【山下りんのイコン】ライカ北紀行 —函館— 第57回
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聖母マリアの受胎告知の絵では、未だ見たことがない独特の構図と描き方であった。山下りんが描いたそのイコン(宗教画)は、函館山のふもと、函館ハリストス正教会の復活聖堂にある。
常陸国(茨城県)笠間の武士の娘・山下りんは、1873(明治6)年、絵を学びたい一心で、家出同然で東京へ向かった。
浮世絵師のもとで絵の修業を積むが満たされず、洋画家の門下となり、さらに工部美術学校(現・東京藝術大学)の女子一期生となった。
そこで、イタリア人教師アントニオ・フォンタネージの教えに夢中になり、デッサン、スケッチを重ね、ミレー、ラファエロを目にするたびに、絵が生きている、これこそが絵だと感じ入った。
1861(文久元)年、開港から2年後の箱館にサンクト・ペテルブルクからロシア領事館付司祭として赴任した青年ニコライは、10年ほど過ごした函館を後にし、東京へ。
そのころ、神父ニコライとりんの出会いがあった。心に語りかける神父の率直さと温かみにりんは正教会に改宗、洗礼名イリーナとなる。
彼は来日後、外国人よりも日本人自らによる布教こそが第一と思った。各地に建てられる聖堂のイコンも日本人によるべしと、画才のある23歳のりんをサンクト・ペテルブルクの女子修道院に送りこむ。
りんは、エルミタージュ美術館で見たルネッサンスの巨匠ラファエロが描いた「聖母子像」の優美で人間的なぬくもりに感動。一方、イコンは絵画ではなく、絵具で表した神学書とされ、色も形も約束事があり、温かな人間味に欠けていることに失望した。
2年ほどの修道院での修業の間、イコンと美術画の板ばさみに苦しむ。だが、この苦悶からわずかな光も射した。信徒から祈りを引き出す絵もある、と。
失意のうちに帰国したりんは、ニコライから神学校の一角にアトリエを与えられ、りんの思い描くイコンを描くようすすめられた。
日本人初のイコン画家は、およそ300点のイコンを描き、道内6つの正教会に70点ほど、そのうち函館には16点が伝わっている。
レオナルド・ダ・ヴィンチが描いた「受胎告知」。翼を持ち、凛とした横顔の天使ガブリエルは、キリストの受胎を告げ、それを穏やかにマリアが受けとめる。
函館にあるりんが描いたイコン「生神女(しょうしんじょ)マリアの福音」(受胎告知)は、天使の翼はおぼろげに白くうすく塗られ、その顔も定かではないが、マリアのまなざしはやさしさに満ちている。見る人の想像力をかき立てる力がある。
イコンの定めを守りながら白内障が進行していたころの円熟のりんがここにある。
●道案内
函館ハリストス正教会 市電「十字街」下車、徒歩10分(地図へ)