天安河原:大坂寛「神のあるところへ」 石の章(1)
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今に残る祈りのこころ
古来、私たち日本人は森羅万象に手を合わせ、敬い、感謝し、祈り、日々を過ごしてきた。山にも海にも台所にも、すべて神秘的な力をもったカミ(神)がいると信じているからだ。カミは私たちに大いなる恵みと平安を与えてくれるし、怒ればたたる。
カミはマレビト(客神)ともよばれ、人々の招きによって訪れた。そのために供物をささげることを祭りといった。訪れたカミはモノに依(よ)りつく。それがヨリシロ(依代)であり、巨石や岩であればイワクラ(磐座)、イワサカ(磐境)という。
もとよりカミは見ることも触れることもできず、どのようなものであるかは分からない。しかしながら、人知を超えたカミに対する畏敬の念は、いにしえから変わらずに日本人のこころの基層にある。それは、「なにごとのおはしますかは知らねども かたじけなさに涙こぼるる」と詠んだ平安末期の僧・西行と同じなのであろう。今も残る日本中の「なにごとのおはします」場所を訪ねてみることにした。
天岩戸神話の舞台「天安河原」
天岩戸は太陽神のアマテラス(天照大神)が弟スサノヲ(須佐之男命)の悪しき振る舞いにおびえ、身を隠した洞窟として日本神話に登場する。天地が暗黒になったため、困った八百万の神が天安河原で神議した。オモヒカネ(思兼神)が一計を案じて、岩戸の前で夜明けを告げる常世長鳴鳥(とこよのながなきどり=鶏)を鳴かせ、にぎやかに踊り騒いでアマテラスを誘い出した。
伝説の舞台は神の国「高天原(たかまのはら)」とされるが、地上にあったとも信じられている。伝承地の一つが、宮崎県の天岩戸神社である。
まだ夜の明けきらぬうちに宿を出て、天岩戸神社へと向かった。耳を澄ませても、どちらからも常世長鳴鳥の声は聞こえない。途中、広い田んぼの先に高千穂の山々が黒塀のように立ち並び、一番高い山の頂にキノコのかさを思わせる大きなレンズ雲が浮いていた。それが何の兆しなのかはわからないが、不気味であり神秘的でもある光景に、やはりここは高天原だったのかとも思わされる。
天岩戸と伝わる洞窟を拝する西本宮は、朝の冴えた空気に包まれていた。境内を抜けて、轟音を響かせて流れる岩戸川沿いの小道を歩く。両岸から高い崖が迫り、川幅と同じほどしか見えない空が朝日に輝き始めていた。
10分ほどゆくと道が終わり、崖に隠れていた天安河原が不意に幻出する。崖を丸くえぐったような大洞窟である。入り口には鳥居が立ち、奥にオモヒカネと八百万の神を祀(まつ)った社がある。
洞窟には数え切れないほどの小さな石積みが並び、思わず息をのむ。ここを訪れた人々が祈りと願いを込めて積んでいったという。今では社だけではなく、洞窟全体が祈りの対象となっている。中から眺めると、神々しい光とともに水滴を浴びた石積みの群れが八百万の神に見えてくるようでもあり、天安河原の神秘の気配を感じさせてくれる。
天安河原
- 御祭神:思兼神(おもいかねのかみ) 、八百萬神(やおよろずのかみ)
- 住所:宮崎県西臼杵郡高千穂町大字岩戸1073-1
天岩戸神社の社域にある洞窟で、日本中の神が集まったとの伝承からパワースポットとして親しまれる。神社は創建時期こそ不詳ながら、古代から天岩戸(洞窟)を御神体とし、天照皇大神(あまてらすすめおおみかみ)を祀っている。
取材・文・編集=北崎 二郎