【大沼だんご】ライカ北紀行 ―大沼公園― 第90回

西野 鷹志 【Profile】

大正のころ、ひとりの俳人が陸蒸気(蒸気機関車)にのって大沼公園(現・北海道七飯町)にやって来た。晴れわたった空、のびやかな駒ヶ岳に心をうばわれ、湖面にうかぶ島々と紅葉に感嘆。

大沼公園の沼にはいくつもの小島が浮かぶ。大沼だんごはこの小島を見立てたものだという。遠くに望むのは駒ヶ岳(2021)
大沼公園の沼にはいくつもの小島が浮かぶ。大沼だんごはこの小島を見立てたものだという。遠くに望むのは駒ヶ岳(2021)

さらに、口にしただんごの美味しさにびっくり、句を詠んだ。

「花のみか紅葉にもこのダンゴ哉」。

明治から大正にかけて京都の俳壇で活躍した上田聴秋(別名・花本聴秋)がその人。

1905(明治38)年、大沼が道立公園(今は国定公園)となった。陸蒸気にのっておとずれる観光客向けに、大沼だんごは駅前で茶店をいとなむ初代・堀口亀吉があみだした。

明治、もしくは大正、初代・堀口亀吉が営んでいたころの沼の家。今も店のある場所は当時のまま 写真提供:堀口慎哉氏
明治、もしくは大正、初代・堀口亀吉が営んでいたころの沼の家。今も店のある場所は当時のまま 写真提供:堀口慎哉氏

この「沼の家」の元祖・大沼だんごは、120年ちかくも親しまれ、今は4代目堀口慎哉が昔ながらの製法を頑固に守っている。

大沼公園駅前にある創業明治38年沼の家の入口(2021)
大沼公園駅前にある創業明治38年沼の家の入口(2021)

折箱は2つに仕切られ、1つは大沼、もう1つは小沼を表している。この一口サイズのだんごは、沼にうかぶ小島に見立てられ、味は、あんとしょうゆ、ごまとしょうゆの二種。あんとしょうゆをようじにさし交互に口にすると、つるりとした滑らかな食感もあって、柿の種のごとく止まらなくなる。これぞ美味しい組み合わせ。

しかも、作り置きせずに出来立てだけを売り、賞味期限は当日かぎり。

沼の家のだんご二種。上がごまとしょうゆ、下があんとしょうゆ。掛け紙には俳人・上田聴秋の「花のみか紅葉にもこのダンゴ哉」の句(2021)
沼の家のだんご二種。上がごまとしょうゆ、下があんとしょうゆ。掛け紙には俳人・上田聴秋の「花のみか紅葉にもこのダンゴ哉」の句(2021)

堀口慎哉の30代の息子は、5代目となる。彼は東京・銀座の異業種で修業中、近々、大沼に戻ってくるという。創業以来、1世紀をこえようとも、時代が変わろうとも、味が変わらぬ大沼だんごの伝統を頑固一徹に守り育ててほしい。

スキーを滑り大沼牛のビフテキを味わって大沼に遊んだあとに、大沼公園駅そばの「沼の家」で、ここでしか売っていない大沼だんごを手に家路につく。これぞ大沼公園の「至福のフルコース」。

●道案内
沼の家 JR函館本線大沼公園駅下車 徒歩1分(地図へ

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    西野 鷹志NISHINO Takashi経歴・執筆一覧を見る

    1941年東京生まれ。エッセイスト・写真家。函館中部高校を経て慶応義塾大学経済学部卒。30代半ばで郷里に戻り、函館山ロープウェイを経営する傍ら、日本初のコミュニティFM放送「FMいるか」を創設。北海道教育委員や女子高の理事長、函館のタウン誌「街」の発行人もつとめるなどその活躍は多彩。愛用のカメラ、ライカを肩に北の港街をモノクロで撮り続けて30年。『ウイスキー・ボンボン』『風のcafé 函館の時間』など多くの著書がある。

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