家には、細い連子を組む「仕舞屋格子(しもたやこうし)」。格子は、その家の生業を表すものでもあった。
格子の前には、「ばったり床几(しょうぎ)」が残る家もある。「昔は、店を開けるとばったり床几を下ろし、上半分の半蔀(はじとみ)を開けて商いをしていたんです」と松井先生。今はもう、朝一番に「ばったり」の音が町のあちこちから響いてくることはない。
犬矢来と駒寄せ
京町家の足元を守るのが「犬矢来(いぬやらい)」。割れ竹をゆるやかな曲線を描くようにしならせて組み、往来からのほこりや泥水、犬の小便などが壁や格子を汚すのを防ぐ。「駒寄(こまよせ)」は家の正面に設けられる柵で、古くは牛馬をつないだといわれる。栗やけやきなどの硬い木に、手斧(ちょうな)による「なぐり」で仕上げるものが多いが、意匠はさまざまである。
祗園、西陣、中京の新町通や室町通など、京町家が多いエリアを歩く時は、各家の意匠を見比べてみてほしい。一軒ごとの個性が感じられるようになると、京散策はいっそう面白くなるはずだ。
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取材・文=杉本 恭子
写真=浜田 智則
(※1) ^ 2017年(平成29年)5 月、京都市都市計画局「京町家調査」による