【メス一本で動乱を生きぬく】高松凌雲 ライカ北紀行 -函館- 第69回
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渋沢栄一が主人公のNHK大河ドラマ「青天を衝け」パリ編に登場した高松凌雲は、大阪の適塾、緒方洪庵のもとで医学をまなび、将軍慶喜の侍医をつとめていた。
1867(慶応3)年、凌雲は、慶喜の弟・昭武を団長とするパリ万国博覧会派遣団に随行、その最中に医学を修めるよう命じられた。
パリでの1年あまりの先進的な医学修業をおえ帰国したときは、すでに幕府は瓦解。外国留学の機会を与えてくれた幕府と将軍の恩義にむくいようと、帰国後、旧幕府軍の榎本軍に身を投じた。
――農民が負傷者を戸板で運びこんできた。長州、福山藩士6人。味方の榎本軍ではなく敵方であった。病院は騒然となった。
私はこの病院の頭取だ……たとえ敵であろうと、負傷者は負傷者だ。……この傷ついた者たちと一緒であるのがいやだと言うのなら、直ちに退院せよと凌雲。
戦争にあっても、敵方の負傷者を味方の負傷者同様、ねんごろに施療する。それが、西洋諸国の病院の常となっている。――吉村昭『夜明けの雷鳴』
榎本武揚のもとめで凌雲は、洋式の野戦病院、箱館病院を立ちあげ、戊辰戦争最後の決戦地で、フランスで手に入れた外科手術用のメス一本で奮闘。敵味方なく博愛の赤十字精神を発揮し、傷が癒えた敵方は船で送りかえしている。大河ドラマは、パリ留学から帰国後、箱館で孤軍奮闘する凌雲を描いている。
戊辰戦争後、東京へもどった凌雲は、宮仕えをことわり、貧しい者から治療代も取らず、町医者として80歳の生涯を全うした。
函館山のふもとにある高龍寺の境内に、箱館病院の分院があった。その碑のそばにある凌雲の若き日の肖像を見て、彼は不敵なまでに肝がすわった男だと思いいたった。
●道案内
高龍寺 市電5系統「函館どつく前」下車、徒歩10分(地図へ)