
“建国の父・神武天皇” の足跡を伝える御鉾の窟、立磐:大坂寛「神のあるところへ」 石の章(6)
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建国伝説はじまりの地に残る御鉾の窟
高千穂に降臨した天孫ニニギにはじまり、ホオリ(通称・海幸彦)、ウガヤフキアエズと続く日向神話の最後は、4代目のカムヤマトイワレビコが主人公となる。後の神武天皇、はるか東の大和(現在の奈良県)を平定した伝説上の初代天皇である。
日南市にある駒宮神社は神武天皇が幼少期を過ごした宮の跡に立つ。ここの大岩「御鉾の窟(みほこのいわや)」は神武天皇が鉾を納めた磐座だという。
本殿の脇から石段を上ると、高さ8メートル、幅5メートルほどの巨大な一枚岩がそそり立っていた。岩の上部には横に切り裂いたような長く深い裂け目があり、天に向かって吼(ほ)える獣の口のようだった。巨岩の周辺は風に揺れる木々の葉から木漏れ日がきらめいて、いかにも神々しい雰囲気を漂わせていた。
岩肌には龍神が現れるともいわれる 撮影=大坂 寛
この辺りは先史時代まで海岸だったため、御鉾の窟は波の侵食でできた断崖の痕跡を残している。古代では大岩や大木などの自然物を神の依代(よりしろ)としてあがめていたことから、この岩も祭祀に使われたと考えられている。地元では、神武天皇は国の統一を目指して旅立つ時、磐座の下に愛用の鉾を納めて成就を願ったと言い伝えられている。
駒宮神社
- 御祭神:神武天皇
- 住所:宮崎県日南市大字平山1095
飛鳥時代の697(文武天皇元)年創祀と伝わる古社。神武天皇が旅立ちの時、北に4キロほどの草原に愛馬を放ったとの伝承から境内には馬の石像が並ぶ。
東征成功の祈りをささげた立磐
神武東征の船出の舞台は、県北東部の日向市美々津町だといわれている。
国の重要伝統的建造物群保存地区となっている美々津の港町 撮影=大坂 寛
美々津は古くから天然の良港として知られ、江戸時代から大正・明治にかけては物資の集散港として発展した。港町には多くの船問屋や商家が立ち並び、「美々津千軒」といわれるほどにぎわった。やさしい海風のそよ吹く静かな町を歩けば、商家の広い土間や太い梁(はり)などに活気あふれた当時の面影を見るようだった。
町並みが終わる川端に立磐神社がある。本殿の裏手には、社名の由来となった磐座がそびえ立っていた。高さ8メートル、周囲15メートルの巨大な岩は縦にまっすぐな亀裂がある。溶岩が冷え固まる時、直線的な縦割れで柱状の岩が複数できる地質現象「柱状節理」によるもので、約1500万年前に火山活動で生まれた周辺の断崖でよく見られる。この不思議な形の磐座で、神武天皇は航海の無事と戦勝を祈願したといわれる。
社殿裏手の立磐 撮影=大坂 寛
伝承によれば、船出の日は旧暦8月1日。風向きから予定を早めて未明に出航することにしたため、住民は見送りを集めようと「起きよ、起きよ」と家々の戸をたたいて回った。美々津では毎年この日の早朝、子どもたちが町民を起こして回る「おきよ祭り」が催され、神武天皇の事績を伝えている。
境内には出航を指揮する神武天皇が腰掛けたといわれる岩も祀られている
立磐神社
- 御祭神:底筒男命(そこつつのおのみこと)、中筒男命(なかつつのおのみこと)、表筒男命(うわつつのおのみこと)、神武天皇
- 住所:宮崎県日向市美々津町3419
神武天皇が東征を前に海上を守護する住吉三神を祀った故事にちなみ、第12代景行天皇の時代に創祀したと伝わる。以来、豊漁や道開きの神社としてあがめられる。
取材・文・編集=北崎 二郎
バナー写真:駒宮神社の御鉾の窟 撮影=大坂 寛