【ベラルーシの子どもたち】ライカ北紀行 ―函館― 第71回
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わっと歓声があがった。一瞬、どこの国の言葉か分からない。パチパチ弾(はじ)ける線香花火であそぶベラルーシの子どもたちであった。ここ函館ハリストス正教会の信徒会館でひと夏をすごすうちにみるみる元気になった。
1986年4月26日。ウクライナのチェルノブイリ原子力発電所4号炉が爆発した。ヘリコプターから大量の砂、ホウ素、鉛などが投下され、原子炉をコンクリートで覆う石棺化によりひとまずは放射能を封じこめた。
だが、その間に放射性物質は風に乗り、世界各地へ拡散、およそ8000キロはなれた日本でも放射性物質を検出。汚染は、ウクライナと接するロシア、ベラルーシにもひろがった。
1992年8月、当時の函館ハリストス正教会の松平康博神父がベラルーシの5人の子どもたちと先生をうけいれた。地元の信徒の子どもたちと言葉は通じなくとも、すぐに打ち解けた姿がいまも印象にのこる。
子どもたちが函館へ来てから30年ほど。かれらは今は40代となっていることだろう。甲状腺障害などの健康被害もなく健康に暮らしているだろうか。彼らの瞳の輝きは今も忘れられない。
●道案内
函館ハリストス正教会 市電「十字街」下車、徒歩10分(地図へ)