【男爵の恋】ライカ北紀行 —函館— 第58回
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イモといえば、塩煮したホクホクのジャガイモが思い浮かぶ。戦後の食料不足のころに育ったから、今も、フライドポテトは大好きで、口に運ぶと止まらない。
自宅から車で20分ほどの高台、ジャガイモ畑が一面に広がり、遠くに函館山を望む。初夏ともなれば、その花が咲き乱れ、白、淡い紫などさまざま。マリー・アントワネットは、ジャガイモの清楚な白い花を髪飾りに好んだという。
「男爵いも」の生みの親は、男爵・川田龍吉(かわだ りょうきち)。
函館船渠(現・函館どつく)の再建を託された川田龍吉が1908(明治41)年、函館郊外・七飯町(ななえちょう)の自家農園に外国産の種イモを輸入し、試験栽培したのが男爵いもの始まりであった。
このイモは、北海道の風土に合って、味がよく、病気に強い。収穫量も多く、栽培の輪が広がった。凶作や不況、戦後の食糧難のころ、腹ペコを満たす食材になる。でも、僕は子供心に思った。“今日もイモか”。
1877(明治10)年、21歳となった龍吉は、造船技術を学ぶために英国に留学し、スコットランドのグラスゴーで19歳の書店員ジェニー・エディーと出会い、恋に落ちた。
龍吉が95歳で天寿を全うしたのちに、密封された金庫から彼女からの89通のラブレターが見つかった。さらに、恋人の一房の金髪も。出会い、恋、プロポーズ、そして、別離。1年半ほどのことであった。
龍吉は受洗してトラピスト修道院裏手の墓地に眠る。
●道案内
THE DANSHAKU LOUNGE 道の駅「なないろ・ななえ」隣 函館から車で30分(地図へ)