ニッポンの三大祭り

【日本三大馬祭り】福島「相馬野馬追」・岩手「チャグチャグ馬コ」・宮崎「御田祭」:騎馬による芸能を神様にささげる

イベント 文化 地域

日本全国に数ある祭りの中から、ジャンル別の御三家を取り上げるシリーズ企画。今回は、古くから武士や農家に相棒として親しまれ、神事でも重要な役割を果たしてきた「馬」が主役の祭りを紹介する。

神様の乗り物とされた「馬」

近年の学説では、家畜馬は4000年以上前にロシアの南、中央アジア付近で発祥したというのが有力である。人や物をより早く遠くへ運搬できるので、乗用馬や荷役馬として重宝した。

日本へは5世紀頃、大量のモンゴル産の馬が対馬経由で運ばれた。戦場で俊敏に動ける上に、高い位置から敵を攻撃できたので、当初は軍用目的だったという。希少だった馬は、奈良時代には神様の乗り物として珍重され、特に白馬は神馬(しんめ)として奉納された。その後、武芸鍛錬に通ずるものから農耕儀式と絡めたものまで、日本各地で馬を主役とする多彩な祭りが生まれ、現代まで伝わっている。

福島「相馬野馬追」

(相馬市・南相馬市、5月最終土~月曜日)

「お行列」を高いところから見下ろすのはご法度。先鋒(せんぽう)が疾走してきて「頭が高い!」と怒られる
「お行列」を高いところから見下ろすのはご法度。先鋒(せんぽう)が疾走してきて「頭が高い!」と怒られる

千年余りの歴史を持つ「相馬野馬追」は、平安時代の武将・平将門(903-940)に由緒がある。将門は戦に備え、野馬を敵兵に見立てて追い駆ける軍事訓練に励んだ。ただ、朝廷から目をつけられないように、捕らえた馬を神前に奉納して「祭り」だと称した。将門を遠祖とする武家の名門・相馬氏が行事を伝承したことで、今も福島・相馬地方の夏の風物詩となっている。

初日の朝、相馬中村神社(相馬市)での「総大将出陣式」で幕を開ける。祭りのメイン会場である雲雀ヶ原(ひばりがはら)祭場地へと、総大将が騎馬武者を率いていく。

2日目朝の「お行列」は、各地区から400を超える馬が勢ぞろい。甲冑(かっちゅう)姿で帯刀した武士が、先祖伝来の旗指物を背に乗り込み、風になびかせながら祭場地に向かう。午後からの「甲冑(かっちゅう)競馬」は、1周1000メートルの馬場を舞台に、兜(かぶと)を脱いだ騎馬武者が土煙を上げて疾走する。続く「神旗争奪戦」では、打ち上げ花火からゆらゆらと舞い降りてくる御神旗に騎馬が群がり、鞭(むち)を振りかざして奪い合う。

壮絶な神旗争奪戦。勝者は意気揚々と山上の本陣へと駆け上がる
壮絶な神旗争奪戦。勝者は意気揚々と山上の本陣へと駆け上がる

最終日の「野馬懸(のまかけ)」は、最も伝統ある大切な神事。騎馬武者が数頭の裸馬を、南相馬市の小高神社境内に追い込む。白鉢巻に白装束の「御小人(おこびと)」と呼ばれる若者が、駿馬を素手で捕まえて奉納するのだ。

この祭りのために、代々馬を飼って暮らす家や乗馬クラブがあるほど、馬は相馬地方にとって欠かせない存在。しかし2011年の東日本大震災では、津波で馬を流された家も少なくなかった。その夏は規模を縮小し、神事のみを催行したが、出陣式で総大将が「われわれは地震、津波、原発事故の三重苦を、武士の魂で乗り切る」と宣誓したのを忘れられない。翌年には約400騎がそろい踏みし、4万人の大観衆も集まり、見事に祭りは復活した。

古式にのっとった神事「野馬懸」
古式にのっとった神事「野馬懸」

岩手「チャグチャグ馬コ」

(滝沢市・盛岡市、6月第2土曜日)

およそ100頭の馬と馬主が行進
およそ100頭の馬と馬主が行進

岩手県の北中部は草原が多く、奈良時代から「名馬の産地」として知られていた。江戸時代にこの地を治めた南部藩(盛岡藩)は馬の生育が主要産業で、「南部馬」は軍馬として諸大名から引く手あまただった。

軍馬はやがて農耕馬となって、田畑の恵みをもたらし、土地とのつながりを深めていく。岩手の伝統建築様式「曲がり屋」は、その名残。人が暮らす主屋から馬屋の部分が直角に突き出た構造で、人馬が一つ屋根の下に住んだ。

滝沢市の「鬼越蒼前(おにこしそうぜん)神社」は、食物をつかさどる保食神(うけもちのかみ)を祭神とするが、馬の守り神としても敬われている。田植え準備の整地作業「代かき」を終えて「田打ち」と人馬共に重労働が続く6月、馬を連れて参拝し、無病息災を祈願する。

働き者の馬をねぎらうために色鮮やかに装飾し、盛岡市の盛岡八幡宮(はちまんぐう)まで14キロを行進する。初夏の岩手山を背景にした田園は緑あふれ、馬に飾られた鈴の音が「チャグチャグ」と鳴る光景は牧歌的。人の愛情がたっぷりと馬に注がれる祭りである。

約4時間のパレードで盛岡へ
約4時間のパレードで盛岡へ

宮崎「御田祭」

(美郷町、7月第1日曜日)

胴体が大きく足が太い荒くれ馬が主役の「馬入れ」
胴体が大きく足が太い荒くれ馬が主役の「馬入れ」

宮崎県北部・美郷町の西郷地区に伝わる「御田祭(おんださい)」は、農耕馬が大暴れする、日本で最も荒ぶる田植え祭りだ。約1000年前に鋤(すき)を御神体として、権現山の中腹に祀(まつ)られた田代神社の祭礼である。

山麓にある上円野(うえんの)神社の宮司が山中の神様を迎え、案内役の猿田彦に続いて神輿(みこし)の行列がのどかな山を下りていく。目指すのは、泥水がいっぱいに張られた宮田(みやた)だ。

拝殿での神事や神楽(かぐら)に続いて、最大の見せ場「馬入れ」が始まる。裸馬に法被姿の若者衆が乗り、泥水を跳ね上げながら水田を走り回る。1頭で走る者もいれば、2頭並んで競争する者もいる。馬が泥に足をとられて急に止まると、馬上の若者は放り出され、観客は大喝采。見事、馬が疾走して水田を1周すると拍手が沸く。

シャッターチャンスに恵まれた迫力満点の写真は、お祭り写真コンテストでも上位の常連だ
シャッターチャンスに恵まれた迫力満点の写真は、お祭り写真コンテストでも上位の常連だ

見物人にも泥水が飛んでくるが、浴びれば浴びるほど健康になると伝わる。跳ね上がる泥水の中、必死に馬にしがみつく姿は絵になり、カメラを構える見物客も多い。

馬入れの後は、神輿の水田入り、牛馬の代かきと続き、笠(かさ)に着物姿の早乙女たちによる田植えで締めくくる。氏子たちの元気の良さに、田の神様たちは秋の豊作を約束してくれるだろう。

田植え歌のお囃子(はやし)に合わせて早乙女が一列に並んで苗を植える
田植え歌のお囃子(はやし)に合わせて早乙女が一列に並んで苗を植える

※祭りの日程は例年の予定日を表記した
※相馬野馬追は2024年から、開催期間が5月の最終土~月曜日に変更

写真=芳賀ライブラリー
バナー写真:相馬野馬追の甲冑競馬

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