【モダンなる不良】久生十蘭 ライカ北紀行 ―函館― 第75回
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てもとにうすい小冊子がある。「函館『不良文学』は元町育ち-函館市文学館企画展2005」。これがじつにおもしろい。ひとりの「不良文士」を核に語ってみよう。
一年生の生徒が「小便をしたい」と訴えたところ、先生が「そこへしろ」と。ならばと、教壇の下からゆうゆうとバケツをとりだし、教室の片隅でじゃーっとやった。
旧制函館中学(現・函館中部高校)の「オシッコ事件」。事件の主(ぬし)は阿部正雄、後の直木賞作家・久生十蘭(ひさお じゅうらん)。文芸評論家・亀井勝一郎の『私の文学経歴』によれば、十蘭の家は同じ元町のとなり同士で、父親から「正雄ちゃんのような不良にはなるな」ときついお達し。学校をサボって、ベレー帽をかぶり、マンドリンをさげてぶらつくような中学生は彼ひとりだった。
さらに、「古い開港場で、外国の汽船が往来し英米、露、中国人が雑居しエキゾチシズムなこの町の気分をよくもわるくもあらわしているのは、作家の長谷川海太郎(かいたろう)、水谷準、久生十蘭。三人とも旧制函館中学の先輩である」と亀井は綴っている。
十蘭は「オシッコ事件」で退学、函館から姿を消し東京へ転居。だが、ほどなくしてもどり、海太郎の父・淑夫が経営する函館新聞社の記者となり文芸欄に劇評などを載せた。
パリに遊んだあと、ジャンルを問わず活躍する海太郎に刺激され、水谷準がさそったモダン・マガジン『新青年』に、捕物帳、純愛、探検、SF、紀行などを寄せ、何でもござれの作家となった。
1952(昭和27)年、時代小説『鈴木主水』で直木賞を受賞。さらに『母子像』でニューヨーク・ヘラルド・トリビューン社の世界短編小説コンクール第一席に輝いたが、孤高の異端作家でもあった。
ふるさと函館をなぜか何ひとつ描くことなく、57年、55歳で世を去る。
当時、旧制函館中学で事をおこし退学したのは、久生十蘭のほかに、五稜郭公園に籠(こも)ったストライキ事件の首謀者とにらまれ、卒業直前に中学を去った長谷川海太郎。のちにペンネーム林不忘『丹下左膳』シリーズで名をはせた。
父親に不良になるなと言われた亀井勝一郎は、大学に入って共産党に走った。
後の世に名をのこした三人の「不良文士」が、ほぼ同じころ、元町・大三坂の一角で青春時代を過ごし、文学の世界へ雄飛した。
彼らの型破りな生き方こそが、名声を求めず反骨にあふれた不良で、これがモダンで格好いい。
●道案内
函館市大三坂 市電「十字街」下車、徒歩10分(地図へ)