鎌倉・鶴岡八幡宮の新年行事:古式の神事で800年前の武家文化に触れる
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伝統息づく武士の町の中心地
800年以上前、本邦初の武家政権が誕生した鎌倉(神奈川県)は日本三大古都の一つ。貴族政治だった奈良・京都とは異なり、質実剛健な風土が育まれた。
源頼朝が鎌倉に幕府を置いたのは、山と海に囲まれた天然の要害であり、交通の要衝でもあったから。さらに源氏の守り神・八幡神を祀(まつ)った父祖ゆかりの地で、坂東武者を掌握しやすいことも大きい。頼朝は“源氏の正統”をアピールするため、鎌倉入りして間もなく由比ヶ浜近くの氏神を居館のそばへと遷座した。これが現在の鶴岡八幡宮である。
社殿の場所は当時から変わらず、地理的にも文化的にも鎌倉の中心だ。参詣道の若宮大路は町を南北に貫いて海へと続き、都市開発の起点となった。境内の建物は戦乱や災害で幾度か焼失しており、重要文化財の本宮や若宮は江戸幕府によって再建されたものだ。一方、神事の数々は、鎌倉時代からの風習や衣装などを今日まで受け継いでいる。
日本有数の初詣スポットで執り行われる古式の神事
鶴岡八幡宮には例年三が日に250万人が訪れ、魔よけの縁起物の破魔矢を手にした人であふれかえる。多くの屋台も並び、とてもにぎやかだ。晴れやかな境内では、古式ゆかしい神事も数多く執り行われている。元旦に祭神に奉納する「神楽始式(かぐらはじめしき)」を筆頭に、新年の息災を祈る儀式がめじろ押しである。
弓矢で大的を射抜いて魔を払う「除魔神事」は、鎌倉武士の仕事始めの風習を今に伝えるもの。古式の大工道具を用いて、社殿造営時の木材加工の所作を奉納する「手斧始式(ちょうなはじめしき)」では、市内の建築関係者が1年間の安全を祈願する。
伝統が凝縮した衣装にも注目したい。奉仕者の男子は武士の正装であった「束帯(そくたい)」を着て、「浅沓(あさぐつ)」と呼ばれる木靴を履く。女子が白い着物に赤い「行燈袴(あんどんばかま)」をまとう姿は、平安朝の女房装束の流れをくむ。また、神楽では篳篥(ひちりき)など雅楽の音色が響きわたり、武家文化の風雅な側面を感じさせる。
小正月(1月15日前後)には全国各地で、門松やしめ縄などをおたき上げする。地域ごとに「どんど焼き」や「左義長(さぎちょう)」などと呼ばれる民間行事で、鎌倉時代にルーツを持つ。鶴岡八幡宮の左義長では、正月飾りをわらで覆って円すい状にした「さいと」を組み上げるのが伝統。盛大な火煙に大勢の参拝客が祈りをささげる。
神事が多い年の初めは、伝統文化に触れる絶好の機会。ぜひ鎌倉に足を運んでみてほしい。
写真・文=原田寛
バナー写真:新春の鶴岡八幡宮。本宮への大石段に初詣客が行列する