【わび寂びライカ】ライカ北紀行 ―函館― 第77回
Guideto Japan
旅- English
- 日本語
- 简体字
- 繁體字
- Français
- Español
- العربية
- Русский
わがカメラ事始めは、30年ほどまえのイタリアの旅。出発まぎわに「写真の撮り方入門」を手にした泥縄そのものであった。
そんな初心者がプロ仕様のピントも露出も手動のニコンF3で撮った、ピンボケだらけのネガの山を築いた。アッシジの路地裏。あ、同じカメラを持っている! とお互い思わず駆けよった相手がドイツの女子学生であった。
ベテラン風情の彼女は、プロ風にニコンを「ナイコン」と発音して、ライカより良い「キャメラ」、と。
その後、イタリアでの失敗写真から抜けだそうとF3のシャッターを切りまくった。風景、花、猫、鳥、路地、人物となんでもござれ。ただし婦人科、ヌードは撮らずじまい。とどのつまり、肌があうのは白黒フィルムの街角スナップと悟った。友人の写真家はスナップならライカと一押し。
ライカM6、50ミリレンズ、白黒フィルムを相棒に、ニューヨーク、ヨーロッパ、日本の裏町をひたすらさ迷い歩く。小型、軽量なM6で裏通りを動きまわり、白黒はゴミ箱を撮っても絵になると勝手に思いこみ、裏道には生活感があふれていると肌で感じられた。
2台目のライカはデジタルとなった。フィルムカメラは今や絶滅危惧種。白黒フィルムもどんどん消え、現像ラボも東京にあるだけ。現像にだして手もとに戻ってくるのは1カ月後。デジカメは瞬時に画像を見ることができる。それやこれやで、わが輩もフィルムとおさばらしてライカモノクロームを持ち歩いている。
このライカモノクロームは、文字どおり白黒しか撮れない。目に見える世界はカラーだから、目に見えない世界を撮っているわけだ。ここにおもしろさがあり、創造的なアートの世界が広がる。名作といわれる写真の大半は白黒だ。
20世紀写真の巨匠アンリ・カルティエ=ブレッソンはライカと50ミリレンズを愛用、白黒一本だった。「写真は短刀のひと刺し。絵画は瞑想」。スナップの「決定的瞬間の写真家」といわれたブレッソンの言葉だ。
お茶に「わび寂び」という言葉がある。千利休は四畳半の茶室を一畳半にして余分なものをそぎ落とし、お茶の世界を高めた。ライカモノクロームも色彩をそぎ落とした白黒だけの「わび寂びライカ」。禁欲的だ。ダメ写真もアートになるかもとシャッターを切っている。