【老舗西洋料理店 五島軒のカレー】ライカ北紀行 —函館— 第84回

西野 鷹志 【Profile】

長崎・五島列島出身、五稜郭戦争の落ち武者・五島英吉が、残党狩りの目をぬすんでハリストス正教会に逃げこんだ。そこでロシア料理とパンづくりを習得する。

埼玉に生れ、米相場に失敗し新天地をもとめ函館にわたった若山惣太郎。

1879(明治12)年、北の港町で出あい意気投合した若山と五島は、ロシア料理、パン、ケーキの店を旧桟橋ちかくに立ちあげた。のちに西洋料理店・五島軒は二十間坂(にじゅっけんざか)に移転し、今に至っている。

二代目の若山徳次郎は、1922(大正11)年~34(昭和9)年、新築した3階建てのビル内に新店舗とともに外国人向け五島軒ホテルを開業し大いに繁盛したが、函館名物の大火で焼失してしまった。

外革に五島軒ホテルのステッカーが貼られたボストンバッグ(2006)
外革に五島軒ホテルのステッカーが貼られたボストンバッグ(2006)

20年ほどまえ、大阪・のみの市で掘り出された古びた革のボストンバッグ。外革には、五島軒ホテルのシールが貼られていた。おそらくこのバッグの持主は富裕な人だったろう。日本人か、外国人か。

五島軒がかつてホテルも営んでいたころの函館は、サケマスの漁業家などのロシアのウラジオストク、カムチャッカ半島との往来がさかんだった。また、ロシア革命による亡命者で、アルフレッド・デンビー、メーエル・リューリなどロシア人が160人ほど在留していたという。

そのなかでも、ジョージ・デンビーを父に、長崎出身の日本人女性を母にもつアルフレッド・デンビーは、カムチャッカの漁場を舞台に紅鮭缶詰の製造と輸出で日魯漁業としのぎを削り、大きく名と財を成す。函館山のふもと、谷地頭(やちがしら)には広壮な邸宅をかまえていた。

バッグの主は、やはりロシア人か。この一枚のシールは、五島軒ホテルが、その当時いかにモダンで瀟洒(しょうしゃ)であったかを物語る。

五島軒本店(2021)
五島軒本店(2021)

140年あまりの時をきざむなか、カレーの五島軒といわれるほど、初代料理長・五島英吉が始めた伝統の味・カレーの評判が高い。

先代の天皇皇后両陛下もリッチ鴨カレーを楽しまれている。僕の好みは英国風カレー。これ一皿で老舗の奥深さを味わうことができる。

五島軒のカレー(2021)
五島軒のカレー(2021)

●道案内
五島軒本店  市電「十字街」下車、徒歩5分(地図へ

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    西野 鷹志NISHINO Takashi経歴・執筆一覧を見る

    1941年東京生まれ。エッセイスト・写真家。函館中部高校を経て慶応義塾大学経済学部卒。30代半ばで郷里に戻り、函館山ロープウェイを経営する傍ら、日本初のコミュニティFM放送「FMいるか」を創設。北海道教育委員や女子高の理事長、函館のタウン誌「街」の発行人もつとめるなどその活躍は多彩。愛用のカメラ、ライカを肩に北の港街をモノクロで撮り続けて30年。『ウイスキー・ボンボン』『風のcafé 函館の時間』など多くの著書がある。

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