期待の若手が勢ぞろい、古典に挑む「新春浅草歌舞伎」:初参加の中村鷹之資が見どころを語る
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初日恒例の鏡開き
東京・台東区浅草は、創建約1400年の浅草寺を中心とする都内きっての観光の街。かつて江戸歌舞伎が隆盛を極めた場所でもある。
現在も毎年1月、浅草寺伝法院の南向かいにある浅草公会堂で「新春浅草歌舞伎」が開催される。興行初日の2日には劇場前で恒例の鏡開きが行われ、役者陣が観覧客や地元住民に新年のあいさつをした。
「新春浅草歌舞伎」は1980年に始まった若手役者中心の興行。他の舞台ではまだ経験できない大役に挑み、互いに切磋琢磨(せっさたくま)する。“若手の登竜門”として知られ、歌舞伎の伝承の面でも重要な役割を担う。
前年とメンバーが大きく入れ替わり、今年は中村橋之助(29)、中村鷹之資(25)、中村莟玉(28)、中村鶴松(29)、中村玉太郎(24)、市川染五郎(19)、尾上左近(18)が古典歌舞伎に挑んでいく。このうち、鷹之資、玉太郎、染五郎、左近が初参加だ。
浅草と歌舞伎の深い縁
「歌舞伎役者と浅草は、切っても切れない縁があります」と鷹之資は語る。
浅草に「江戸三座」と呼ばれる幕府公認の芝居小屋が集められたのは、江戸時代後期の1842(天保13)年から翌年にかけて。場所は浅草寺の北東、現在の浅草6丁目辺りで、江戸歌舞伎の創始者・猿若(中村)勘三郎にちなみ猿若町と名付けられた。元々は風紀取り締まりを目的に城下から離れた場所に移転させたのだが、三座に加えて人形浄瑠璃の小屋も立ち並んだことで、浅草寺参拝を兼ねて芝居見物をする人であふれかえり、浅草は江戸随一の娯楽街となったのだった。
明治に入ると江戸三座は猿若町から移転し、明治の中頃には三座全てが浅草から撤退。やがて浅草から歌舞伎の火は消えてしまう。
歌舞伎興行が浅草で復活したのは1980年の新春から。1月は歌舞伎座など主要劇場でも歌舞伎の初春興行を打つため、あえて浅草は次世代の花形俳優に大役を任せ、研さんの場と位置付けた。若手俳優にとっては成長の機会となり、フレッシュな顔ぶれの配役は新たなファンの獲得にもつながっている。
「浅草には何百年も続く老舗も多く、江戸の雰囲気が色濃く残る。目の肥えたお芝居好きの方々が多いので、単に若手を応援するだけでなく、厳しい目で見てくださいます。役者にとって、他の劇場で演じるのとは全く違う特別な雰囲気があります」と、鷹之資は気を引き締めていた。
染五郎と「親子」「主従」「同僚」を演じる
演目の目玉は、第1部と第2部で配役を入れ替えて上演する『絵本太功記 尼ヶ崎閑居(かんきょ)の場』。明智光秀の謀反を題材に、戦乱の世に生きる光秀一家の情愛と悲哀を描く。
主君の小田春永(=織田信長)を討った武智光秀(明智光秀)が、真柴久吉(羽柴秀吉)に破れるまでの13日間を十三段で描く。尼ヶ崎閑居の場はその十段目。鷹之資は1部で光秀の息子・十次郎、2部では久吉の家臣・佐藤正清(加藤清正)を演じる。
息子の謀反が許せない光秀の母がこもる庵室に、光秀の妻と息子・十次郎、そのいいなずけ、初菊が訪れる。十次郎は初菊と祝言を上げ、討ち死にを覚悟で初陣に赴く。夜更けに、久吉を追ってきた光秀が姿を現す。宿敵は旅僧に身をやつし、庵室に一夜の宿を求めていたのだ。久吉が潜むと思われる場所に竹やりを突き刺すが、そこにいたのは母だった。そこへ、重傷を負った十次郎が戻り、息も絶え絶えに戦の劣勢を伝える。光秀は母と息子を一気に失う。
「太功記は難しい作品で、僕たちの年齢では、とてもまだ消化できません。それを、少し背伸びをして演じさせていただけるのが浅草の舞台です。若手にとって、古典を学ぶことが一番大事。もちろん、先輩方の演技を見るのも勉強になりますが、実際に自分たちで演じることが大きな経験値になります」
染五郎は第1部で光秀、第2部で久吉と大役を勤める。つまり6歳年上の鷹之資が演じる十次郎にとっては父、正清とは主君の関係だ。
「歌舞伎では、実年齢を逆転した役で共演することが多々あります。実の親子が、舞台では恋人同士ということも。現実の年齢や関係性にかかわらず、説得力を持たせるのが芸の力なのだと思います。染五郎さんは線が細いイメージですが、力強いお芝居をなさる方で、彼なりの見ごたえのある光秀を演じてくれます。僕もそれに応えて、18歳の青年・十次郎の清らかさや葛藤を表現して、親子の悲哀を伝えたい」
第2部のトリの『棒しばり』は狂言を基にした演目。主人の留守の間に酒を盗み飲みしないように手を縛られた2人の家来が、知恵を絞って酒を飲み、仲良く酔っぱらって踊るコミカルな舞踊劇だ。2024年に自身の「翔之會」でも取り組んだ演目で、その時には左近と共演したが、今回組むのは染五郎だ。鷹之資は「今回は、染五郎さんと全く関係性が違う3役を演じる面白い経験です」と笑う。
「特に『棒縛り』は、舞台の上でお互いに息の合った掛け合いができてこそ、面白さが伝わる。ペアが変われば印象も変わります。左近さんと染五郎さんの持ち味の違いを僕自身、楽しみながら演じています」
いつか勧進帳の弁慶を
いつか新春浅草歌舞伎で演じてみたい演目は、『車引(くるまびき)』だという。
菅原道真と彼の運命に翻弄(ほんろう)された人々の物語『菅原伝授手習鑑』の中の有名な場面だ。異なる主人に仕える三つ子の兄弟が対峙(たいじ)する場面で、荒事(荒々しさを誇張した演技。隈取りの化粧が要素の一つ)など、歌舞伎ならではの演出が見られる。
「2023年の俳優祭(1日限りの公演)で、染五郎さん、左近さんと『車引』をさせていただきました。とても手応えのある舞台だったので、ぜひ浅草でも3人でやってみたいです」
そして浅草に限らず、今後、挑みたい演目はたくさんあると言う。中でも「最大の目標は、『勧進帳』の弁慶。父(故・五代目中村富十郎)は20歳で勤めました。僕もいずれは演じてみせると心に決めています」と力強く話してくれた。
「代々の先輩方も将来極めたい大役を浅草で初めて演じ、そこから経験を重ね、芸を磨いて自分のものにしています。浅草で何を演じるかは、若い役者にとって、ある種の意志表示だと思っています」
次世代を担う若手が「いずれ歌舞伎座の大舞台で演じたい」と、熱い思いを胸に体当たりで古典に取り組む浅草の舞台。観光がてらでも、一見すれば歌舞伎に興味を持つきっかけになるかもしれない。
「新春浅草歌舞伎」
- 開催期間:2025年1月26日(日)まで
- 開演時間:【第1部】11:00~、【第2部】15:00~
- 会場:浅草公会堂
- 住所:東京都台東区浅草1-38-6
撮影=松田 忠雄(舞台)、ニッポンドットコム編集部(鏡開き)
取材・文=土師野 幸徳、板倉 君枝(ニッポンドットコム編集部)
バナー画像:『棒しばり』で息の合った演技を見せる中村鷹之資(右)と市川染五郎