【幻の画家】長谷川潾二郎 ライカ北紀行 ―函館― 第65回
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長谷川潾二郎(りんじろう)は、寡黙、寡作、しかも並外れた遅筆の画家であった。
代表作「猫」は、愛猫タローが同じポーズをとるまで何年も筆をとらず、しびれを切らした画商・洲之内徹に髭がない猫なんてとうながされ、髭を片方だけ描きいれた逸話がある。後日、その画商に「盗んでも自分のものにしたかった絵」と言わしめた。
潾二郎は、東京よりハイカラといわれた函館の元町にうまれた。当初は、万年筆をもって探偵小説を書いたが、やがて、絵筆をとった。
絵をまなぼうと上京したが、旧制函館中学(現・函館中部高校)時代の友人・水谷隼のすすめによりペンネーム・地味井平造の名で『新青年』などに探偵小説『煙突奇談』、『X氏と或る紳士』などを寄せた。
モディリアーニや藤田嗣治などが花ひらいた「エコール・ド・パリ」のころ、画家をめざしてパリにわたり、帰国後、二科展に入選し画家としての地歩をかため、探偵小説から遠ざかっている。
潾二郎は、長谷川四兄弟の次男坊。長男・海太郎は『丹下左膳』で知られる流行作家・林不忘。三男・濬(しゅん)はロシア文学者、四男・四郎は五カ国語をあやつる翻訳家、小説家。文才にめぐまれた兄弟は、それぞれの分野で地歩をかためている。
彼らの父・淑夫は、反骨精神にあふれたジャーナリストで、「函館新聞」の主筆を経て社長となっている。その父の気質と当時の函館がかもしだす欧米文化の刺激をうけ、兄弟全員が外国へとびだしている。
これでもか、これでもか、と押しがつよい画ではない。一見わかりやすいが、どこか幻想的で神秘性があり、静謐で、見る人のこころをとらえて離さない。
初期の作品、「函館風景」、「ハリストス正教会」、「私達の部屋」に描かれたそのままに、いまも旧市街にその風情がただよう。
潾二郎は、他の兄弟と異なり、猫の髭の逸話のごとく自分のペースを守りぬき、静かな生活を好んだ。
ひところ、「幻の画家」とテレビ、雑誌などに登場したが、30年ほどまえ、世をさった。
11年まえ、平塚、下関、仙台をめぐり、故郷函館での長谷川潾二郎展に足しげくかよい、静かであたたかく余韻をはなつ画にむきあった。
和洋折衷の街並みと石畳の道がうつくしい大三坂を上がっていくと、ゴーンと鐘がひびく東本願寺函館別院、うすいピンクに彩られた洋館・亀井勝一郎旧邸、さらにフランス系のカトリック元町教会。その向いに、当時、長谷川一家が暮らし、今はその跡地にあるCaféにたどりついた。その奥に英国系の聖ヨハネ教会をのぞむ。そのとき、ガンガンガーンと鐘の音が大きく鳴りわたった。ロシア系のハリストス正教会だ。
幕末、開港場として海外に門戸を開けた。そんな先進性がこの界隈にいまも根づく。さまざまな異文化が混在する地区に長谷川一家の日常があったがゆえに、四兄弟の豊かな個性が育まれたのだろう。
●道案内
大三坂 市電「十字街」下車、徒歩5分(地図へ)