
【ペリーの洋酒びん】ライカ北紀行 ―函館― 第87回
Guideto Japan
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1854(安政元)年、5隻からなるペリー艦隊が箱館に来航した。そのとき、ペリーは箱館に洋酒びんを2本遺している。
いまは、市立函館博物館に有形文化財として展示されている。おそらくペリーから松前藩に贈られ、さらに町名主の小島又次郎の手に渡ったのだろう。
小島は雑貨、酒をあつかう大店(おおだな)の主で、五稜郭を設計した武田斐三郎(あやさぶろう)ら幕府側がペリーと面会したとき、幕臣一行を泊めて世話をやいている。
斐三郎はこのあと名主の妹、美那子と結ばれた。彼女は小町といわれた評判の美人で男の子を生んだが、27歳で早逝。現在、函館山のふもとにある東本願寺函館別院船見支院に眠る。
東本願寺函館別院船見支院の武田斐三郎の妻、美那子の墓 写真:函館市中央図書館蔵
その翌年、五稜郭の完成を見ずに斐三郎は、後ろ髪をひかれる思いで箱館をはなれ江戸へむかった。
箱館に来航するまえ、横浜村でペリーと幕府の会談が行われたとき、たがいに饗応(きょうおう)をかさねている。ペリーの船室のテーブルには、葡萄酒やシャンパンなどがふんだんな料理とともに用意されていた。
箱館でペリーが贈った洋酒びんは、樽酒を詰め替えるデキャンタ。ならばどんな酒が入っていたのか。葡萄酒、シャンパン、ウイスキー、シェリー、リキュールのいずれか。はたまたウイスキーのバーボンか。
ペリー一行が持参した洋酒びんは有形文化財。木箱には町名主の屋号㊀小島と墨書されている 写真:市立函館博物館蔵
小島又次郎には絵心があった。ペリー一行の行動を見聞した又次郎は、それを自らのスケッチとともに『亜墨利加一条写』として記録した。街なかを闊歩(かっぽ)するペリーの士官や水兵をえがく絵筆を休める。そこで、洋酒びんのバーボンをちびりちびりと楽しみ、アメリカの酒にほろ酔い気分となった又次郎。そんな様子が目に浮かぶ。
小島又次郎がまとめた『亜墨利加一条写』に描かれた上級士官(右)と士官(左)。小島又次郎筆 写真:函館市中央図書館蔵 ※一部差別的な文言がありますが、原本のまま掲載します
●道案内
市立函館博物館 市電「青柳町」下車 徒歩7分 (地図へ)